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叔父のSNSに、私がローンで買った家が写っていた  作者: 空の異変


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2/10

第2話 老後のための家

日曜の夜、自分の部屋の床に書類を広げた。


売買契約書、重要事項説明書、返済予定表、登記の封筒。リビングで風呂の湯を落とす音がして、それが終わるまで手を止めた。


この部屋を出れば台所があるけれど、私の台所ではない。8年、ずっとそうだ。


翌朝、上長に有給の申請を出した。火曜から木曜まで。


引き継ぎのメモを作り、2件だけ先に連絡を入れておく。


私用です、とだけ書いた。


    *


5年前、母から電話がかかってきたのが最初だった。


「智花、こっちで家を買いなさい」


入社3年目で、年収は600万円。ボーナスを別にすれば、月の手取りは30万円に届かない。


貯金は、同期の中では多いほうだった。


都内で買うつもりだと言うと、母は笑った。


「あんたのお金じゃ、トイレしか買えないでしょ」


迷わなかったわけではない。


私が中学生のころ、叔父の会社が傾いた。母は貯金を下ろし、封筒のまま持っていった。


金額は聞かされていない。


秋に一度だけ、父が聞いた。


「あれ、返してもらえるのか」


「死んでやる」


茶碗を持ったまま、母はそう言った。それきり父は、家で数字の話をしなくなった。


その半年前にも、母から電話が来ていた。従兄の健吾(けんご)の結婚で、頭金を少し貸してやってくれないか、と。


「無理だよ」


「あんた、貯金あるでしょ」


「あるから無理なの」


理屈になっていない断り方だったが、母はそれ以上言わなかった。家を買いなさいという電話は、そのあとだ。


家は違う、と当時の私は考えた。名義が残るものは、母にも動かせない。


    *


最初に見たのは、駅から歩いて12分の2LDKだった。母は間取り図を裏返して、書いていない部分を探す顔をした。


「どうせ買うなら、もう少し広くしなさい。お父さんとお母さんも、そのうち行くんだし」


3LDKも見た。母はうなずかない。


最後に連れていかれたのが、分譲地の一番奥のモデルハウスだった。庭付きの2階建て。


1階に部屋が二つ、2階に3つ、それとLDK。台所も浴室もひとつで、二世帯ならこの形がいい、と営業担当が言った。


5000万円台だった。


「この子、大手に勤めてるんです。8年でも10年でも、ちゃんと払いますから」


母がそう言うあいだ、私は資料の一番下の但し書きを読んでいた。


帰りの車で、母が私の手を取る。


「お母さん、一度でいいから、ちゃんとした家に住みたいの」


母の手は、給食センターの洗剤で荒れていた。その荒れ方を、私はその日まで見ないふりをしていた。


私が契約書に名前を書いたのは、その週の日曜だ。


    *


頭金は貯金を全部出した。変動金利の35年、月々は14万円台になった。


ルームシェアの家賃が一人6万から7万円で、私のほうは6万円台。実家には月3万円を自動送金にして、日用品と光熱費は母に渡した家族カードにした。


残るのは5万円から6万円。そこから食費と、カードの請求と、固定資産税が出ていく。


給料日前の3日間は袋麺だった。生理用品はドラッグストアのプライベートブランドで、服も化粧品も買わなくなった。


週に一度、理沙が私を連れ出して肉を食べさせた。


「智花、それ、栄養失調っていうんだよ」


「予算の問題だよ」


家は設備付きで引き渡された。照明とカーテンと家具は、3回に分けて入れた。


そこまでやって、母は住まなかった。


「まだ足腰が動くうちは、慣れた家のほうがいいでしょ」


「あの家は人に貸しちゃ駄目よ。借りた人は大事にしないんだから」


鍵は母が預かった。近いから、たまに風を通しておく、と言って。


私はそのころ、案件が3つ同時に動いていた。帰省しても実家に泊まり、日曜の夕方の新幹線に乗った。


あの家の玄関を開けないまま、4年半が過ぎている。


    *


年収は800万円近くまで上がった。仕送りは、自分から5万円に増やした。


固定費は、一円も減っていない。


月曜の昼休みに、駅前の仲介会社に電話をかけた。担当の人は住所と面積を復唱して、同じ分譲地の今の相場を教えてくれた。


「現在、どなたかお住まいですか」


「それを、これから確認します」


「確認、といいますと」


「行ってみます」


夕方、銀行にも電話をした。一括返済に必要な書類と、予約できる最短の日。


繰り上げの受付は前もって連絡が要ると言われ、日付を二つ挙げられた。


メモに書いて、丸をつけた。まだどちらも選んでいない。


    *


火曜の朝、新幹線に乗った。乗り継いで、在来線で1時間。


凪瀬市(なぎせし)の駅を出ると、海の匂いの風が改札まで入ってきていた。


タクシーの後部座席で電話が鳴った。母だった。


「智花、来週そっちに行こうと思って。お母さん、2日休みもらったの」


「主任に嫌な顔されたけど。娘に会いに行くんだから」


「うん」


「お餅、まだあるのよ。お正月の。冷凍してあるから、持っていってあげる」


8月だった。


「いらないよ」


「どうして。ちゃんと冷凍してあるんだから、平気でしょ」


「そういう問題じゃなくて」


「おせちの残りもあるの。黒豆、好きだったでしょ」


好きだったのは、たぶん20年前の話だ。


運転手さんが、ルームミラー越しにこちらを見る。


「お客さん、この先の信号、右でよろしいですか」


しまった、と思ったのは私のほうだった。


電話の向こうが静かになる。


「智花」


「うん」


「今の、どこの人」


「……」


「あんた、こっちに来てるの?」


答える前に、母の声が続いた。


「あの家に行くつもりなの? 智花、聞いてる? 今すぐ実家に来なさい!」


窓の外を、白い塀とゴミ集積所の緑のネットが流れた。


右です、と運転手さんに言った。


それから、通話終了のボタンを押した。

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