第1話 消えた菜園
理沙が串を一本抜いて、皿の縁に並べた。3本目だった。
「で、旅行はいつにするの」
「その話、先月もした」
紙ナプキンを折って、指先を拭く。4つ折りが6つ折りになったところで手が止まった。
「毎回そうやって、話を折るよね」
「折ってるのはナプキンだけ」
金曜の居酒屋は、隣の席がうるさいくらいでちょうどいい。こちらの話も半分は消えてくれる。
私はスマホを出した。話題を変えるのに、これほど便利な道具もない。
写真だけが流れるアプリを開いて、親指で3回すべらせたところで、見覚えのある緑が出てきた。
叔父のアカウントだった。正月と盆にだけ思い出したように投稿する人が、珍しく畑の写真を上げている。
ミニトマトの支柱が4本。その奥に、白い樹脂のフェンスと、ウッドデッキの角が写り込んでいた。
フェンスの継ぎ目の位置に、目が引っかかった。左から3枚目だけ幅が狭い。
土地の形に合わせて現場で切ったと、引き渡しのときに聞いた気がする。
「どうかした」
「……ううん」
サムネイルを広げようとして、タップした。読み込みの輪が回って、止まって、元の投稿に戻れなくなる。
一度アプリを閉じて、開き直した。
叔父の投稿は、もうなかった。
「消えたの?」
理沙が身を乗り出して、私の手元をのぞき込む。
「消えた。……たぶん、消された」
「スクショは」
「してない」
眉を寄せて、理沙が串を置いた。
「智花の家、庭あるよね。花壇も作ったって言ってたよね」
「作ったのは私じゃなくて、外構の業者さんだけど」
「そこ、今どうなってんの」
知らない。答えになっていない答えだったので、口には出さなかった。
あの家の花壇は、門から玄関までの通路の左側にある。レンガを2段積んだだけの細長いもので、去年の夏、母が電話で「草が生えて困る」と言っていた。
草が生えて困る。その言い方を、今になって拾い直している。
「叔父さんが智花の家に住んでる、とか」
「ないよ」
即答した。声が大きくなって、隣の席の人がこちらを向く。
母が実家の弟を大事にするのは本当で、子どものころからその場面は数えきれない。でも、家は家だ。
私が払っている。毎月、ちゃんと。
*
「じゃあ、賭けようよ」
理沙が箸を置いた。
「電話して、来週あの家に泊まりたいって言うの。泊まっていいって言われたら、私の負け。駄目だったら、一緒に旅行ね。どう?」
「行き先は」
「智花が決めていいよ」
負ける気がしなかったから、頷いた。
店の外に出て、非常階段の踊り場で番号を押す。3回鳴って、母が出た。
「智花? どうしたの、こんな時間に」
「今、帰り?」
「うん、今ちょうどね。片づけが長引いちゃって」
給食センターのパートは、夏休みのあいだ仕込みが減るぶん、洗浄の当番が回ってくるらしい。67になる母の腰でやる仕事ではない。
「もうやめなよ、あれ。年金も出てるんでしょ」
「足りないでしょ、そんなの」
軽い口調だった。天気の話をするときと同じ高さの声で。
「何だってすぐ上がるんだから。年金なんて、入った日にもう減ってるの」
入った日に何で減るのか。米と灯油の話だろうと思って、そこは流した。
「智花、ちゃんと食べてる? たまには帰っておいで。お母さん、ご飯作って待ってるから」
「うん。来週、休みもらったから帰る」
「あら。じゃあ布団干しとかなきゃ」
そこで切り出した。
「あの家に泊まろうと思って」
電話の向こうで、母の足音が止まった。
「……あの家って」
「私が買ったほう。ずっと閉めっぱなしでしょ。設備も一回動かしたほうがいいって言うし」
「駄目よ」
早い。早すぎる。
「あそこ、埃だらけだから。水も止めてあるし。泊まれるような状態じゃないでしょ」
「泊まるだけだよ。掃除なら私がするから。それでも駄目?」
母が息を吸うのが聞こえた。
「どうしてそんなに、あの家にこだわるの」
こだわっているのはどちらだろう。思っただけで、言わなかった。
「実家に泊まりなさい。智花の部屋、そのままにしてあるんだから」
「うん。でも一晩だけ、向こうにも」
「お母さんの言うこと、聞けないの」
声の温度が変わった。30歳にもなって、その変化に背中が先に反応する。
「勝手なことばかりするなら、帰ってこなくていいから」
通話が切れた。
*
踊り場の手すりは、昼の熱をまだ持っていた。手のひらを押しつけて、離す。
店に戻ると、理沙は私の顔を見ただけで賭けの結果を察したらしかった。
「ごめん。賭けにする話じゃなかったね」
「理沙のせいじゃない」
本当だった。電話をかけなくても、いつかは同じところに行き着いていた。
予約アプリを開いて、来週の火曜の新幹線を選ぶ。乗り継ぎの在来線は、向こうに着いてから考えればいい。
窓側。二人掛けの、窓側。
通路側だと、隣に座った人に一度は立ってもらうことになる。
「泊まるとこは」
「あの家」
理沙は何か言いかけて、やめた。代わりに、私の皿に串を一本のせた。
予約完了の画面を下まで送って、上まで戻す。日付と時刻と、座席番号。
もう一度、頭から確認した。




