動けない
まあ、当たり前だが――俺は杭なので動けない。
右を向くこともできない。
左を向くこともできない。
歩くことなんて、当然できない。
……いや、分かっていたけどさ。
改めて考えると、かなり困る。
昨日、頭の中に聞こえた声は言っていた。
『人の役に立つ行為によって神力が蓄積されます』
人の役に立つ。
それは分かる。分かるんだが……。
俺は杭だ。
どうやって人の役に立てと?
せめて動物なら、まだ何とかなりそうだ。
犬なら誰かを守れる。猫なら……癒やすとか?
鳥なら危険を知らせることもできるだろう。
でも俺は杭。
動けない。話せない。何もできない。
「…………」
もちろん声も出ない。
これは、かなりの無茶振りじゃないか?
神様よー。
そんなことを考えていると、
「にゃ~」
ん?猫?近くにいる感じはするが姿は見えない。でも、何となく分かる。
俺の前にいるらしい。
しばらくすると、猫が俺をじーっと見ているような感覚がした。猫って、こういう時に妙に見つめてくるんだよな。
すると、
「ゴロゴロ……」
喉を鳴らしている。
そして――すりすり。俺に身体を擦りつけてきた。
……何だ?
俺のこと、気に入ったのか?
「にゃ~」
そして、
ガリガリガリ。
「…………」
おい。まさか。爪を研いでるだろ!?
俺は杭だぞ!?猫の爪研ぎじゃないぞ!
まあ……痛くはない。
木だから多少削れているような気はするが、痛みは感じない。
「にゃ~」
今度は、俺の上に何かが乗った。
杭の上。たぶん猫だ。
丸くなったような感覚がある。
どうやら、かなり気に入られたらしい。
……まあ、いいか。
誰かに必要とされるのは、悪い気分じゃない。
とはいえ――
「人の役に立つ」とは、まだほど遠い。
俺は、どうすればいいんだろう。
腹も減らない。眠くもならない。
杭だから当然なのかもしれないが、時間の感覚が分からない。
せめて、昨日の頭の中から聞こえた声と話せれば、少しは時間を潰せるんだけどな。
「…………」
遠くから人の声が聞こえる。
たまに街道を誰かが通っているらしい。
ただ、距離があるせいか、何を話しているのかまでは分からない。
……そもそも。
この世界の言葉、俺は分かるのだろうか?
もし異世界なら、日本語じゃない可能性もある。
転生したのに言葉が分からない。
そんな展開もありそうだ。
そんなことを考えていると――
「あー! 猫さんが木の上にいるー!」
突然、近くから声がした。
「にゃ?」
猫が反応する。
「あら。本当ね」
もう一人の声。
……ん?
今、何て言った?
俺には――言葉が分かる。
「猫さん、降りてこないかな?」
「たぶん、お腹が空いてるんじゃない?」
「じゃあ、ご飯持ってくる?」
「うん!」
……。
……ちょっと待て、日本語……なのか?
いや、日本語にしか聞こえない。
でも――
「……猫さん、あの杭の上に乗ってるわよ」
「ほんとだ!」
「珍しいわね」
「ねえ、あの杭って何?」
「街道の目印じゃない?」
「ふーん」
…………。
声の主は、人間じゃない。
いや。正確には――獣人だ。猫の耳。
猫の尻尾。どう見ても、猫の特徴を持った人が話している。
「…………」
俺は驚いた。異世界。本当に異世界だった。
しかも、言葉が分かる。
これは――せめてもの救いなのかもしれない。
俺は、杭の上で丸くなっている猫に心の中で話しかけた。
猫よ。
お前のお陰で、少しだけ状況が分かったぞ。
……ありがとう。
そして俺は、初めてこの世界で出会った猫を、勝手に「命の恩人」と呼ぶことにした。




