第四話 壊すべき家
島の水を取り戻すには、祖母が遺した石蔵を壊さなければならない。
家を残すか。
水の道を残すか。
水守は、今回も答えを決めてはくれません。
第四話、人々が自ら選び、その手で水の道を開きます。
夜明けとともに、石蔵の解体が始まった。
島の建設業者、消防団、役場職員。
話を聞いた漁師や農家も、工具や投光器を持って集まった。
紬と航平には、石蔵へ近づかないよう何度も念を押された。
古い建物を壊し、水の溜まった地下を開ける。
焦ってよい作業ではない。
屋根瓦を一枚ずつ下ろし、梁を外す。
石壁は番号をつけてから解体された。
「また組み直せるようにですか」
紬が尋ねると、航平の父は額の汗を拭った。
「全部は無理でも、残せるもんは残す。壊すことと、捨てることは違うけんな」
母は少し離れた場所で、その言葉を聞いていた。
◇
昼前、床下の石室が姿を現した。
人がかがんで入れるほどの空間だったが、内部の石組みが安全だと確認されるまで、誰も入らない。
送風機で空気を送り、酸素濃度を測る。
カメラと照明を入れる。
石室には、二つの仕掛けがあった。
一つは、人の胸ほどもある大きな水門。
もう一つは、その脇に設けられた、腕ほどの幅しかない小さな石樋だった。
大きな水門の向こうには、水が溜まっている。
「こっちを開ければ、一気に流れる」
消防団員が大水門を指した。
「待ってください」
航平の父が止める。
「奥の状態が分からん。水圧が掛かったまま開けたら、石組みごと持っていかれる」
「じゃあ、ポンプで抜くか」
「土砂が詰まっとれば、吸えんぞ」
時間だけが過ぎていった。
正午の防災無線が、給水量のさらなる制限を告げる。
島民の表情に焦りが浮かんだ。
大水門を開けるべきだという声が強くなる。
紬は、石室の映像を見つめていた。
小さな石樋。
大きな水門。
祖母の童歌が、頭の中で繰り返される。
潮の戸を開くその前に。
山の小さき息を通せ。
「大きい方が、潮の戸なら……」
紬は手帳を開いた。
「先に開けるのは、小さい方じゃない?」
大人たちが振り返る。
「小さい方は、水門じゃなかぞ」
「息です。水を全部流す道じゃなくて、少しずつ圧を逃がすための道なんじゃ」
航平が映像を拡大した。
小石樋の上部には、丸い穴がいくつも穿たれている。
「空気抜きかもしれん」
航平の父が呟いた。
「先にこっちを通して、水位と圧を落とす。泥も少しずつ出せる」
役場職員が古い字図を確認する。
「小石樋の先は、井戸ではなく海側の排水溝につながっています」
大水門を守るための、逃がし水路。
それが、山の小さな息だった。
◇
作業が再開された。
長い道具を使い、石室の外から小水門に絡んだ木の根を切る。
土砂を少しずつ吸い出す。
やがて、小さな栓が動いた。
最初に出たのは、水ではなかった。
湿った泥が、低い音を立てて押し出された。
次に、黒い水。
腐った葉。
細い枝。
それらが小石樋を通り、海側の溝へ流れていく。
誰もが黙って見守った。
十分。
二十分。
濁った流れが、少しずつ薄くなる。
石室の圧力計が下がった。
「これなら、大水門を動かせる」
古い門は、すぐには開かなかった。
木の一部は朽ち、金具は赤く錆びている。
力任せに引けば壊れる。
左右から少しずつ土砂を除き、門を支えながら数センチずつ持ち上げた。
日が西へ傾くころ、門の下に細い隙間ができた。
一筋の水が流れた。
泥色だった。
それでも、海の方へ進んだ。
「来た……」
誰かが呟く。
門が、もう少し上がる。
水の筋が二つになり、やがて一つの流れになった。
石水路の底を洗いながら、山の水が下っていく。
紬たちは走った。
祖母の家の脇を回り、潮の井戸へ向かう。
暗い井戸の底から、ごう、と音がした。
黒い水面が盛り上がる。
底の横穴から、山の水が注ぎ込んでいた。
島民から歓声が上がった。
「まだ飲まんでください!」
役場職員が慌てて声を張る。
「水質検査が先です。井戸の中の塩分が下がるまで時間もかかります!」
歓声が笑いへ変わった。
誰も、すぐに飲めるとは思っていない。
それでも水は戻った。
奇跡ではなかった。
石を外した手がある。
泥を掻き出した手がある。
古い図面を読み、圧力を測り、開く順番を考えた人がいる。
そして、その始まりには、忘れられた童歌があった。
紬が井戸をのぞく。
流れ込む水の向こうで、青い衣が揺れた。
少女は、ほんの少しだけ笑ったように見えた。
お読みいただき、ありがとうございます。
祖母の童歌に隠されていたのは、古い水路を安全に開くための手順でした。
水守が示し、紬が気づき、島の人々が力を合わせる。
奇跡だけではなく、人の知恵と手によって、山の水は再び流れ始めました。
しかし、水守とは何者なのか。
そして、祖母が遺したもう一冊の記録には、何が記されているのか。
次回、最終話「水の帰る道」。
三十六の水守伝承と、二つの「白瀬湊一」の謎へつながります。




