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第8話 美形な同僚の正しい観察法

 古井戸での奇病騒ぎから数日後。


 ミリィアはあの不穏な木札のことなど綺麗さっぱり忘却し、朝から上機嫌だった。

 彼女にとって、呪術だの陰謀だのという非物理的な事象は、植物の葉脈の美しさに比べれば記憶の片隅に置いておく価値すらないのだ。


「今日は薬草園裏の森まで足を延ばして、植生調査をしようと思います」


「また随分と楽しそうだな」


「楽しいです。この辺りは王都では見られない品種が多いと聞いていますし、先日の記録にあった希少種も、もしかしたら自生しているかもしれません」


 道具袋を背負い、鼻歌でも歌い出しそうな足取りで歩くミリィアの後ろを、アッシュがついていく。

 ベルタから「一人で行かせるのは危ないから」と言われたから、というのが表向きの理由だったが、本人がそれをどこまで額面通り受け取っているかは怪しいところだった。


 森は思っていた以上に深く、下草も生い茂っていた。

 ミリィアは足元よりも視線の高さ――木々の合間や、朽ち木の陰――にばかり気を取られていた。


「ありました。 これ、噂に聞いていた品種かもしれません」


 しゃがみ込んで葉の裏を確かめていたミリィアが、興奮気味に立ち上がった、その瞬間だった。


「あ」


 足元の落ち葉に隠れていた窪みに、爪先が滑り込む。

 体勢を崩したミリィアは、そのまま小さな穴の中へと、あっけなく転がり落ちた。


「――っ」


「ミリィア!」


 アッシュが駆け寄る頃には、ミリィアは穴の底で、片足を抱えて座り込んでいた。


「おい、大丈夫か」


「大丈夫です。ただ、足首を少し。……この穴、恐らく小動物の巣穴の跡ですね。落ち葉で覆われていて分かりませんでした」


「今、そんな考察をしてる場合か」


 アッシュは小さく息を吐くと、躊躇いのない動きで穴に降り、ミリィアの足首を確かめ始めた。

 手つきは驚くほど手馴れていて、腫れの具合を確認する指先の動きにも、迷いというものがまるでなかった。


「骨は折れてないな。捻挫だろう。少し腫れているが」


 そう言いながら、アッシュは道具袋から手早く布を取り出し、慣れた手つきで足首を固定していく。

 その一連の動作は、一番初めに荷馬車の車軸を前へしてあたふたしていた男と、とても同一人物とは思えないほど滑らかだった。


 ミリィアはその様子を、痛みを堪えながらも、ぼんやりと眺めていた。


(この人、綺麗な顔をしている)


 至近距離で見下ろされる形になったアッシュの顔立ちを、ミリィアはごく自然にそう評価した。


 整った鼻筋、長い睫毛、作業に集中している時の真剣な表情。

 造形として、明らかに飛び抜けて整っている部類に入る。


(骨格のバランスが良いのかな。それとも、単純にパーツの配置の問題か……ダリヤの葉の黄金比に近いかもしれない)


 そこから先、ミリィアの思考は特に動かなかった。

 心臓が跳ねることも、頬が赤らむこともなく、ただ「よくできた顔だ」という感想が、目の前の植物の葉脈を観察するのと同じように頭の中を流れていく。


「……おい。そんなに見つめられると、流石の俺も少しやりにくいんだが」


「あ、すみません。手馴れているので、つい見入ってしまいました」


 アッシュは一瞬、何かを期待して透かされたような顔をしたが、結局それ以上は追及せず、布を結び終えた。


 世の令嬢たちを赤面させてきた自分の顔面が、目の前の女には「珍しい葉脈」程度にしか認識されていないことを、彼はまだ正確には把握していなかった。


「これで一旦は大丈夫だろう。歩けそうか?」


「はい、問題ありません」


 ミリィアは立ち上がろうとして、思ったより痛みが強かったのか、小さくよろめく。

 アッシュは即座に腕を支える。


「無理はするな」


「大丈夫ですよ、これくらい」


「さっき穴に落ちた人間の台詞とは思えないな」


「あれは不可抗力です」


「君は、大抵のことを不可抗力で片付けようとするな」


 軽口を叩き合いながらも、アッシュはミリィアの体を支えたまま、慎重に穴の外へと導いていく。

 その手際も、支え方も、まるで危なげがなく、自然だ。


 ミリィアはふと思う。


(本当に、何でもそつなくこなす人だ)


 治癒師としての知識、応急処置の技術。

 荷馬車の修理は下手だったはずなのに、こういう場面での手際は妙に良い。

 ちぐはぐと言えばちぐはぐだったが、ミリィアはそれを深く追及するほどの興味を、今のところ持っていなかった。

 目の前の植物の方が、よほど気になっていたからだ。


「そういえば、先ほどの品種、まだ確認できていません」


「今、その話をするか普通」


「だって……気になります」


「足首を捻ったばかりの奴の台詞じゃないな、それは。少しは大人しくしてろ」


 結局、その日の植生調査は、アッシュに半ば強制される形で切り上げられることになった。

 ミリィアは終始「もう少しだけ」と食い下がっていたが、アッシュの方が一枚上手で、気づけば薬草園への帰り道を、半ば抱えられるように歩かされていた。

お話の続きが気になる!面白いかも!?と少しでも思っていただけましたら

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