第6話 奇病と記憶の糸口 ②
「アッシュさん? ここからは実地検証と実証実験になりますが、お疲れでしょうか?」
「いや、問題ない。実地検証はともかく、実証実験ってのは……」
「患者さんの体ではなく、これから裏の林で新しく採ってくる果実と水を使って健康体で試しますので」
「それはそれで、別の意味で不安だな」
ミリィアは気にした様子もなく、道具袋を担ぎ直して歩き出した。
アッシュは小さく息を吐いてから、その後を追った。
医師に聞いた古井戸の裏手には、薄暗い雑木林が広がっていた。
町からそう離れていないはずなのに、風の音がやけに遠く聞こえる。
空気がひんやりと淀んでおり、足を踏み入れるのを躊躇うような空気が漂っていた。
だが、ミリィアはどこか高揚する気持ちを押さえきれないようで、きょろきょろと左右に視線を配りながらずんずんと歩いていく。
足元にまったく注意していないその危なっかしい歩き方に、アッシュは彼女より半歩先回りしては、つまづきそうな石ころや木の枝を靴先で蹴飛ばして散らした。
「あ、ありました」
そんなアッシュの気配りにまったく気が付かないミリィアが、弾んだ声を上げた。
彼女の指さす先に、アマンの低木の茂みがあり、ぱきりと踏みしだかれた枯れ枝の音に、小動物が慌てて逃げていく。
低木にはまだ瑞々しい小ぶりな赤紫の果実がいくつも残っていた。
ミリィアは指先でひとつぶ根元から折取り、少し袖口で拭いてから、迷うことなく口の中に放り込んだ。
「本当ですね、甘くて美味しい。私、はじめて食べました」
心の底から嬉しそうに破顔したミリィアに、一瞬だけ、アッシュは呆気にとられた。
こんなにも無防備で年相応に笑う人間なのだと、平生は淡々と言葉少なに物を言う彼女からは、まったく想像出来なかったからだ。
「……おい。毒の出処を調べに来てるのに、野生の木の実をいきなり口に入れる奴があるか。せめて洗ってからにしろよ。獣だってそいつを食っているみたいだぞ」
茂みの影からこちらの様子を伺っているリスを見ながら、アッシュは苦言を呈した。呆れた口調ではあったが、彼自身、先ほどの彼女の笑顔に動揺したのを誤魔化している自覚があった。
「まあ、そうですね。あとで先程の古井戸で洗います」
ミリィアは言いながら、傷の無いアマンの果実をいくつか摘み取り、袋に詰めていく。
やがて、茂みの奥深くに手を突っ込んだミリィアの動きが、ぴたりと止まった。
ぱちぱちと瞬きをする彼女の表情が、何かを雄弁に語っている。
それは、ずっと探し求めていた珍しいおもちゃをようやく見つけた幼子のような、いっそあどけない表情だった。
「……見つけました」
「何がだ?」
アッシュが覗き込むと、アマンの低木に絡みつくようにして、別の植物が自生していた。
それは赤紫色の茎を持ち、アマンの実とよく似た、黒みがかった紫色の小さな果実をブドウの房のようにぶら下げているツル性の植物だ。
果実の表面には、先ほど患者の籠の中で見たのと同じ、微かな斑点がある。
「アマンの木に寄生するように育つ毒草です。果実の見た目も味もアマンに酷似していますが、根や種子には強い毒性がある、シーナイという植物ですこれ」
「なるほど。ただの偶然で混ざったというわけか」
「それはどうでしょうか……」
ミリィアはツルを辿り歩き始める。
恐ろしく長いツルは古井戸の裏手にまで伸びていた。
古井戸の石積みの隙間からは、その毒草の太い根がびっしりと張り込み、地下水へと垂れ下がっている。
「アッシュさん、見てください。このシーナイの根が、完全に井戸の水脈に浸かっています。……果実を食べなかった町の人たちは、この毒素が溶け出した地下水を生活用水として摂取してしまったから発症したんです。比較的体の弱い方……ご老人や子供の患者さんが多いのはそれが理由かもしれませんね」
「なるほど、水脈からの集団中毒というところだな。とはいえ、こんな都合よく毒草が井戸に根を張るものだろうか?」
「あ――この根の周辺の土、最近人為的に掘り返された形跡があります。そもそもシーナイの毒性は、本来ここまで強力でも、成長が早いわけでもないはずなんです――」
ミリィアの視線が、古井戸の縁の土に半ば埋もれている『何か』に釘付けになった。
彼女の指差す先には、見慣れない奇妙な顔料で文様が描かれた、焼け焦げた木札のようなものが落ちていた。
「この木札……妙な刺激臭がします。特殊な鉱物か顔料が塗られているようですが、誰かがこうした怪しい薬剤を土に混ぜ込んで、毒草の成長と毒性を強制的に高めた痕跡かもしれません。とはいえ、無差別すぎますよね。コトラの町に恨みでもあったのでしょうか」
ミリィアはあくまで、現状から分析していた。
しかし、その木札の文様を見た瞬間、アッシュの目から完全に温度が消えた。
(……薬剤じゃない。これは旧ラサレイアの『呪術陣』だ)




