第5話 奇病と記憶の糸口 ①
その報せがフェリカ薬草研究院に届いたのは、ミリィアが赴任してから半月ほど経った、よく晴れた朝のことだった。
「近くの町で、原因不明の病人が何人も出ていて、助けを求めたい!」
息を切らして駆け込んできたのは、町から使いに来た若い男だった。
ベルタが盛大に眉をひそめる。
「原因不明というのはどういうことだい」
「それが……医者も匙を投げちまって。似たような症状の患者が、この三日でもう五人。手足が痺れて、目がかすんで、酷いのは意識が朦朧としてるとか」
「例えば、食あたりなんかは?」
「最初はそうあたりをつけたんだが、家族はみんな同じものを食べても平気で、当人だけがな……」
ベルタは即座に、近くで書類整理をしていたミリィアとアッシュに目を向けた。
「二人とも、行ってきておくれ。うちの薬草園から今すぐ出せる人手は、それくらいしかいないからね」
「了解」
アッシュが即答する横で、ミリィアはすでに道具袋の中身を確認し始めていた。
目が輝いている、とまでは言わないが、口元を若干緩めている。
「正体不明の症状というのは、非常に興味深いですね」
「……君のその『興味深い』は、大抵において不吉な前触れだってことに、最近気づいてきたよ」
「ありがたく褒め言葉として受け取っておきます」
二人は連れ立って、コトラの町へ向かった。
町に着くと、若い男から聞いた話は、決して大袈裟ではなかった。
小さな診療所には、青白い顔をして横たわる患者が何人も並び、家族が不安げにその傍らに付き添っている。
「奇病だ、なんて言われてましてね。いやはや」
案内してくれた町の医師は、疲れ切った顔でそう言った。
「熱もない、傷もない。なのに手足が痺れて、視界がぼやける。私の見立てでは……いや、正直、お手上げです」
「発症する前、皆さん、何か共通して口にされたものとかあるんでしょうか? もしくは同じような場所に行ったとか、行動をしたとか」
ミリィアが尋ねると、医師は首を振った。
「それが、聞き取りをしても要領を得なくて。例えば同じ食卓を囲んだ家族でも、発症する人としない人がいるものですから」
「体質による感受性の差、という線もありますが……」
ミリィアは患者の一人――若い女性だった――の手を取り、爪の色や皮膚の状態を注意深く観察した。
それからおもむろに鼻を近づけて、患者の吐息の匂いを僅かに嗅ぐ。
アッシュが慌てて、ミリィアの腕を取って行動を制そうとしたのだが、一足遅い。
「大丈夫ですよ、感染するものではありません。恐らく」
「出たな、君の口癖の恐らく」
アッシュの呆れたような合いの手には答えず、ミリィアはさらに患者の枕元に置かれていた籠――どうやら見舞いの品らしい――に目をつけた。
中には、艶やかな赤紫色の小さな果実がいくつか入っている。
「これは、どちらで採れたものですか」
「ああ、それは……林で採れた『アマンの実』です。甘くて美味しいからと、皆で分けて」
「同じ籠から採った果実を、家族の中でも食べた量に差はありましたか」
「そういえば……娘は好物だからと、食事の時にも多めに食べていたような」
ミリィアは果実を一つ手に取り、ヘタの裏側、皮の質感、僅かに残る青臭い匂いを丹念に確かめていく。
しばらくして、小さく頷いた。
「恐らく、これですね」
アッシュは深く息をついた。
「毎回、君のその『恐らく』の後に、途方もない話が続く気がするんだが」
「毎回ではありませんよ」
ミリィアは果実を町医師に示しながら、淡々と説明を始めた。
「この果実、見た目は食用の『アマンの実』とよく似ていますが、ヘタの形と、皮の表面にある微かな斑点――毒性のある近縁種が紛れ込んでいます。この手の毒は、症状が緩やかに出るため、量を多く摂った方から先に発症するのが特徴です。家族の中でも食べた量の差が、そのまま発症の有無に繋がったのだと思います」
「はい。果実を食べた娘さんの発症が早かったのは事実ですが、他のご家族については別の要因が考えられます。もし植物による中毒症状ならば、全員が共有している『別の何か』――例えば、水脈などを調べる必要があります」
医師が、食い入るように尋ねた。
「解毒は、できるのですか」
「ええ。幸い、似た症例の記録を、以前どこかで読んだ覚えがありまして」
ミリィアは目を伏せて記憶を辿る。
――それは彼女が幼い頃、亡き父の書斎で読み耽った、古い書物の一節。
古びた羊皮紙の手触り、インクの掠れ具合、余白に書き込まれた父のメモの筆跡まで、彼女の脳裏には今読んでいるかのように鮮明に浮かび上がっていた。
「この辺りに、アマンの群生地や、皆さんが普段使われている水源は有りますか?」
ミリィアの問いに、医師が大きく頷く。
「町外れの古井戸の裏手だ。あそこの水は質が良くて、周りの家はみんなあそこから水を汲んでいる」
「ありがとうございます。行ってみます」
その様子を、アッシュは少し離れた場所から見つめていた。
彼の表情から、いつもの飄々とした余裕が、僅かに――本当に僅かにだが――抜け落ちていた。
(緩やかに進行する痺れと、視界のかすみ……)
それは、彼にとっても決して初めて聞く症状ではなかった。
かつて、母が命を落とす前に見せていた症状と、酷似していたのだ。
とはいえ、遅効性の毒物の効果など、いずれも似たり寄ったりなのだが。
そう自分に言い聞かせながらも、アッシュはミリィアの横顔から、しばらく目を離せずにいた。




