第4話 毒薬令嬢と色褪せない記憶 ②
薬草園での一日の業務は、地味そうに見えてなかなかに忙しい。
畑仕事、標本整理、古い記録の読み解き――やることは山ほどあったが、ミリィアにとってそのどれもが苦にならない。
婚約者の相手をする社交の時間がなくなった分、以前より生活は充実しているとさえ言えた。
問題は、その作業のほとんどに、なぜかアッシュが顔を出すことだ。
人付き合いはそれほど苦手では無いのだが、四六時中誰かと一緒に行動するという経験を今までしたことが無い。
「今日はこちらの区画の土壌調査を頼めるかい?」
ベルタにそう指示された日、ミリィアが道具を抱えて畑に向かうと、すでにそこにアッシュがしゃがみ込んでいた。
「奇遇ですね」
「奇遇だな」
ミリィアはさして疑問にも思わず、隣にしゃがんで土を掘り始めた。
「アッシュさんも、土壌調査を?」
「いや、俺は別件で薬草の状態を見に来ただけだ。……たまたま」
妙な間があったが、ミリィアは深く考えなかった。
単純に手が足りていて助かる、程度の認識だ。
しばらく無言で土をいじっていたが、ミリィアがふと採取した根の一部を鼻先に近づけて匂いを嗅いだので、アッシュの手が止まった。
「……おい。そんなに無防備に匂いを嗅いでも大丈夫なものなのか? 口覆い布は?」
「これはドクウツギの根です。皮膚から吸収されるほどの毒性はありませんし」
「それを聞いて、余計に不安になったんだが」
「知識があれば怖くありませんよ」
アッシュが呆れたように言葉を返す。
「知識がある奴ほど、大抵そうやって痛い目を見るもんだと思う」
「私はまだ、一度も見たことがありません」
「単に運が良かっただけではないか?」
ミリィアはきょとんとした顔で、アッシュを見つめる。
「アッシュさんは、随分と心配性ですね」
「君が心配性じゃなさすぎるだけだと思う」
この手のやり取りは、赴任から一週間もしないうちに、ほぼ日課のようになっていた。
ミリィアのいっそ適当にも見える行動を、アッシュが律儀に突っ込む。
そして、ミリィア自身は「指摘されている」とすら思っておらず、単なる会話のキャッチボールとして受け止めているのが、また始末が悪かった。
「そういえば、アッシュさんはいつも他の治癒師の方より仕事が早いですね」
「そうか?」
「先日の中毒患者の対応も、症状を見ただけで原因の見当をつけていましたし。普通の治癒師なら、もう少し時間がかかるものだと思うのですが」
「……昔、少しばかり仕込まれたものでね」
「どちらで?」
「さあ、どこだったかな。昔のことすぎて忘れてしまったよ」
アッシュは笑ってはぐらかしたが、その笑い方があまりに滑らかだったので、ミリィアは一瞬「今の、質問に答えていない」と気づいたものの、ちょうどそこで新しい根が目に入り、思考はそちらに持っていかれてしまった。
「あ、これ、見てください。すごく良い状態のダリヤの根です」
「おい。素手で掴んでいいのか?」
「ええ。この種の毒性は主に葉と茎に集中していますから。ただ、この根もすり潰して乾燥させると、微量の幻覚作用を引き起こす粉末になるんです。昔、東方の暗殺者が標的の寝室に香として混ぜたという記録が――」
「わかった、わかったから。嬉々として暗殺の歴史を語るな」
「だって、貴重な検体です。後で標本室の古い記録と照らし合わせて、効果を見て見みたいです」
アッシュは小さく息を吐いた。
先ほどまで向けられていた彼への疑念の芽は、目の前の毒草によって完全に上書きされてしまったらしい。
「君の頭の中は、本当に毒草でいっぱいなんだな」
「何か言いましたか?」
「いや? 俺が幻覚を見る前に、早くそれを袋にしまってくれと言っただけだ」
「だから、加工しなければ無害ですから」
そんな調子で、二人の会話はいつも脱線し、いつも噛み合わないにも関わらず、途切れなかった。
ベルタは遠くからその様子を眺めながら、隣にいた研究員のトビアスにこっそり耳打ちしている。
「……ありゃ、なんだい。えらく気安く話すようになったじゃないか、アッシュの奴」
「珍しいですよね。あの人、基本的に誰とも一定の距離を保つのに」
「ミリィアの前だと、なんか違うねえ」
「アッシュさん自身は絶対、それを自覚してないと思いますけどね。彼女って若くて可愛いのに、なんていうか媚びてないところが好感持てますし」
その会話は、当のミリィアにもアッシュにも届かなかった。
畑の中で、ミリィアは黙々とダリヤの根を掘り続け、アッシュはその隣で、律儀に「手がかぶれるぞ」と口を挟み続けていた。




