第33話 告白
アッシュがフェリカ薬草研究院に戻ってきたのは、初雪の便りが聞こえ始めた頃だった。
馬車から降り立った姿を見た瞬間、ミリィアは自分でも驚くほど素直に安堵の息を漏らした。
「お帰りなさい、アッシュさん」
「出迎えてくれて、ありがとう」
いつもの飄々とした調子で応じたものの、アッシュの瞳には以前より幾分か強い光が宿っているように見えた。
「王都でのご用事は」
「一応、片は付いた。詳しくは、追い追い話す」
返された声音に以前のような完全なはぐらかしの色はなかった。
何かを隠しているというより、もう少し落ち着いた場で話したいという含みが感じられる。
「随分と大変な思いをしたみたいだな、此処も」
「ご存知でしたか」
「……今回の件については、多少思うところがある」
意味ありげな物言いにミリィアは首を傾げたが、とにかく、彼が無事に戻ってきたことが今は何より嬉しい。
だが、安堵も束の間だった。
夕刻、薬草園の門前に数人の一団が姿を現す。
「何者だ」
門番が誰何する声に、ミリィアも何事かと様子を窺った。
現れたのは、街道を逸れた時の襲撃の際に一度だけ見た、あの灰装束の一団だった。
「アシュレイ様は、こちらに」
呼びかける声は、以前にも増して切迫していた。
ミリィアが目を丸くする中、アッシュが慌てた様子で駆け寄る。
「何事だ。まさか、また」
「王都の件、こちらでも動きがございました。薬草園への圧力が想定より急速に強まっております。念のため、警護の人数を増やすようにと、陛下より直々のご指示が」
『陛下』という単語を耳にした瞬間、ミリィアの体が強張る。
(陛下)
思わず口の中で反芻する。
装束の男はミリィアの存在に遅れて気づいたらしい。
だが既に口にした言葉を今更取り消すこともできず、気まずそうな顔をしただけだった。
脳裏で、これまでのあらゆる違和感が一斉に像を結び始める。
光属性の魔力。
名門アウテレジアの家紋が入った布袋。
「アッシュさん」
ミリィアの声は、いつになく冴え渡っていた。
「あなたは」
核心を言葉にすることを一瞬躊躇ったものの、もう誤魔化しようのない事実が目の前にある。
「王弟殿下、なのですか」
問いかけに対し、アッシュは何も答えなかった。
ただ、これまでの飄々とした仮面を完全に脱ぎ捨てるようにして、彼女と真っ直ぐに向き合う。
「ああ」
短い、しかしこれまでのどんな言葉よりも重い響きを持った肯定だった。
「アシュレイ・アウテレジアと言う」
思いがけない名乗りに、ミリィアはしばらく言葉を失っていた。
★
その夜、薬草園の一室で二人は向かい合っていた。
いつもの温室ではなく、あえて選ばれた人目のない客間だ。
卓上の灯りが、二人の間の空気を揺らめきながら照らしている。
「どこから話せばいいのか」
アッシュが切り出したものの、言葉を続けるまでに僅かな間が落ちた。
「母が政略で先王に嫁いだ、名門ばかりの名でろくな後ろ盾のない家の娘だったこと。……そして、その母が俺の幼い頃に何者かに命を奪われたこと」
彼は一つ一つ、言葉を選びながら語る。
「兄――現王は、俺の身を案じて政に関わらせないよう市井に紛れさせることにした。表向きは、俺自身が政治を厭う人間だという体裁でね」
「では、薬草園にいらしたのも」
「兄の配慮でもあり、俺自身が望んだことでもある。市井に紛れることは隠れ蓑であると同時に、母の死の真相を誰にも気づかれずに調べるための、都合の良い立場でもあったからな」
明かされた真実に、ミリィアは息を呑んだ。
「まさか、あの荷馬車での出会いも?」
「あれは正真正銘の偶然だ。……ただ君が、噂に聞いていた『毒薬令嬢』だと気づいてしまって……」
ここで初めて、アッシュは僅かに視線を伏せた。
「正直に言うよ。最初は、君の知識と異能を、母の死の真相に近づくための手掛かりとして利用できないかと考えた」
思い詰めたような告白を聞いても、ミリィアは黙って先を待つ。
「だが」
アッシュは再び、ミリィアへと視線を上げた。
「気づけば、それだけではなくなっていた。君が自分の体を実験に使うことを当然のようにする様を見た時。君が無自覚に危ういことをする度に、目的のためではなく、ただ君自身のためにそれをやめてほしいと思うようになっていたんだ」
不器用な本音に、ミリィアの胸の奥が確かに揺れた。
「なぜ、もっと早く教えてくださらなかったのですか」
責めるような響きはなく、ただ素直な疑問。
「怖かったからだ」
アッシュは吐き捨てるように答える。
「俺の身分を知れば、君がこれまでのように対等に接してくれなくなるのではないか。あるいは俺自身が、この身分に付随するあらゆる思惑や危険に、君を巻き込むことになるのではないかと」
自嘲めいた声には、これまで見せたことのない率直な弱さが滲んでいた。
「王妃様の一件も、あの襲撃も、蜂蜜も、花も、呪術陣も。君が辿ってきた謎の先に俺の母の死が横たわっていたのだと思い知る度に。君をこの因縁にこれ以上深く巻き込んでいいのかと、何度も自問したよ」
痛切な吐露を、ミリィアは黙って聞いていた。
やがて、彼女は口を開く。
「アッシュさん」
「アシュレイで構わないよ」
「では、アシュレイ様」
呼び方の変化に、アシュレイは僅かに目を見開いた。
「私は、あなたが王弟であろうとただの治癒師であろうと、正直なところそれほど大きな違いを感じていません」
予想外の反応に、アシュレイは意表を突かれたような顔をする。
「私にとって大切なのは、あなたがこの数ヶ月、私の隣でどんな風に過ごしてこられたかということです。応急処置をしてくださったこと。呆けている私に蜂蜜を匙で運んでくださったこと」
ミリィアは、はっきりとした声で続けた。
「それらは王弟という身分があってもなくても変わらず、私の記憶の中にそのまま残っています。身分を知ったからといって、それが書き換わるわけではありませんが……」
少し言葉を選ぶように、彼女は間を置いた。
「あなたが私を、目的のための道具として見ていた時期があったということには、少しだけ思うところがあります」
「……」
「あの、怒っているわけではありません。ただ、正直に話してくださったことに安心しています。隠されたままだったら、もっと辛かったと思うので」
誤魔化しのない真っ直ぐな言葉を受け、アシュレイは目を伏せた。
「……すまなかった」
「謝らないでください。それよりも」
ミリィアはそこで、いつもの調子を取り戻したように続ける。
「これからご母堂の一件について、どう進めていくおつもりなのか。伺いたいです」
淀みのない問いかけに、アシュレイは僅かに口元を緩めた。
「随分と切り替えが早いな」
「悠長にしている時間はないかと思いますので」
迷いのない返答に、アシュレイは破顔した。
作り物めいた笑みは既に剥がれ落ち、もっと素の顔が表に出る。
「ミリィア、共に真相を追ってくれるか」
「もちろんです」
ミリィアは迷いなく頷いた。




