第25話 失われた苦味
二度目の拝謁は以前とは違い、ジオーグの計らいもあって幾分か融通が利く形で叶えられた。
「正式な許可というより、私の裁量の範囲内での同席、ということにしておきます」
ジオーグはそう前置きしながら、ミリィアたちを王妃の寝室へと案内した。
相変わらず宮廷医師団の面々は薬草園の一行に対して冷ややかな視線を崩さなかったが、渋々ながら立ち会いを許した。
寝室に入るなり、ミリィアの目は真っ先に部屋の隅に置かれた一つの植木鉢に吸い寄せられた。
「あれは……?」
「ああ、それは先日お見舞いの品として届けられたものです。何でも、地方の貴族の方からの献上品とか」
案内の侍女がそう説明した。
ミリィアは努めて何気ない調子で、その鉢に近づく。
葉の形、花弁の色合い、独特の光沢。
間違いない。
(切り花だけではなく、鉢を持ち込むなんて)
根元の土に僅かに手を触れる。
まだ若い株で新芽らしきものは見当たらなかったが、根はしっかりと張っている。
「拝見しても?」
「構いませんが、何か」
「いえ、珍しい品種でしたので、つい」
当たり障りのない返答で誤魔化しながら、ミリィアは内心で確信を深めていた。
花と茎そのものに直接の毒性はない。
だが、この鉢がいずれ『根』や『新芽』の形で何らかの用途に使われる可能性は十分にあり得る。
(幸い、今のところ致死量に至るような急性の毒ではありません。……ただ)
それがかえって厄介なのだ。
緩やかに、しかし確実に体力を奪っていく毒。
しかも、王妃は現在懐妊中の身だった。
(母体だけでなく、お腹の子にまで影響が及んでいるとしたら)
その懸念を胸に、ミリィアは王妃本人の様子に目を向けた。
「失礼ですが、お加減について伺ってもよろしいでしょうか」
寝台に横たわる王妃は、力なく頷いた。
傍らに控えていた宮廷医師の一人が、面倒くさそうに眉を寄せる。
「そのような問診は、我々が既に済ませている」
「恐れ入りますが、念のためもう一度確認させていただければと」
その医師があからさまに気乗りしない態度を見せていると、ジオーグが絶妙な間合いでその肩を叩いた。
「先生。実はこちらの薬の調合記録についてご相談が。急ぎのようなのですが」
「今、それどころではないだろう」
「陛下からの内々のお尋ねだと伺っておりますので」
その一言に医師は渋々といった様子で腰を上げ、ジオーグに連れられて部屋の外へと出て行った。
残された時間は恐らくそう長くない。
ミリィアは、すぐさま王妃の傍らに膝をついた。
「お食事は、しっかりと召し上がれていますか」
「……あまり食が進みません。特に脂の多いものは、匂いだけで気分が悪くなって」
「それは、いつ頃からでしょう」
「半月ほど前からでしょうか」
「お通じの方は」
あまりに率直な問いに王妃は戸惑った様子を見せたが、それでも正直に答えてくれた。
「……色が、いつもより濃い気がします。回数も減っているような」
「痛みや、違和感のある場所は」
「胸の下から脇にかけて、時折鈍い痛みが」
「それは食後に強くなりますか。それとも、時間に関係なく」
「食後の方が強い気がします」
ミリィアはそれらの答えを一つ一つ丁寧に記憶に刻みながら、王妃の爪の色や皮膚の状態を観察した。
(黄疸には至っていないけれど、肝の働きが僅かに鈍っている兆候がある。食後に強まる鈍痛、食欲不振、便の色の変化――)
そしてミリィアは息を吸い込み、核心を突く質問を投げかけた。
「それから、もう一つ。お食事の際や、お薬を飲まれる時、味覚に何か『変化』はございませんか?」
「味覚、ですか。……そういえば」
王妃は不思議そうに、だがどこか安堵したように微笑んだ。
「以前は飲むのがあんなに辛かった宮廷医師団の煎じ薬が、最近は不思議と飲みやすいのです。ちっとも苦くなくて。体が慣れて、少しずつ良くなっている証拠なのかしらと……」
無邪気なその言葉を聞いた瞬間。
ミリィアの背後で記録係として控えていたアッシュの呼吸が、ぴたりと止まった。
『アッシュ。今日の煎じ薬は、ちっとも苦くありませんね。私、きっと良くなっているのね』
かつて、亡き母が死の直前に、微かに笑ってこぼした言葉と重なる。
一方のミリィアもまた、目を伏せて息を呑んでいた。
(宮廷医師団の煎じ薬が苦くないはずがない。特定の味覚、『苦味』だけが完全に麻痺している……? 自然の病ではあり得ない、局所的な異常かもしれない)
薬の苦味を消し去り、患者本人に「治ってきている」と錯覚させながら、致死量まで毒を蓄積させていく。
(……なんて恐ろしい毒。これなら処方した医師でさえ、ただの衰弱死だと見誤る。父が遺した研究記録の、あの破り取られたページの先に書かれていたのは……もしかしたらこのことだったのかもしれません)
あの花の根に含まれる未知の成分と、王妃の無邪気な錯覚が、今ミリィアの中で恐ろしい可能性の像を結んだ。
もう少し詳しく尋ねようとした、その時だった。
「エリィフィール、加減はどうだ」
扉が開き、現れたのは王だった。
急な訪問に、その場にいた侍女たちが慌てて礼を取る。
ミリィアも慌てて頭を下げ、アッシュもまた視線を深く落とす。
「陛下」
「構わぬ、続けよ」
王はそう言うと、寝台の傍らに歩み寄った。
ミリィアが咄嗟に身を引こうとするのを、王は手で軽く制する。
「そなたが、薬草園の。……先だっての報告、私も目を通している。続けてくれて構わぬ」
その言葉にミリィアは一瞬だけ戸惑ったものの、すぐに気を取り直した。
「畏れながら、陛下の御前ではございますが、いま少し伺いたいことがございます」
「許す」
その一言で、それまで及び腰だった侍女たちの態度も明らかに変わった。
王直々の許しがある以上、誰も口を挟むことはできない。
「王妃様、恐れ入りますがもう少し伺ってもよろしいでしょうか。……夜間、眠りの浅さや寝汗の量については」
「夜中に何度か目が覚めます。汗も、以前より多い気がします」
「お腹の張りや、動きに変化は」
「時折、張りを感じることがあります。子の動きは、今のところ変わらないと思いますが」
ミリィアは、そのすべてを丁寧に記憶に刻み込んでいった。
王は、その様子を黙って見守っている。
その目には、これまでの宮廷医師団への視察とは明らかに異なる、切実で真剣な光があった。
(この方は――)
ミリィアにはまだ知る由もなかったが、王の眼差しの奥には、かつて慕っていた女性を、そして今また愛する妻を同じ轍で失いかけているという深い焦燥が滲んでいた。
やがて、ジオーグに連れ出されていた宮廷医師が戻ってくる気配がした。
ミリィアは素早く問診を切り上げ、深く一礼する。
「貴重なお時間を、ありがとうございました」
「いや。……そなたらの見立てに、期待している」
王の短い一言を背に受けながら、ミリィアは寝室を後にした。
頭の中には、これまでで最も多くの、そして最も決定的な手がかりが、確りと刻み込まれていく。




