第23話 美しき毒花
王妃の毒の正体を探る手がかりは、思いもよらない場所から繋がった。
「アッシュさん、少し確認したいことがあります」
ミリィアは真剣な面持ちでアッシュを呼び止めた。
「王妃様の寝室にあった花瓶の花――淡い紫色をした大輪の花です。あれと同じ品種を先日、別の場所で見かけたんです。結界の張られていた庭園です」
アッシュの表情が僅かに動いた。
「あそこに?」
「はい。花壇の隅に。花弁そのものと茎の部分を調べた限りでは、これといった毒性は見られません。美しいだけの無害な花です。ただ」
ミリィアは雑記帳のページをめくった。
「……この品種、完全に乾燥させた『根』と、摘み取ってから一刻以内に処置しなければならない『新芽』にだけ、遅効性の毒性が生じるという記述です」
「花と茎は無害で、根と新芽だけに毒があるってことか」
「ええ。しかも新芽の方は、時間が経つと毒性そのものが失われてしまうという、非常に扱いの難しい性質のようです」
アッシュはしばらく黙り込んだ。
「その品種の名前は?」
「文献には異国の呼び名でしか記載がなく、この国での正式な名称までは分かりませんでした。ただ、特徴は間違いないかと」
その言葉に、アッシュの記憶の奥底で何かが致命的な音を立てて繋がった。
幼い頃、母の庭にもこれとよく似た花が咲いていた気がする。
当時のアッシュには花の名前を気にする余裕などなかったが、あの独特な花弁の形と色合いだけは記憶の片隅に鮮明に残っていた。
先日倒れた王太后も、「あの人が好んでいた花を絶やさぬようにしている」と語っていたではないか。
(母上はこの花を美しいと愛でていた。花そのものは無害だから誰も疑わなかった。だが、その足元にある『根』こそが……毒だったというのか)
あまりにも残酷な皮肉に、アッシュの胸の奥で悪寒が渦を巻いた。
「アッシュさん?」
「……いや、少し見覚えがある気がして」
「見覚え、ですか」
「昔、似たような花を見たことがある気がしただけだ」
アッシュはそれ以上は語らなかった。
ミリィアも深くは追及せず、話を続ける。
「念のため、この温室にも同じ品種がないか確認しました。栽培されている記録も現物も見当たりませんでした」
「じゃあ、この温室とは無関係だと?」
「……と思っていたのですが」
ミリィアは少し困ったような顔をした。
「温室の横にある倉庫、古い種の保管棚を整理していたところ、種子が奥の方に仕舞われていました。ラベルには品種名が書かれていて」
「育てられていた形跡は?」
「温室そのものは、私たちが見た通り長い間放置されていますしそれは無いと思います。種子だけが丁寧に保管されていました」
その言葉に、二人の間に重い沈黙が落ちた。
「厄介なことに、今の季節ではあの花は満開の時期で、新芽はとうに育ちきってしまっています。……新芽の状態でなければ検証できない以上、来季まで待たなければ確実な証拠は掴めません」
「それじゃあ遅すぎるな」
「分かっています。ですが、乾燥させた根であれば今からでも採取と検証は可能です。あの庭の主のお許しをいただければ、の話ですが」
花壇の花と、倉庫の種子。
同じ品種が、なぜ両方に存在するのか。
その問いに答えられる者は、この場には誰もいない。
ただ、アッシュの脳裏には拭い去れない一つの確信めいた考えが根を張り始めていた。
この毒が結びつけているのは、単に現在の王妃の一件だけではない。
母の命を奪い、ミリィアの両親を殺した過去の陰謀と現在の宮廷が、一本の線で繋がっているのかもしれない。
★
かつての宮廷医師たちの記録を辿ることになったが、公文書を保管する王宮の書庫は外部の者には容易に開かれなかった。
「入り口で揉めているようですが、何かお困りで?」
書庫の入り口で足止めを食らっていた二人にそう声をかけてきたのは、地味な文官服に身を包んだ初老に差し掛かった男だ。
「俺たちは、過去の薬草や種苗の管理記録を調べたいんだが、外部の人間だという理由で許可が下りなくて」
「種苗の管理記録なら、今の私の管轄です。私から司書に口利きをしましょう」
男はそう言って、書庫の番人に何やら身分証を示した。男の役職は薬品保管庫の管理官――宮廷医師団の中でも、決して目立つ立場ではない閑職だ。
「失礼ですが、あなたはもしかして」
男は少し驚いたように目を丸くした。
「ミリィア・ヴィスコンティ嬢、ですね。お顔立ちがよく似ていらっしゃる」
「ええと」
「あなたのお父上の元同僚ですよ。……昔、同じ師の下で共に学んだ仲間でした。私はジオーグと申します」
その一言に、ミリィアの表情が僅かに動いた。
「父の、兄弟弟子の方……」
「ええ。私たちは年も近く、当時は随分と張り合ったものです。私よりも、あの人の方が遥かに筋が良かったですがね」
ジオーグは懐かしむように目を細めた。
だが、すぐにその表情に深い影が差す。
「あの一件の後、私はろくに何もできなかった。共に学んだ仲間の死因すら突き止められず……無能の烙印を押されて、今はこうして薬棚の管理をしております」
「あの一件、というのは」
「あなたのご両親の死を含めた、過去に猛威を振るった奇病の件です。……親しかった相手の死因すら明らかにできませんでした。当時の私には力が足りなかったのです」
その声には、長年にわたって溜め込んだ悔恨が滲んでいる。
「今更ながら、ミリィアさんが薬草園から招聘されたことに関しては、少し思うところがありましてね。もしかしたらあなたなら……あの時、私が突き止められなかった真実に辿り着けるのではないかと」
書庫の中へ招き入れられた後、ジオーグは迷いのない足取りで棚の奥へと進み、埃を被った古い台帳を一冊取り出した。
「これは当時の種苗の管理記録です。お探しの品種があるなら、この中に何か手がかりがあるかもしれません」
ミリィアは記録を開いた途端、顔色を変えた。
記録を丁寧に確認していく。
やがてある一節でミリィアの手が止まった。
「これ」
台帳の一角に目当ての品種の名が記されていた。
異国由来の花で、当時『ある宮廷医師が、個人的に取り寄せて栽培していた』という記録だった。
「当時の宮廷医師って……まさか、父ですか?」
「いえ。……その医師はあなたのお父上ではありません。先代の王にお仕えしていた方で、随分と昔に宮廷を去っています。理由は記録には残っていませんが」
ジオーグは首を振った。
「ただ、この花については私にも微かに覚えがあります。……当時、随分と珍しい品種だと界隈で話題になったことがありましたので。……もっとも、詳しい性質までは私も存じ上げませんでしたが」
その言葉に、ミリィアとアッシュは顔を見合わせた。
(この品種が宮廷内で当時から知られていたということは)
ただの偶然ではない。
意図的にこの毒の知識を持つ者が宮廷の奥深くに蔓延っている証拠だった。
「ジオーグ殿。もし差し支えなければ、これからも俺たちに力をお借りできますか」
アッシュがそう申し出ると、ジオーグは少し驚いたような顔をした。
「私のような、閑職の人間にそのような」
「あなたの持つ過去の知識は、閑職に留めておくにはあまりにも惜しいものだと思います」
アッシュの言葉に、ジオーグの目に久しく忘れていたような微かな光が戻った。
「お力になれるなら、喜んで」
こうして、過去を悔い続けていた医師が二人の側に加わることになった。




