第20話 王の告白
検証を重ねること、さらに数日。
ミリィアはようやく、一つの推論をまとめ上げた。
「――現状で分かることは、ここまででしょうか」
温室の隅、ミリィアはアッシュとトビアスに向けて、静かに語り始めた。
「王妃様の寝室にあった香、花、それと寝具の防虫処理に使われていた薬剤。これらは、単体ではいずれも無害です。ですが、この三つが同時に、長期間、閉め切った空間の中で使われ続けた場合――ごく微量の、複合的な毒性が生じる可能性があります」
「複合毒、って……なんでまたそんなまどろっこしいものを」
トビアスが眉を寄せる。
「一つ一つの成分は、何の変哲もないものばかりです。だからこそ、これまで宮廷医師団の誰も、疑いすら持たなかったのだと思います」
「――誰かが、意図的にその組み合わせを?」
「うーん、それは、まだ分かりません」
ミリィアは、正直にそう答えた。
「偶然、悪い組み合わせが重なっただけ、という可能性も、否定はできません」
その言葉に、アッシュもトビアスも、しばらく口を開かなかった。
重い沈黙を破るように、アッシュが静かに問う。
「……ミリィア。君の両親の命を奪ったという『毒』も、これと同じものだったのか?」
「いいえ」
ミリィアは迷いなく即答した。
「緩やかに進行する症状や、あの日お話しした『瞳の光彩の退色』といった特徴は、かつて私の両親が遺した闘病の記録と、酷似しています。ですが、今回とまったく同じ材料ではありませんし」
「では……」
「例えばなのですが……父が遺した過去の『奇病の記録』のようなものを誰かが下敷きに、対象の生活環境に合わせて、近しい組み合わせで過去の『奇病』の症状を意図的に再現した――そんな可能性が高いということです。確証には、まだ遠いですし……宮廷医師団が、私たちの進言を素直に聞き入れてくれるかも分かりません」
その慎重な物言いに、アッシュは小さく頷いた。
(それでも、十分な前進だ)
少なくとも、何もかもが手探りだったこれまでよりは、進むべき方向が僅かに見えてきた気がした。
――ただし。
『過去の奇病を意図的に再現した』という推測が、アッシュの胸の内に重く引っかかっていた。
緩やかに確実に命を削っていく進行の様子や、光彩の退色という症状は同じでも、レシピそのものは別物。
それが、同じ犯人による手口の応用なのか、それとも過去の奇病を隠れ蓑にした別人の犯行なのか。
その答えは、まだ誰にも分からなかった。
★
その夜更け。
王宮の最奥、限られた者しか立ち入れない国王の執務室で、二人の男が向かい合っていた。
「――薬草園の者たちが、何か掴んだようだな」
「まだ、推論の域を出ていませんよ」
「それでも、これまでの宮廷医師団よりは、余程役に立っている」
玉座に腰を下ろす男――国王は、そう言って微かに笑った。
傍らに控えるもう一人の男、アッシュは、その笑みにいつもとは違う冷ややかな静けさで応じた。
「お前を呼んだのは、他でもない。そなたの母上のことだ」
その一言に、控えていたアッシュの肩が僅かに強張った。
「今更、何を」
「……お前は、当時のことをどこまで覚えている」
「多くは。ただ、覚えていることが正しいかどうかは、分かりませんね」
国王は、しばらく黙り込んだ。
「――そなたの母上は、始祖に連なる血筋というだけで、政略として亡き父王の元へ輿入れされた方だった。それ以上でも、それ以下でもない、はずだった」
「……はず?」
「私は、当時からそなたの母上を慕っていた。こういう感情を向けるのは褒められたことではないと分かっていたが……あの方の物腰、佇まい、そういったものに、幼心に随分と救われていたのだ」
アッシュは、何も言わなかった。
ただ、感情を殺した目で兄を見据えている。
「私の実の母上――今の王太后だ――は、そなたの母上とはまったく別の立場にいた。あの人は初めから己の強固な派閥を後ろ盾とし、ゴーシュの台頭にも早くから警戒していた人だ。だからこそ、私自身の王太子としての立場は、当時からそれなりに安泰だった」
「――では、なぜ」
「そなたの母上には、そうした後ろ盾が何もなかった。幼いお前を守る力も持たなかった。……そして、私が義母上を慕うあまり、異母弟であるお前を可愛がり、いずれ王位をお前に譲りかねないと危惧した者たちがいたのは事実だ」
国王の声には、血を吐くような苦い響きが滲んでいた。
「その者達が、私自身の立場を守るためだと言って、……緩やかな奇病に見せかけて消したのかもしれないと疑っている。お前が母の死を疑っているのと同じように。まあ、確たる証拠がないがな」
国王は、静かにそう答えた。
「だが、いずれ必ず突き止める。私自身のためにも」
沈黙が、二人の間に落ちた。
アッシュは、ようやく絞り出すように声を発した。
その声には、王弟アシュレイとしての重い怒りが微かに混じっていた。
「――ですが、陛下もまた、同じ道を辿ろうとしておられるでは、ないですか」
「エリィフィール王妃のことか」
「後ろ盾もない方を、王妃に据えられた。……それが、どれほど危うい選択か、分かっていながら」
国王はそう言われて、自嘲めいた笑みを浮かべた。
「ああ、分かっていて、なお私はその道を選んだ。血筋や身分だけで人の価値を計ることに意味がないと、そなたの母上を見てそう思うようになったからだ。それを曲げてまで、この座に留まる意味が私にはない」
「では、なぜ、今になってこれほど焦っておられるのでしょう」
「正しいと信じることと、それを守り切る力があることは、まったく別の話だと……ようやく思い知ったからだ」
国王は、静かに目を伏せた。
「王という権力と信念だけで、守るべきものを守れると思い込んでいた。だが、王妃の倒れる様を見て、私の足元がいかに脆いか」
その告白めいた言葉に、アッシュは何も返せなかった。
「だからこそ、今、この王宮外にある薬草園……フェリカ薬草研究院の者たちの推論にも縋っている。外からの視点が欲しい。感情論を抜いた客観的な意見とでもいえばいいだろうか」
窓の外では、王宮を浸食する深い闇が、さらに黒く更けていた。




