第17話 元婚約者と聖女 ②
ようやく王妃への拝謁が許されたのは、王都に到着してから、実に十日が過ぎてからのことだ。
「――許可が下りたとはいえ、あなた方はあくまで陪席のみです。診察には、一切の口出し無用に願います」
案内役の宮廷医師は、念を押すようにそう告げた。
「それと、魔道具の使用は、依然として認められておりませんので」
薬草園の面々のあっさりとした反応に、医師は拍子抜けした様子だったが、それ以上は何も言わず、一行を寝室へと導いた。
豪奢な天蓋付きの寝台に横たわる王妃は、思っていたよりもずっと痩せ細り、顔色も優れない様子だ。
傍らには、宮廷医師団の主だった面々が既に控えており、薬草園の三人――ミリィア、アッシュ、トビアス――は、部屋の隅、壁際に控えることしか許されなかった。
「――では、いつも通りに」
医師団の一人が合図で、作法に乗っ取った問診が始まったようだ。
脈を取り、舌の色を確認し、既に何十回と繰り返されたであろう質問が投げかけられる。
「お加減は、いかがでしょう?」
「……変わりません」
王妃の声は、か細く、疲れきっている。
医師たちは頷き合いながら、何やら専門用語混じりの言葉を交わし、薬湯を用意させる。
一連の流れには、淀みも迷いもなかったが、同時に、何か新しい試みをする気配もまるでない。
ミリィアはその様子を、黙って観察していた。
(脈は乱れているが、極端ではないです。顔色は悪いけれど、これは……単なる懐妊による体調不良というより、何らかの干渉による、慢性的な衰弱の兆候に見えます)
口を挟むことは許されていない。
だからミリィアは、ただ目を凝らし、耳を澄まし、そのすべてを正確な記憶として脳裏に刻み込むことに徹していた。
ふと王妃の視線が、部屋の隅に控えるアッシュの方へと静かに動く。
ほんの一瞬のことだ。
医師団の誰も、その視線の動きに気づかない。
トビアスも、書類の控えに気を取られて、それどころではなかった。
アッシュ自身は、完璧な無表情を貫いている。
だが、ミリィアだけは、見ていた。
王妃の目がアッシュの姿を捉えた瞬間――その目尻に、ほんの微かに、後悔の色が滲んだのを。
感情の揺らぎ、とでもいうものだろうか。
すぐに王妃はそれを堪えるように目を伏せ、何事もなかったかのように、医師の問いに答え始めた。
(今のは……?)
ミリィアの中に、小さな違和感が積み重なる。
だが、その意味を深く考える前に、診察は進み、やがて型通りに終わった。
「本日はここまでとしましょう。王妃様、どうぞゆっくりとご静養ください」
医師団が一斉に一礼し、薬草園の三人も、それに倣って部屋を辞する。
結局、その場でミリィアたちが得られた明確な情報は、ほとんどなかったというわけだ。
廊下を歩きながら、トビアスが小さく肩を落とす。
「これでは、何のために立ち会ったのか分かりませんよねえ」
「そうですね。ただ」
ミリィアはそう言いかけて、言葉を濁し、もう一度王妃の部屋へと続く扉に視線を遣った刹那。
廊下の向こうから、野太い声が響いた。
「――おお、これはフェリカ薬草研究院の。ちょうどいいところで会ったな」
現れたのは、内務大臣バルドロス・ゴーシュだった。
ミリィアの元婚約者の父親。
現内務大臣である。
恰幅の良い体躯に、値踏みするような蛇のような目つきは、先日温室で会った息子のバルトロメと瓜二つだ。
そしてその傍らには、若い娘が一人、寄り添うように控えている。
娘は、居心地悪そうな表情で俯きがちだった。
ゴーシュ家の一族にしては造作の整った、それなりに美しい容姿をしていたが、これといって目を引く特徴があるわけでもない、どこにでもいそうな令嬢である。
「紹介しよう。私の娘だ」
ゴーシュは、誇らしげにそう言った。
「この子には、聖女の資質がある。いずれ、体調の優れぬ王妃様に代わって、精神的にもこの国を支える存在になるだろう」
その言葉に、廊下の空気が微かに凍りついた。
娘は父の言葉に反応するでもなく、ただ自分の指先を弄っている。
聖女とは――無属性魔力を有する者の中でも、特に強い慈愛の力や生命を芽吹かせる力を持つ者を指す、極めて希少な存在である。
だが、目の前の娘からは、これといって際立った力の気配は感じられない。
「聖女様にお会いできるなんて、はじめてです。差し支えなければ――お嬢様は、どのような御力をお持ちなのか教えていただいても宜しいでしょうか」
ミリィアがごく自然な調子で尋ねると、バルドロスは待っていたとばかりに胸を張った。
「おい、方々に見せてやれ」
娘は父に促され、おずおずと手を差し出した。
廊下の傍らに置かれた一輪挿しへと、緊張した面持ちで魔力を注ぐ。
しばらくして、萎れていた花弁のひとつが、ほんの少しだけ色艶を取り戻した。
――それだけだった。
劇的に芽吹くことも、新たな蕾をつけることもなく、既にある花が僅かに持ち直しただけの、極めて控えめな変化。
「ご覧の通りだ。この子にはな、生命を蘇らせる力がある」
ゴーシュは自慢げにそう言った。
ミリィアはその現象を、客観的な目でじっと見つめていた。
(『第三次魔力学総覧』にあった、微量な水属性と土属性の複合による一時的な『細胞の活性化現象』でしょうか。根本的な治癒ではなく、一時的な見せかけの延命措置……)
かつて目を通した分厚い魔力属性の資料の一節が、記憶の引き出しから一言一句違わずに引き出されてくる。
「素晴らしい御力ですね」
だが、ミリィアは波風を立てる意味を感じず、当たり障りなくそう答えるに留めた。
バルドロスは満足げに頷くと、娘の肩を促すようにして、そのまま廊下の奥へと去っていった。
二人の後ろ姿を見送りながら、トビアスが小声で呟く。
「あれは、いくらなんでも……騙り過ぎでは」




