第15話 忘却の温室
王妃への正式な拝謁は、思っていたよりもずっと遠い話だった。
「――というわけで、まずは王妃様への診断の、許可申請を通していただく必要がありましてね」
宮廷医師団の一人が、書類の束を片手に、うんざりするほど事務的な口調でそう告げた。
「王妃様のお身体に関わることですので、外部の者が軽々しく触れるわけには参りません。まして、辺境からお越しになられた方々となれば」
その言い方には、隠しきれない見下しが滲んでいる。
ミリィアは特に気にした様子もなく、頷く。
「承知しました。手続きが必要であれば、従います」
「……それに、そちらの魔道具の使用許可も、簡単には下りませんので」
「診療用の魔道具、ですか」
「ええ。王妃様のお体に直接触れる測定具などは、すべて我々宮廷医師団の管轄下にありますので、外部から持ち込まれたものは使用許可をおろせません」
その一言に、隣に立つトビアスが露骨に肩を落とした。
「それでは、私たちは、何をすれば」
「まずは書類仕事です。手続きが済むまでは、大人しくお待ちいただくよりありませんな」
医師はそれだけ言うと、さっさと踵を返して行ってしまった。
ミリィアたちは、豪奢な廊下の隅に取り残される形になった。
「随分と、手厳しいですね」
「辺境の薬草園というだけで、随分と下に見られるものですね。フェリカ薬草研究院は一応王立なのだけどなあ」
トビアスがぼやくと、アッシュは軽く肩をすくめた。
「宮廷ってのは、大抵こういうもんだよ」
「アッシュさんは、随分と達観していますね」
「慣れてるだけさ」
結局、その日は手続きの一部を済ませただけで終わり、翌日以降も似たようなやり取りが続いた。
診療の許可は一向に下りず、薬草園の一行は、王宮の片隅にあてがわれた官舎のような宿舎で、手持ち無沙汰な日々を過ごすことになった。
「これでは、何のためにわざわざ王都まで来たのか分かりません……」
四日目の午後、ミリィアがそう溜息をついていると、アッシュがふと思いついたように言った。
「時間があるなら、少し面白い場所に案内しようか」
「面白い場所、ですか」
「ああ。裏手に、古い礼拝堂があって。その近くに、誰も手入れをしなくなった温室があるんだ」
そう言って案内されたのは、王宮の華やかな表側からは想像もつかない、寂れた一角。
蔦の絡まった古い礼拝堂の脇に、ガラス張りの温室がひっそりと佇んでいる。
扉はひどく錆びついていて、開けるのに一苦労だった。
「――ここは」
中に足を踏み入れた瞬間、ミリィアは思わず息を呑んだ。
棚という棚に、見たこともないほど多種多様な薬草の鉢が並んでいる。
だが、そのほとんどが手入れもされずに枯れている。
乾いた土、萎れた葉、朽ちかけた茎。
かつては誰かが丹精込めて育てていたのであろう痕跡だけが、そこかしこに残っていた。
「昔は……そう、先王の側妃付きの侍女が管理していたらしいが、今じゃ、こうして放置されたままらしい」
アッシュの横顔には、一瞬だけ、遠い過去を懐かしむような微かな翳りが落ちたが、ミリィアは目の前の植物たちに釘付けになっていて気づかなかった。
「それは、とても、もったいない、ですね」
はやる気持ちをなんとか抑えながら、ミリィアは棚の間に足を踏み入れる。
一つ一つの鉢に目を走らせて。
その視線は、次第に真剣な色を帯びていった。
「まさかこれ、アンブロシア草ですか。しかも、南方系の変種。これほどの株、王都では滅多に見ません。枯れてるなんて……」
ミリィアは枯れた葉を、そっと指先で摘み上げた。
ぱらぱらと砕けて地へ落ちていく。
「もし根がまだ生きているなら。それから、この土壌には少し石灰質を足した方がいい。それと――」
彼女は次々と鉢を確かめていく。
ある鉢には「水のやりすぎで根腐れを起こしかけている」と、ある鉢には「日照不足で本来の薬効成分が育っていない」と。
それは、まるで一目見ただけで、その株が抱える問題のすべてを透視しているかのような、正確さだった。
「これだけの品種を、これほど正確に見分けられる奴は、そういないと思う。やはり君の力は少し異質だな」
アッシュがそう言うと、ミリィアはきょとんとした顔で振り返った。
「そうでしょうか。見れば、大体分かるものだと思っていましたが」
「大体で分かるレベルの品種構成じゃないだろ、これは」
ミリィアの反応は、いつもと変わらなかった。
だが、アッシュの目には、彼女が次々と枯れかけた薬草の状態を言い当てていく様子が、単なる知識の豊富さという言葉だけでは片付けられない何かに映っていた。
彼の脳裏に、以前感じた「無属性の異能」あるいは聖女の片鱗という仮説が、また静かに顔を覗かせた。
だが、今はまだ、それを本人に問う段階ではない。
「アッシュさん、これだけの薬草が眠っているなら、王妃様の診断に使える手がかりも、案外ここにあるかもしれませんね」
ミリィアはそう言うと、道具袋から手早く道具を取り出し、早速、鉢の土の入れ替えに取り掛かった。
その横顔には、書類仕事に足止めされていた不満の色は、もうどこにもなかった。
「許可なんて、待っていられません。私、今すぐにでも生きてる根を採取したいです」
「そいつは、また別の意味で問題になりそうだが」
「捨てられた植物の世話に、許可は必要ないかと」
「まあ、その理屈が、後で通用すると良いな」
アッシュは呆れたように小さく笑いながらも、結局、彼女の作業を手伝うためのジョウロや土の袋を、自ら進んで取りに行った。




