第14話 王宮への出仕
翌朝は、夜明け前から屋敷中が慌ただしかった。
「ミリィア、これを着ていきなさい。王宮に上がるのに相応しい格好でなくては」
クラウディアが引っ張り出してきたのは、簡素ながらも仕立ての良い、儀礼用のローブだ。
念のためにと、義理の両親がミリィアのために密かに仕立てていたものらしい。
「ありがとうございます、お義母様。これは助かります」
「それより問題は、その」
クラウディアはミリィアの顔をまじまじと見つめ、深刻な顔をした。
「お化粧よ、化粧。ミリィア、あなた、辺境暮らしですっかり忘れてしまったのではなくて?」
「化粧、必要でしょうか」
「必要に決まっているでしょう! その辺にふらりと散歩に行くわけでは無いのよ! 王宮に上がるのよ!」
クラウディアは慌てて化粧道具を持ち出してきたものの、すぐに手が止まった。
「あ、いけない。私、実は化粧はあまり得意ではなくて……。今から向かいの奥さんを呼ぶ時間も、もうないし……」
「私も、その、こういうのはちょっと……」
二人で顔を見合わせ、揃って途方に暮れていると、髪を結う段になって、事態はさらに難航した。
「髪はどうしましょうか。私、自分で結うのは、いつも簡単な一つ結びくらいしかしていません」
「王宮の場では、それでは些か略式すぎるわね。かといって、私が結うのも――」
クラウディアの手先は、お世辞にも器用とは言い難かった。
試しに数回結んでみせたものの、出来上がりは無残なものになった。
ひょこひょこと頭頂部から短い毛が飛び出ている。
「駄目ね。全然駄目だわ」
クラウディアが鏡に映るミリィアの姿を見つめながら、頭を抱えていると、開け放たれた扉の外から、控えめな声がかかった。
「――失礼します。お困りのようでしたら……お手伝いできるかもしれません」
顔を出したのは、結局昨晩ヴィスコンティ家に泊まり、既に身支度を整えたアッシュだった。
彼もまた、いつもの野暮ったい格好ではなく、無駄のない洗練された礼服に身を包んでいる。
「アッシュさんが、ですか?」
「ええ。多少、心得がありますので」
クラウディアに向かって丁寧に微笑むと、彼女は半信半疑の顔をしながらも、藁にも縋る思いで鏡の前の場所を譲る。
アッシュはミリィアの背後に回ると、危なげのない手つきで髪を取り分け、束ね始めた。
指先の動きは迷いがなく、しかも驚くほど繊細。
「随分と、お上手ですね」
「少しばかり覚える機会があったから」
「治癒師さんって、そういうことも学ぶものなのですか。あ、包帯とか……?」
「まあ、色々と事情があって」
ミリィアへ向けたその返答の曖昧さに、クラウディアが横で目を細めたが、何も言わなかった。
アッシュの手は、迷うことなく複雑な編み込みを作り上げていく。
ミリィアは鏡越しに、じっと観察していた。
今見て覚えておけば、今後はどうにかなるだろう。
思えば、今まで、見ようとして見たことなど無かったということに改めて気が付かされる。
化粧にしても、髪結いにしても。
(一切の無駄のなさですね。まるで葉腋と葉柄を傷つけずに解体するような)
分析するような視線を向けられていることに、気が付いたアッシュは軽く口元を上げる。
「ほら――できたよ」
仕上がった髪型は、簡素な儀礼用ローブに、十分すぎるほど品良く似合っていた。
クラウディアが感嘆の声を上げる。
「まあ、素晴らしいわ! ミリィア、合わせ鏡を見てごらんなさい。この編み込み! なんて芸術的なの」
「本当に、お上手ですね。完璧な仕上がりです」
「恐縮です、クラウディア様。……君も、よく似合ってるよ」
ミリィアは鏡の中の自分を眺めながら、素直に感心していた。
それなりに装えば、こうしてきちんと貴族令嬢に見える。
王宮内を歩いていても、それほどの違和感無いであろう。
ともかく、今優先すべきは王宮に遅れず出仕することであって、アッシュの器用さの秘密を探ることではないのだから。
王宮の謁見の間は、辺境暮らしにすっかり慣れたミリィアの目には、いっそ異様なほどの豪奢さに満ちていた。
居並ぶ大臣や重臣たちの視線が、末席に控える薬草園の一行――ミリィア、アッシュ、そしてトビアス――に、値踏みするように注がれる。
中には、明らかに敵意を隠さない視線もあった。
ゴーシュ派閥の者たちだろうか。
だがミリィアは、植物の生態でも観察するように彼らを視界の端に収めたあと、黙って頭を垂れていた。
やがて、玉座に王が現れた。
厳かな空気が広がる中、王は集められた薬草園の一行に目を通した。
その視線が、一瞬、アッシュの上で止まる。
だが、それは本当に一瞬のことだった。
「――フェリカ薬草研究院より参じた者たちだな。大儀である」
王の声には、特別な感情の色は一切滲んでいなかった。
まるで初めて顔を合わせる民たちを見るような、ごく事務的な視線と口調。
「王妃の容態については、追って詳細を伝える。ひとまず、そなたらの知見を借りたい」
「――畏まりました。全力を尽くす所存にございます」
アッシュが、臣下として完璧な調子で、そつなく頭を垂れる。
その流麗な所作には、乱れも、動揺も、欠片も見えなかった。
ミリィアはその様子を横目に眺めながら、ふと思う。
(随分と、堂に入った振る舞いですね)
王宮の場に不慣れなはずの辺境の治癒師が、これほど自然に、しかも洗練された礼を尽くせるものだろうか――。
些細な違和感が胸の奥をかすめたが、それもまた、周囲の壮麗な空気にすぐに紛れて消えていった。
謁見はそれ以上、特に踏み込んだやり取りもなく、事務的に終わった。
玉座を辞す一行の背に、王の視線がもう一度だけ、ほんの僅かに向けられていたことに、この場の誰も気づいていなかった。




