第12話 光の軌跡
王都までは、馬車で五日ほどの道のりだった。
少なくとも、順調に進めばの話だが。
「ミリィア。さっきの分岐、王都方面はあちらだったんだけども?」
「少しだけ、寄り道をお願いできますか。あの群生、恐らく西方系の薬草で、この辺りではあまり見ない品種なので」
「さっきも五分、と言いつつ、気づけば一刻も経っていたじゃないか」
「今度こそ五分です」
その「五分」が、結局また膨れ上がったのは、道中四度目のことだった。
「この調子では王都に着くのがひと月後になりかねないんじゃ」
トビアスが呆れ半分、同情半分といった顔で言う。
「そこまで採取に、時間はかかっていないと思います」
「昨日なんて、日が暮れる前に着く予定だった町に、真夜中に着いたんだから」
「あれは、途中で見つけた面白い岩肌の地層が――」
「薬草と関係ないだろ、それ」
「地質は植生に直接的な影響を与えますので、無関係ではありません」
トビアスが天を仰ぐ横で、アッシュは涼しい顔で馬車の窓に肘をつき、外の景色を眺めていた。
彼もまた、この道中の遅れを特に咎める様子はなかった。
「アッシュさんも、言ってくださいよ」
「俺は別に、王都に着くのはそれほど急いでいないからな」
その返事に含まれた、彼自身の因縁に纏わる本音の重さを、トビアスもミリィアも特に気に留めることはなかった。
こうして、道中は驚くほどのんびりと過ぎていった。
その均衡が崩れたのは、王都まであと一日というところまで来た、夕暮れ時のことだ。
街道を外れた林の中の近道――ミリィアが「さっき、珍しいキノコを見かけて」と言い出して選んだ道――で、馬車が唐突に止まった。
「……何者だ!」
御者の緊張した声が響く。
窓から覗いたミリィアの目に映ったのは、道を塞ぐようにして立つ、十数人の男たちだった。
身なりは粗末な傭兵風だが、統率の取れた動きに、ただの野盗ではないという空気が滲んでいた。
「フェリカの連中で間違いないな」
男の一人が、値踏みするような視線を馬車に向けて言う。
「悪いが、ここで大人しくしていてもらう。……王妃様の件、余計な手出しは無用でな」
その言葉に、トビアスの顔から一気に血の気が引いた。
「これ、まさか」
「よくある感じの、やつでしょうか」
ミリィアが冷静にそう応じる一方、その声には隠しきれない無力感が滲んでいた。
(本当に、面倒なことに巻き込まれましたね……)
薬草園を発つ前に抱いた嫌な予感が、こんなに早く的中するとは思っていなかった。
何より、珍しいキノコの採取プランが台無しにされたことへの不満が大きい。
「ミリィアとトビアスは馬車の中にいてくれ」
アッシュはすでに馬車の扉に手をかけていた。
「アッシュさん、一人でですか」
「俺は意外と、こういう荒事にも慣れている」
その口調は、いつもと変わらず穏やかだった。
だが、扉を開けて馬車を降りた瞬間、彼が纏う空気は明らかに別のものへと変わっていた。
ミリィアはぼんやりと彼の描いた軌跡を追う。
「――おい。脅せば大人しく引き下がると思ったか?」
男たちの一人が、単身で飛び出したアッシュを鼻で笑いながら剣を抜く。
「悪いが、ここから先は通さねえよ。怪我したくなきゃ――」
「そうか」
アッシュは静かにそう応じると、右手をわずかに持ち上げた。
次の瞬間、彼の掌の上に、小さな黄金の粒が生まれた。
それはすぐに輪郭を持ち、まばゆい光の刃へと形を変えていく。
男たちの間に、明らかな動揺が走った。
光属性の魔力は極めて希少で、しかも高位貴族、ひいては王家の血筋にしか宿らないとされている。
辺境の治癒師風情が使えるはずのない力だった。
アッシュはただ無造作に、手を振るった。
次の刹那、光の刃が、夕闇を切り裂くようにして走る。
それは男たちの得物を次々と弾き飛ばし、地面に光の残滓を撒き散らしながら、瞬く間に彼らを無力化していった。
まるで、闇の中に打ち上げられた小さな花火のように、光の粒がいくつも夜気に舞い散る。
馬車の窓からその光景を見ていたミリィアは、思わず呟いた。
「――綺麗ですね」
「えっ、いや、そこ、感心する場面!?」
トビアスが半ば悲鳴のような声を上げるのも構わず、ミリィアはその光の残光をまじまじと観察していた。
(光の粒子が、まるで火花のように弾けて……この輝き方、通常の魔力の発現とは少し違う気がします。たぶん、空間における光の屈折率が――)
完全に分析するような目でそれを見つめるミリィアの表情には、恐怖の色など欠片もない。
一方の男たちは、あっという間に戦意を失い、次々と武器を捨てて後退していく。
「ひ、退けっ、これは割に合わねえ!」
統率の取れていたはずの一団が、蜘蛛の子を散らすように林の奥へと逃げていく。
アッシュは光の刃を消し、小さく息を吐いた。
それから、何事もなかったかのように、いつもの飄々とした表情に戻って馬車を振り返る。
「――怪我はないか?」
「ありません。それよりアッシュさん、随分と派手な魔力をお持ちだったんですね」
「嗜み程度に」
「嗜み……」
アッシュは曖昧に笑って誤魔化した。
無頼漢が去った筈の林の奥から、さらに数人分の気配が音もなく現れた。
全員が灰色の衣に身を包み、顔を布で覆っている。
音を消した歩法と統率された動きは、先ほどの野盗紛いの一団とは明らかに一線を画していた。
「あわわわわ、次が来た」
動揺し後ずさったトビアスが、馬車の床にごろんと転がり頭を打ち付けている。一瞬だけそちらに気を取られたミリィアは、怪しげな一団の一人が、アッシュに向かってごく短く何かを問うたのを見逃していた。
「――目立ち過ぎだ」
「自ら対処できる範囲は、ただ見守るようにと」
「やれやれ、兄上も相変わらず、《《過保護》》なことだ」
アッシュは小さく肩をすくめた。
会話の意味は、ミリィアにも正確には理解できない。
「アッシュさん、今の方々は」
「……ただの腐れ縁だよ」
その答えがあまりに簡潔だったので、ミリィアはそれ以上追及することを一旦諦めた。
装束姿の者たちはそれ以上何も語らず、来た時と同じように、音もなく林の闇へと姿を消していった。
馬車の御者と護衛が、遅ればせながら騒然とした様子で駆け寄ってくる中、アッシュはいつもの調子で振り返る。
「――さて。寄り道はここまでにして、そろそろ王都へ向かおうか」
「はい、そうですね」
ミリィアは素直に頷いたものの、その視線は、まだ闇に消えた一団と、アッシュの整った横顔との間を、何度か行き来していた。




