第11話 王妃の奇病
勅命が薬草園に届いたのは、朝一番のことだった。
王都から早馬で駆けてきた使者は、疲労困憊の様子で書状を差し出すと、それだけ告げてすぐに休息を求めた。
ベルタは受け取った書状に目を通すなり、珍しく表情を険しくさせる。
「……こいつは、穏やかじゃないね」
「何かあったのですか」
ミリィアが尋ねると、ベルタは書状を机に置き、額を押さえながら答えた。
「王妃様が、ご懐妊中なのは知っているかい? ――体調を大きく崩されているらしい。宮廷医師団総出で診ても、原因がまるで掴めない。それで、フェリカ薬草研究院からも人手を出すようにと、勅命だ」
「宮廷医師団が匙を投げるほど、というのは、相当ですね」
「相当だろうさ。……ただ、普通の往診ならね、あたしもここまで渋い顔はしないんだが」
「普通ではない、と」
「表向きは体調不良、だが裏じゃ物騒な噂も流れてる。王妃様の後ろ盾は、政治から距離を置いている『王弟殿下』寄りの派閥でね。一方、宮廷医師団の大半は、内務大臣――ゴーシュの息がかかった連中だ。王妃様の不調が長引けば長引くほど、得をする側がいるって話さ」
その名前を聞いた瞬間、ミリィアの表情が、分かりやすく曇った。
「……ゴーシュ、というと」
「ああ、あんたの元婚約者殿の父親だよ。因縁があるのは百も承知だが、こればっかりは勅命だ」
「うわあ……」
ミリィアの口から、心底嫌そうな、令嬢らしからぬ素の声が漏れる。
「面倒なことに、なりそうですね」
「なりそうも何も、もうなってるようなもんさ」
「私、正直に申し上げますと、あの家とは金輪際関わりたくないのですが」
「気持ちは痛いほど分かるがね」
ミリィアは深く長い溜息をついた。
ようやく落ち着いた辺境での素晴らしい研究暮らしから、まるで水を差すような話。
面倒な政治絡みの案件にもしかしたら巻き込まれるのかもしれない――そう思うと、気が重くなる一方である。
「原因不明の体調不良を診るだけなら、私としては勉強にもなりますし伺いたい気持ちも有りますが。派閥がどうとか、裏でどうとか、そういう非物理的な話には、本当に巻き込まれたくないのです」
「あんたの気持ちは尤もだが、勅命ってのは、そういう我儘を聞いちゃくれないもんだ」
「わかっては、いるのですが」
ミリィアはがっくりと肩を落とした。
その様子を見て、アッシュが横から小さく口を挟んだ。
「まあ、小難しい政治の話に、研究院が直接関わるようなことにはならないだろうさ。あくまで、体調不良の原因を探るだけの話だ」
その物言いに根拠らしい根拠は特になかったが、ミリィアはひとまず、その気休めの言葉に縋ることにした。
「――で、問題は、誰を出すかだが」
研究棟の空気が、一気に張り詰めた。
若手の研究員たちは我先にと目を逸らし、書類仕事に没頭するふりを始める。
「わ、私はその、まだ経験も浅く……」
「俺も、ちょうど納品の予定が立て込んでおりまして……」
次々と辞退の言葉が飛び交う中、ベルタの視線は、自然とミリィアとアッシュの二人に落ち着いた。
「あんたたち二人しか、いないねえ、こりゃ」
「え、私も新人なのですが」
「あんたの毒物と薬草の知識は、この研究院でも群を抜いてる。しかも、原因不明の体調不良。症状によっちゃ、未知の毒物絡みってこともあり得るだろう」
「それは、そうですけど……」
ミリィアは言葉を濁した。
婚約破棄からまだ半年と経っていない。
ほとぼりが冷めるまで、という名目で王都を出奔するような形で得たこの辺境暮らしを、こんなに早く中断して王都に舞い戻るというのは、色々な意味で気が重かった。
何より、あの家とまた関わる可能性を考えると、露骨に気分が沈む。
「貴族の噂話は、半年も経っていればもっと目新しい話題に変わっているだろうし、心配するな」
アッシュが、努めて軽い調子でそう言った。
「アッシュさんは、行きたくないとは思わないのですか」
「面倒だとは思うが、勅命なら仕方ないだろう」
その口ぶりに、動揺の色は微塵も見えなかった。
ミリィアはそれを見て、少しだけ感心したような顔をした。
(王都、か)
アッシュの胸の内には、ミリィアには決して悟らせない、どす黒く冷ややかな思惑が静かに渦を巻いていた。
王弟殿下寄りの派閥――つまり、彼自身の派閥だ。
兄である国王が愛する妻を、ゴーシュの息のかかった連中がどう扱っているか。
先日古井戸で見つけた呪術の木札の件も含め、自分の目で直接確かめ、裁きを下す絶好の機会でもある。
だが、それがどのような凄惨な色をした思惑なのかは、隣に立つ彼女には決して見せないよう、彼は完璧な微笑みの裏にそれを隠し通した。
「――あのう」
遠慮がちに手を挙げたのは、以前ミリィアに図鑑の断面図の件で青ざめていた研究員のトビアスだった。
「俺、王都には知り合いの薬師がおりまして、力になれるかと」
「本当は王都に残してきた恋人に会いたいだけだろう、お前」
「そ、それは、副次的な理由でありまして!」
その場に微かな笑いが起きた。
張り詰めていた空気が、ほんの少しだけ緩む。
「まあいい。決まりだ。アッシュ、トビアス、ミリィア。明日には出発だ」
「ええ、明日ですか!?」
「王都まで馬車で五日かかるんだから、当たり前だろうが」
「折角、ザクロキアの芽が出たばっかりだったので……」
「まさか、アレを育ててるのか!?」
心底残念そうに項垂れるミリィアの横で、アッシュが慌てた様子を見せる。
「採取出来ましたし……成長過程も観察してみたいじゃないですか」
「本当に、君は……」
翌朝、慌ただしい見送りの中、三人を乗せた馬車は王都を目指して出発した。
ベルタは門の前で腕を組み、遠ざかる馬車を見送りながら、独り言のように呟いた。
「さあて、どうなることやらねえ」
その呟きは誰にも届かず、朝靄の中に静かに溶けていった。




