# 第二十九話 副師団長
漁村ゼスに、手紙が届いた。
ユネイラが受け取った。宛名を見て、眉を上げた。
「——ウィステリアから」
ガーズが振り返った。網を繕う手が止まった。
「硬矢たちか」
「あんたの名前は書いてないよ。村長宛てだ」
ユネイラは封を切った。中の紙を広げた。読んだ。表情が少しずつ変わった。
「……停滞、か」
「何だ」
「硬矢が書いてる。——いや、書いたのはディアンって子だな。字が綺麗すぎる」
ユネイラは紙をガーズに渡した。ガーズは網を置いて、紙を受け取った。
読んだ。
神殿のこと。転移の記録のこと。停滞という言葉のこと。全員無事であること。
ガーズは紙を畳んだ。
「——元気にしてるな」
声が柔らかかった。ユネイラがガーズを見た。
「心配してたのか」
「してないよ。あいつらは大丈夫だ」
「してたくせに」
ガーズは答えなかった。網を手に取った。繕いの続きを始めた。
だが、手が少しだけ遅かった。
「……第四師団、か」
呟いた。ユネイラには聞こえなかった。ガーズは自分でも、なぜその名前が出たのか分からなかった。ウィステリアという地名を見て、体が勝手に思い出しただけだった。
網を繕った。手が動いた。それだけだった。
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ウィステリア。
五人は市場の通りを歩いていた。調査が終わった午後だった。
ディアンは少し後ろを歩いていた。いつもの距離だった。だが、今日は距離がさらに広かった。
四人と一緒にいる時間が増えるほど、ディアンの態度は硬くなった。誉が話しかけても短く返した。凪が気を遣っても、目を逸らした。梓乃が笑いかけても、表情を変えなかった。
壁を厚くしていた。近づかれるほど、壁を厚くした。
硬矢はそれを見ていた。何も言わなかった。
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市場を抜けた先の通りだった。
人通りが少なかった。石畳の道の両側に、古い建物が並んでいた。
前方から、三人の男が歩いてきた。革鎧を着ていた。腰に剣を帯びていた。若かった。二十歳前後に見えた。
硬矢は足を緩めた。道を譲ろうとした。
三人は硬矢たちの横を通り過ぎようとした。だが、一人が足を止めた。
ディアンを見ていた。
ディアンは真っ直ぐ前を向いて歩いていた。三人の方を見なかった。目も合わせなかった。すれ違う時、顎が少し上がっていた。
「——おい」
革鎧の男が声をかけた。ディアンは止まらなかった。
「おい、神殿の小僧。聞こえてるだろ」
ディアンが足を止めた。振り返った。目が冷たかった。
「何か」
「何か、じゃねえよ。師団の人間の前を、挨拶もなしに通り過ぎるのか」
ディアンの目が、男の革鎧を見た。胸に、小さな紋章が縫い付けてあった。
「……第四師団」
ディアンが呟いた。声に敬意はなかった。
「そうだ。第四師団だ。神殿の門弟なら、礼儀くらい——」
「門弟は師団の管轄ではありません。礼を求められる筋合いはない」
ディアンの声は平らだった。だが、刃があった。
男の顔が変わった。隣の二人も足を止めた。
「——生意気な餓鬼だな」
男が一歩前に出た。ディアンは動かなかった。退かなかった。目を逸らさなかった。
硬矢が間に入った。
男とディアンの間に、体を滑り込ませた。自然だった。考える前に動いていた。
「すみません」
硬矢の声は落ち着いていた。
「この子は俺たちの連れです。失礼があったなら、申し訳ない」
男が硬矢を見た。上から下まで。古着の上着。腰の剣。見慣れない顔。
「……あんた、何者だ。見ない顔だな」
「旅の者です。ウィステリアに来たばかりで」
男の目が細くなった。硬矢の後ろにいる誉と凪と梓乃を見た。全員、見慣れない格好だった。
「旅人が、神殿の門弟を連れてるのか。おかしな話だな」
空気が硬くなった。誉が一歩前に出ようとした。硬矢が手で制した。
梓乃が前に出た。
「——お忙しいところ、すみません」
声が変わっていた。柔らかかった。だが、芯があった。営業の声だった。
「私たちは神殿のギュンター大神官の調査に協力している者です。この子は大神官から付けていただいた案内役です。ご不快にさせてしまったなら、お詫びします」
男の表情が変わった。ギュンターの名前が効いていた。
「ギュンター大神官の——」
「はい。何かございましたら、神殿にお問い合わせいただければ」
梓乃は笑っていた。営業の笑顔だった。相手を立てながら、退路を作る笑顔だった。
男は口を開きかけた。だが、隣の一人が袖を引いた。小声で何か言った。男は舌打ちをした。
「……分かった。行くぞ」
三人が背を向けた。歩き出した。
硬矢は息を吐いた。
「——梓乃さん」
「営業十年やってると、こういうの慣れます」
梓乃は笑った。だが、手が少し震えていた。
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「待ちなさい」
声がした。
三人に向けた声だった。低く、静かだった。だが、通りの空気が変わった。
通りの角から、一人の男が歩いてきた。
背が高かった。革鎧ではなく、濃い青の外套を着ていた。腰に長剣を帯びていた。胸に、さっきの三人と同じ紋章があった。だが、紋章の周りに金の縁取りがあった。
四十手前に見えた。短く刈った髪。日に焼けた肌。目が落ち着いていた。
三人の隊員が足を止めた。顔が強張った。
「——師団長」
「全部見ていた」
コーウェンは三人の前に立った。声は静かだった。だが、重かった。
「師団の名を出して、子供に凄むのが、お前たちの仕事か」
三人が黙った。
「相手は旅人と神殿の門弟だ。師団の人間が、通りすがりの民間人に因縁をつけてどうする」
「しかし、師団長。あの門弟の態度が——」
「態度が気に入らなければ、通り過ぎればいい。それができないなら、師団にいる資格はない」
三人は何も言えなかった。
「戻れ。詰所で待っていろ」
三人が去った。足音が遠ざかった。
コーウェンが硬矢たちの方を向いた。
「——申し訳ない。うちの者が、失礼をした」
頭を下げた。深くはなかったが、誠意のある下げ方だった。
「第四師団師団長、コーウェンだ」
硬矢は少し驚いた。師団長が、自分から名乗った。
「青輝硬矢です。こちらは——」
「ギュンター大神官の調査に協力している旅人、と聞こえた。そちらの方が上手く説明してくれたな」
コーウェンは梓乃を見た。梓乃が小さく頭を下げた。
「——見ない顔だ。どこから来た」
「ゼスです。南の漁村から」
コーウェンの目が、わずかに動いた。
「ゼス」
繰り返した。声の色が変わっていた。
「……ゼスに、ガーズという男がいなかったか」
硬矢は目を見開いた。
「——知ってるんですか」
「ガーズ副師団長。俺がこの師団に入った時の上官だ」
コーウェンの声が、少しだけ柔らかくなった。
「あの方は元気か」
「元気です。漁師をやってます。村長の旦那さんです」
「漁師か」
コーウェンは少し笑った。想像がつかない、という顔だった。だが、嫌な顔ではなかった。
「副師団長の剣は、今でも師団の基準だ。あれより無駄のない剣を、俺はまだ見たことがない」
硬矢は頷いた。ガーズの剣を思い出した。リザードマンを仕留めた、あの一太刀を。
「ガーズさんに、剣の基本を教わりました」
「——そうか」
コーウェンは硬矢を見た。目が少し変わった。品定めではなかった。ガーズの教え子を見る目だった。
「ゼスから来て、ギュンター大神官の調査に協力している。——訳ありだな」
「少し、長い話になります」
「急がない。——だが、今日はやめておこう。うちの者の不始末を詫びに来ただけだ」
コーウェンは一歩下がった。
「また会うこともあるだろう。副師団長によろしく伝えてくれ」
背を向けた。歩き出した。外套の裾が、石畳の上を擦った。
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五人は通りに残された。
誉が息を吐いた。
「……すげえ人だったな」
「師団長、って感じだった」
凪が言った。
梓乃が肩の力を抜いた。
「営業先にああいう上司がいると、助かるんですけどね」
硬矢は笑った。
ディアンは黙っていた。
硬矢が振り返った。ディアンは少し離れた場所に立っていた。いつもの距離だった。だが、顔が違った。
「——すみません」
ディアンが言った。小さな声だった。
「私のせいで、面倒なことに」
「面倒じゃない。あいつらが悪い」
誉が即答した。
「でも——」
「お前が謝ることじゃない」
硬矢が言った。短かった。
ディアンは黙った。何か言いたそうだった。だが、言葉が見つからないようだった。
硬矢は前を向いた。歩き出した。
「——飯、食いに行こう」
四人が続いた。ディアンが、少し遅れて、歩き出した。
いつもの距離だった。だが、半歩だけ、近かった。




