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# 第二十七話 測定

 翌朝、神殿の裏手に通された。




 中庭だった。石畳の広場に、木の柱が何本か立っていた。的が掛けてあった。隅に木剣が並んでいた。門弟たちの訓練場らしかった。




 ギュンター大神官が、広場の端に椅子を置いて座っていた。紫の帯が朝日に光っていた。隣に、記録係らしい若い神官が一人、紙と筆を持って控えていた。




 ディアンは壁際に立っていた。いつもの位置だった。




「——まず、体を見せてもらう」




 ギュンターが言った。




 硬矢は一歩前に出た。




「その前に、一つ」




 ギュンターの目が硬矢に向いた。




「テストは受けます。ただ、結果は俺たちにも全部教えてください。あと——テストの後に、停滞について神殿が把握していることを聞かせてほしい」




 ギュンターは少しの間、硬矢を見ていた。




「……条件か」




「交換です。そっちが俺たちを知りたいなら、俺たちもそっちを知りたい」




 誉が後ろで小さく笑った。梓乃が硬矢の横に並んだ。凪は黙って立っていた。




 ギュンターの口元が、わずかに動いた。




「——いいだろう」




 短かった。だが、声に硬さはなかった。




---




「走れ。広場を五周」




 硬矢は走った。誉が先に飛び出した。凪と梓乃が続いた。




 五周。息が上がった。硬矢は膝に手をついた。誉だけが平気な顔をしていた。ゼスで毎日浜を走っていた体だった。




 記録係が何かを書いた。




「次。木剣を持て」




 硬矢は木剣を握った。ガーズに教わった構えを取った。上段。足の幅。膝の角度。




「振れ」




 振った。十回。二十回。三十回。




 記録係が書いた。ギュンターは何も言わなかった。




 誉も振った。硬矢より速かった。だが、形は荒かった。力任せだった。




 凪は木剣を持つと、重さに腕が揺れた。三回振って、止まった。




「——無理です」




「構わん。次」




 梓乃は十五回振った。営業で鍛えた脚と腕があった。だが、剣を振る体ではなかった。




 ギュンターの表情は変わらなかった。




---




「魔法の適性を見る」




 ギュンターが言った。記録係が、小さな石を四つ持ってきた。魔石だった。純度は低そうだった。




「握れ。何か感じたら、そのまま力を流してみろ」




 硬矢が握った。何も起きなかった。温かくもなく、冷たくもなく、ただの石だった。




 誉が握った。同じだった。




 梓乃が握った。少しの間、目を閉じた。何も起きなかった。




 凪が握った。




 石が光った。




 青い光だった。小さかったが、はっきりと光っていた。凪の指の間から、水の粒が浮いた。




 記録係の筆が止まった。ギュンターが身を乗り出した。




「——質量系。水の適性」




 ギュンターが呟いた。




「純度一の石で、ここまで反応するのは珍しい」




 記録係が書いた。ギュンターは頷いて、椅子の背に戻った。




---




「集団で動いてみろ」




 ギュンターが言った。門弟が四人、広場の反対側に立った。木剣を持っていた。




「この四人を、押し返せ」




 硬矢は三人を見た。誉が頷いた。凪が杖に手を伸ばした。梓乃が一歩前に出た。




 始まった。




 門弟たちが前に出た。足が揃っていた。訓練された動きだった。




 硬矢が木剣を構えた。一人目が打ち込んできた。受けた。腕が痺れた。二人目が横から来た。避けられなかった。肩に当たった。




 誉が飛び出した。一人を押し返した。だが、二人目に足を払われた。転んだ。起き上がった。また向かった。また倒された。




 凪が水弾を撃った。門弟の一人が顔を庇った。だが、もう一人がその隙に凪の横に回った。杖を弾かれた。魔法が使えても、戦い方を知らなかった。




 梓乃は——動けなかった。木剣を持ったまま、立っていた。打ち込まれて、後ろに下がった。それだけだった。




 硬矢が立ち上がった。木剣を構え直した。門弟の一人が、もう一度打ち込んできた。受けた。弾かれた。膝をついた。




 誉がまた立った。砂を払って、構えた。




 門弟たちは息一つ乱していなかった。




 ディアンは壁際から見ていた。




 四人が倒される。立つ。また倒される。また立つ。戦い方を知らない人間が、それでも立とうとしていた。




 ディアンの指が、わずかに動いた。




 ——知っている。




 この光景を、知っている。




 五つの頃。路地裏で、年上の子供たちに囲まれた。殴られた。立った。また殴られた。立った。何度立っても同じだった。勝てるわけがなかった。でも、倒れたままでいたら、次はもっとひどいことをされると知っていた。




 だから立った。




 誉が三度目に倒された。砂がついた頬のまま、笑った。笑いながら立とうとした。




「——大神官」




 ディアンの声だった。




 広場が静まった。門弟たちが動きを止めた。ギュンターがディアンを見た。




「……もう、十分では」




 声は小さかった。だが、はっきりしていた。




 ギュンターはディアンを見ていた。長い間ではなかった。だが、何かを見た目だった。




「——そうだな。ここまでだ」




 門弟たちが下がった。




 硬矢は地面に座り込んだ。誉が隣に転がった。凪が杖を拾った。梓乃が膝の砂を払った。




「……連携も何もなかったな」




 硬矢が言った。誉が笑った。




「連携って、したことないもんな」




---




「教養を見る」




 場所が変わった。部屋に戻った。机の上に、紙が置かれた。




「計算だ。この数字を足せ。引け。掛けろ」




 硬矢は筆を取った。この世界の数字は、オーヴホールで覚えた。アラビア数字に似ていた。




 足し算。引き算。掛け算。割り算。硬矢は迷わなかった。喫茶店の仕入れと売上を十年やってきた。暗算は体に染みついていた。




 梓乃も速かった。営業の見積もりで数字を扱い慣れていた。




 誉は途中で止まった。掛け算の三桁目で手が止まった。




「……数学、苦手なんだよ」




 凪が隣で小さく笑った。凪は全問解いた。高校生の数学力で十分だった。




 記録係が紙を集めた。ギュンターが目を通した。




「——計算はできる」




 それだけだった。




「作法を見る。この国の礼儀を知っているか」




 知らなかった。




 神殿での挨拶の仕方。食事の作法。目上の者への言葉遣い。貴族への礼。商人同士の取り決めの手順。




 何一つ、知らなかった。




「文字は」




「読めます。少しだけ。書くのは——まだ」




 硬矢が答えた。梓乃が付け加えた。




「絵本の半分くらいなら、読めるようになりました」




 ギュンターは頷いた。表情は変わらなかった。




---




 全てが終わった。




 ギュンターは記録係の紙を受け取り、しばらく目を通していた。四人は机の向かいに座っていた。




「——一般人だな」




 短かった。




「勇者のような武力はない。商人のような知識体系もない。魔法の適性は一人だけ。集団戦闘の経験はなく、この国の作法も文字も知らない」




 硬矢は黙って聞いた。分かっていた。分かっていたが、こうして並べられると、重かった。




「能力から、停滞の正体を推し量れるかと思ったが——分からなかった」




 ギュンターは紙を机に置いた。




「お前たちが何のために来たのか。それは、お前たちの力からは見えなかった」




 沈黙があった。




「——約束の話を」




 硬矢が言った。




「停滞について、神殿が把握していることを聞かせてください」




 ギュンターは硬矢を見た。忘れてはいなかった。




「……正直に言おう」




 ギュンターは椅子の背に体を預けた。




「藤の木が衰えている。交易が細っている。国の端から順に、人が減っている。だが、原因が見えない。戦争でもない。疫病でもない。飢饉でもない。ただ——止まっている」




「止まっている」




「動いていたものが、動かなくなった。なぜかは、まだ掴めていない。——だから調べている。お前たちを見たのも、そのためだ」




 硬矢は頷いた。答えは出ていなかった。だが、探している人間の言葉だった。




「——ありがとうございます」




 硬矢は頭を下げた。ギュンターは少しだけ目を細めた。




---




 四人が部屋を出た後、ギュンターは椅子に座ったまま動かなかった。




 記録係が紙を整えていた。




「大神官。記録は以上です」




「ああ」




 ギュンターは返事をしたが、紙を見ていなかった。




 窓の外を見ていた。四人が中庭を横切っていくのが見えた。ディアンが少し後ろを歩いていた。




 ——一般人だ。




 それは間違いなかった。剣も、魔法も、知識も、何もなかった。




 だが。




 ギュンターは自分の中の、言葉にならない感覚を探った。




 あの四人には、何かがあった。能力ではない。技術でもない。もっと曖昧な、空気のようなものだった。




 集団戦闘で叩きのめされた後、あの少年——誉は笑っていた。悔しさはあった。だが、怯えはなかった。字が書けないと言った時も、硬矢は恥じていなかった。できないことを、ただ「できない」と言った。それだけだった。




 条件を出してきた時もそうだった。大神官を前にして、怯えなかった。卑屈にもならなかった。対等だと思っている。当然のように。




 余裕、というのとも違う。




 ——困っていない。




 ギュンターはそう感じた。根の部分で、あの四人は困っていなかった。飢えたことがない人間の匂いがした。殺されかけたことがない人間の立ち方だった。身分で踏まれたことがない人間の、目の高さだった。




 それは弱さではなかった。甘さでもなかった。




 ただ、この世界の人間には、ない空気だった。




 ギュンターは紫の帯に手を触れた。




 ——心地よかった。




 不思議だった。能力は何もなかった。この世界では子供以下だった。それなのに、あの四人のそばにいると、何かが緩んだ。長く忘れていた何かに似ていた。




 ディアンが口を開いた時のことを思い出した。「もう、十分では」。あの子が自分から口を開いたのは、引き取ってから初めてかもしれなかった。




 ——あの四人の空気が、あの子にも届いたのか。




 記録係が部屋を出た。ギュンターは一人になった。




 窓の外、藤の木の枝が揺れていた。風があった。今日は、風があった。

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