# 第二十四話 ウィステリア
八日目。
壁が近づいてきた。
朝から歩いて、昼前には壁の全体が見えた。高かった。石を積み上げた城壁だった。街を囲んでいた。城壁の上に見張り台があった。旗が揺れていた。
城壁の向こうに、小高い丘があった。丘の上に、もう一つ壁があった。本丸だった。城の中に城がある。城郭の中に街が収まっている構造だった。
そして——木が見えた。
本丸の手前、街の中央あたりに、一本の巨木が立っていた。紫色だった。遠くからでも分かるほど大きかった。枝から何かが垂れ下がっていた。花だった。房になった紫の花が、幾重にも垂れていた。藤だった。
「——あれ、何だ」
誉が目を細めた。
「藤……か? でかいな」
「でかいな。……元気なさそうだけど」
硬矢も思った。花の色がくすんでいた。紫というより、灰がかった薄紫だった。枯れかけているように見えた。
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門に着いた。
石造りの門だった。門番が二人立っていた。槍を持っていた。鎧を着ていた。
「身分証を」
硬矢はギルドカードを出した。三人も出した。門番がカードを確認した。裏面の紋章を見た。
「オーヴホールのギルド登録か。——通れ」
あっさりだった。イザーナが言った通りだった。ギルドカードがあれば通れる。
門をくぐった。
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街の中に入った。
最初に目に入ったのは、花だった。
街路の両側に、黄色い花が咲いていた。小さな丸い花が房になって垂れ下がっていた。ミモザに似ていた。風が吹くと、黄色い花が揺れた。日の光を受けて、金色に輝いた。
きれいだった。
だが、街を歩く人々の顔は、花とは違った。
足早だった。目が合わなかった。すれ違う人は前を向いていた。商人が荷車を押していた。女が子供の手を引いて歩いていた。老人が壁に背を預けて座っていた。
活気がないわけではなかった。人はいた。店も開いていた。だが、どこか余裕がなかった。笑い声が少なかった。オーヴホールの方が、のんびりしていた。
梓乃が小さく言った。
「……忙しそうな街だね」
「忙しいっていうか——」
誉が周りを見た。
「余裕がない感じだな」
硬矢は黙って歩いた。街の造りを見ていた。石畳の道。二階建ての建物が並んでいた。窓が小さかった。壁が厚かった。城壁の中に詰め込まれた街だった。肉屋、鍛冶屋、仕立屋。看板が並んでいたが、どれも実用的な店ばかりだった。酒場はあった。だが、昼間から静かに座って、温かいものでも飲めるような喫茶店のような店は見当たらなかった。
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まず宿を探した。
門の近くに宿屋が二軒あった。一軒目は満室だった。二軒目に入った。
「四人。二部屋」
「銀貨三枚。前払い」
イザーナは銀貨二枚と言っていた。値上がりしていた。硬矢は払った。
部屋は狭かった。ベッドが二つ。窓が一つ。壁が薄かった。リトバルクの宿と変わらなかった。王都の宿にしては、質素だった。
荷物を置いた。
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「まず情報だな」
硬矢が言った。
「神殿の場所を知りたい。商売神の本殿がこの街にあるはずだ」
誉が頷いた。
「いつも通り、酒場か」
硬矢は誉を見た。
いつも通り。酒場。高校二年生のセリフではなかった。リトバルクでもオーヴホールでも、情報は酒場で集めた。それが当たり前になっていた。二か月ほど前まで、現世の教室にいた少年が、当然のように酒場と言っている。
硬矢は小さく笑った。
「……お前、元の世界に帰ったら居酒屋入れないからな」
「分かってるよ。——でも、こっちじゃ入れるだろ」
「入れるけど飲めない」
凪が小さく笑った。梓乃も口元が緩んでいた。
宿の主人に近くの酒場を訊いた。門の通りを少し入ったところにあると言われた。
酒場は小さかった。昼過ぎだったが、客が数人いた。カウンターに座った。
酒場の主人は太った男だった。硬矢と梓乃がエールを頼んだ。凪と誉には果実水を頼んだ。
「なんで俺だけ——」
「未成年だろ」
硬矢が短く言った。誉は黙って果実水を飲んだ。硬矢は一口だけエールを飲んだ。
「この街に、商売神の神殿があると聞いたんだが」
酒場の主人は首を傾げた。
「神殿? ああ、あるにはあるだろうが——俺は行ったことがないな。商人じゃないからな」
「場所は分かるか」
「分からん。この辺の人間は、あんまり神殿には用がない。商人か、旅の連中が行くところだ」
隣に座っていた男が振り返った。
「神殿なら、市場の方で訊いた方がいい。商人が集まってるから、知ってる奴がいるだろう」
「市場はどこだ」
「この通りを真っ直ぐ行って、あの藤の木が見えたら右に曲がれ。広場がある。そこが市場だ」
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四人は市場に向かった。
藤の木の近くを通った。近くで見ると、蔦が太い幹に絡みつくように伸びていた。根が地面を割って広がっていた。
木の根元に、小さな祠があった。花が供えてあった。黄色い花。街中に咲いていた、あのミモザに似た花だった。
市場だった。
天幕が並んでいた。布、革、干し肉、果物、魔石、薬草。声が飛び交っていた。ここだけは活気があった。商人たちが値段を叫んでいた。客が品物を手に取っていた。
硬矢は天幕の一つに近づいた。布を売っている商人だった。中年の女だった。
「すみません。商売神の神殿を探しているんですが」
女は硬矢を見た。
「神殿? ——ああ、本殿ね。この広場を抜けて、北の通りを真っ直ぐ。丘の手前に石の門がある。そこが神殿の入口よ」
「丘の手前」
「本丸の城壁の手前。大きな石の門があるから、すぐ分かるわ」
硬矢は礼を言った。
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四人は北の通りを歩いた。
道が少し登り始めた。丘に向かっていた。建物が減った。道の両側に、黄色い花が咲いていた。
石の門が見えた。
大きかった。門柱が二本。石を削り出したものだった。門の上に紋章が彫ってあった。商売神の紋章だった。市場の天幕にも同じ紋章を掲げている商人がいた。
門の奥に、建物が見えた。石造りだった。古かった。壁に苔が生えていた。だが、崩れてはいなかった。手入れはされていた。
硬矢は門の前に立った。
三人が隣に並んだ。
ここに来るために、十三日歩いた。ゼスから山を越えて、オーヴホールで学んで、街道を歩いて、狼と出くわして、ここまで来た。
イザーナが言っていた。神殿の記録に、転移のことが書いてあるかもしれない。帰る手がかりが、ここにあるかもしれない。
硬矢は一歩、踏み出した。
「——入ろう」
四人は、神殿の門をくぐった。
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中は、思っていたのと違った。
石畳の広い前庭があった。掃き清められていた。正面に本殿があった。木造だった。屋根が反り上がっていた。柱が太かった。古い木の色をしていた。
神社だ、と硬矢は思った。
石の城壁に囲まれた街の中に、木の建物があった。屋根の下に鈴のようなものがぶら下がっていた。賽銭箱ではなかったが、似たものがあった。石の台の上に、小さな皿が置いてあった。皿の中に銅貨が数枚入っていた。
参拝者がいた。商人らしい男が、本殿の前で手を合わせていた。女が二人、お守りのようなものを選んでいた。子供が走り回っていた。
堅苦しくなかった。
本殿の横に、受付のような場所があった。神官が一人座っていた。若い男だった。白い衣を着ていた。笑顔だった。
「いらっしゃい。参拝ですか? お守りですか?」
声が明るかった。商売神の神殿だった。商売繁盛、旅の安全、商談成功。商人が気軽に手を合わせに来る場所だった。
「——少し、訊きたいことがあるんですが」
硬矢が言った。
「はいはい、何でも。旅の祈願なら奥の——」
「転移について、知りたいんです」
神官の笑顔が止まった。
一瞬だった。目が変わった。口元はまだ笑っていたが、目が笑っていなかった。
神官は硬矢の顔を見た。誉を見た。凪を見た。梓乃を見た。
四人の服を見ていた。
硬矢のジャケット。誉のパーカー。凪のカーディガン。梓乃のスーツ。旅で汚れていた。擦り切れていた。だが、縫い目が違った。布の織りが違った。ボタンが違った。この世界の服ではなかった。この世界の技術では作れない服だった。
神官は、それに気づいた。
「——少々、お待ちください」
笑顔が消えていた。声が低くなっていた。神官は立ち上がり、奥に消えた。
誉が小声で言った。
「……なんか、空気変わったな」
「うん」
凪が頷いた。
梓乃が硬矢を見た。硬矢は黙って待った。




