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# 第二話 光

 ベルの音が、止まらなかった。




 カラン、カラン、カラン。




 誰も扉に触れていない。風もない。なのにベルだけが鳴り続けている。




 硬矢は扉を見た。




 ガラス戸は閉まったままだった。ベルが揺れている。それだけが、おかしかった。




 ボックス席で、誉が凪の手を握った。凪は動かなかった。ただ、誉の手を握り返していた。




 八千代は文庫本から顔を上げた。ベルを見て、それからカウンターの硬矢を見た。




 スーツの女性がカップを置いた。コーヒーが小さく揺れた。




 大庭は布巾を畳んだ。




 それだけだった。声を上げる者はいなかった。




 硬矢はカウンターを出て、扉に近づいた。




 ベルに手を伸ばそうとした、そのとき——




 光が、来た。




---




 窓から。壁から。床から。天井から。




 光は方向を持たなかった。店の内側から滲むように、あらゆる場所から同時に溢れた。




 白ではなかった。色がなかった。ただ明るかった。




 硬矢は目を閉じた。




 閉じても、光は消えなかった。




 瞼の裏まで、光だった。




 音が遠くなった。ベルの音も、自分の呼吸も、何もかもが薄くなっていく。




 代わりに、声が聞こえた。




 言葉ではなかった。意味だけが、頭の中に落ちてきた。




 ——お前たちを、もらう。




 硬矢は口を開こうとした。何かを言おうとした。




 声は出なかった。




 ——代わりに、少しだけやる。




 何かが、胸の奥に触れた。




 冷たくも温かくもなかった。ただ、何かが入ってきた。それだけは分かった。




 光が、薄れていく。




 音が戻ってくる。




 最初に聞こえたのは、波の音だった。




---




 硬矢は目を開けた。




 店内だった。




 カウンターがある。椅子がある。窓がある。天井の照明がある——消えていた。




 照明が点いていなかった。




 硬矢はスイッチに手を伸ばした。押した。何も起きなかった。




 冷蔵庫の低い唸りが、消えていた。いつからか分からない。ただ、今は鳴っていない。




 ボックス席で、誉が立ち上がった。




「な、なんですか今の——」




 凪が誉の袖を掴んでいた。顔が白かった。




 スーツの女性が椅子から腰を浮かせていた。鞄を胸に抱えている。目が泳いでいた。




 八千代だけが、座ったままだった。文庫本を閉じて、膝の上に置いている。




「店長」




 硬矢はカウンターの奥を見た。




 大庭は立っていた。布巾を手にしたまま、動かなかった。




 ただ、その目は窓の外を見ていた。




 硬矢は、大庭の視線を追った。




 窓の外を見た。




 石畳がなかった。




 路地がなかった。




 向かいの建物がなかった。




 代わりに、草があった。




 背の低い、青い草が、窓の外一面に広がっていた。その先に、木が何本か立っている。さらにその向こうに——海が見えた。




 東京の海ではなかった。




 色が違った。空の色も、光の角度も、何もかもが違った。




 硬矢は窓に手をついた。




「……ここ、どこですか」




 誰にも訊いていなかった。ただ、口から出た。




 大庭は答えなかった。




---




 硬矢はカウンターの奥を通り、裏の階段を上がった。




 二階は大庭の住居だった。休憩の時間に、祖父の様子を見によく上がっていた部屋だった。畳の匂いがした。 蛇口をひねった。水が出た。コンロのつまみを回した。火は点かなかった。下と同じだった。




 南側の窓を開けた。




 風が入ってきた。今度は潮の匂いがした。




 眼下に草地が広がっていた。丘の上に店が建っている。草地はなだらかに下り、その先に海があった。東京の海とは違う。深い青が、水平線まで続いていた。白い波が、遠くで砕けている。




 西の窓に移った。




 東京なら、ここにはビルの壁があったはずだった。隣のビルとの隙間から空が細く見えるだけの、いつもの景色。




 壁はなかった。




 入り江があった。小さな浜に、家が十数軒並んでいる。干された網が見えた。船が浜に引き上げられている。五艘か、六艘か。煙が三本、細く立ち上っていた。




 漁村だった。




 入り江の奥に、丘陵が続いていた。その向こうに、山の稜線が見えた。高い。奥の峰には白いものが被っている。雪だった。




 そしてもう一度、漁村を見た。目を細めた。




 人影が見えた。




 小さかった。距離がある。だが、動いている。浜の近くで、何かを運んでいる。




 人が、いる。

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