# 第十八話 宿屋の夜
宿屋に戻ったのは、日が沈んだ後だった。
一階の食堂に四人で座った。木のテーブル。蝋燭が一本。壁に魔石の灯りが二つ。薄暗かったが、落ち着いた。
硬矢はギルドカードをテーブルに出した。木の板に薄い金属を貼ったカード。名前とギルドの紋章が刻んであった。
「ギルドカードも作った。身分証明になる。この大陸のどのギルドでも通用する」
誉がカードを覗き込んだ。
「俺らも作れんのか」
「作れる。明日、ギルドに行こう」
硬矢は水を一口飲んだ。
「ゼスで話した冒険者たちを覚えてるか。四人パーティの。ギルドにいた」
誉が首を傾げた。
「ああ、前に言ってたやつか。でかい男と——」
「太い腕の盾使い。細剣を四本持った剣士。寡黙な剣士がもう一人。風の魔法使い」
誉が目を丸くした。
「四本? 三本目は口にくわえんのか。四本目はどうすんだ」
硬矢は一瞬、黙った。同じことを聞いた。全く同じことを聞いた。
「……属性が違うらしい。火、氷、雷、無属性。相手に合わせて抜き替える」
「かっけえ……」
硬矢はもう一度水を飲んだ。
「ダンジョンの話も聞いた。この街の海洋ダンジョン——上層はカニやトカゲ。中層は周回できる。深層は海の中で、誰も行けない」
誉が身を乗り出した。
「ダンジョンか。面白そうだな」
「面白いかどうかは分からない。ただ、昔は中層にいい素材があって、この街も賑わってたらしい。今は——」
「見ての通り、か」
誉が窓の外を見た。暗い通りだった。人の気配がなかった。
硬矢は続けた。
「魔法使いにも会った。風の魔法を使う人だった」
凪が顔を上げた。
「魔法……」
「味方に追い風を送って速くする。敵に向かい風を当てて遅くする。派手じゃないけど、あの人がいないとパーティの力が半分になるって言ってた」
誉が腕を組んだ。
「へえ。バフとデバフか」
「そういうことだ」
梓乃がテーブルの上の水の器を見た。蔵書庫でイザーナに教わった相場を、梓乃は覚えていた。
「ウィステリアまで七日。宿代は高い。でも、行かないと何も分からない」
凪が小さく頷いた。
「行くしかないよね」
誉が椅子の背にもたれた。
「行こう。ここにいても始まんねえし」
硬矢は四人の顔を見た。反対はなかった。
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食事が運ばれてきた。パンと干し肉のスープ。硬い。だが温かかった。
食堂には他にも客がいた。奥のテーブルに二人。革の鎧を着ていた。剣を壁に立てかけていた。冒険者だった。
一人が立ち上がった。大柄な男だった。ジョッキを持ったまま、硬矢たちのテーブルに近づいてきた。
「お前、今日ギルドにいたろ」
硬矢は顔を上げた。見覚えがあった。ギルドの受付で、硬矢たちの後ろに並んでいた男だった。
「ああ」
「リザードマンの鱗、持ち込んだのもお前らか」
硬矢は頷いた。
男はジョッキを置いた。硬矢の向かいに座った。断りはなかった。
「ジェネラル種だろ。あれで二人やられた」
声が低かった。酔ってはいなかった。
「知ってるのか」
「中層を周回してたら出くわした。俺らのパーティだ」
男は奥のテーブルを顎で示した。残りの一人がこちらを見ていた。
「四人パーティだった。今は二人だ」
硬矢は黙った。
「一人は死んだ。もう一人は腕をやられて引退した。剣が握れない」
男はジョッキの中身を見た。揺らした。飲まなかった。
「——お前ら、冒険者か」
「いや。旅をしてる」
「旅か。どこへ」
「ウィステリア」
男は少し目を細めた。
「街道は安全だ。今のところは。だが——」
男は声を落とした。
「ちょっと前に、中層から深層に降りていく連中がいた。見たことない装備だった。五、六人。誰も知らない顔だった」
男は一度、言葉を切った。
「——強かった。歩き方で分かる。俺らじゃ止められない。止める間もなかったし、止めたところでどうにもならない連中だった」
誉が身を乗り出した。
「深層に? 海の中だろ?」
「ああ。普通は行けない。だがあいつら、迷いもなく階段を降りていった」
男はジョッキを持ち上げた。一口飲んだ。
「あいつらが降りた後から、中層の魔物が増えた。深層から押し出されてきてる。リザードマンが中層に出てきたのも、たぶんそれだ。あいつらが何かしたんだろう」
「ジェネラル種が出てきて、やられた奴が何人もいる。しばらく中層の周回も回せなくなる。周回が減れば、中層の魔物が溢れる。溢れれば、地上に出てくる」
「悪循環だ」
硬矢が言った。
「そういうことだ」
男は立ち上がった。
「ウィステリアに行くなら、早い方がいい。街道が安全なうちにな」
男は奥のテーブルに戻った。二人で静かに飲み始めた。
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食堂が静かになった。他の客は部屋に戻っていた。蝋燭の火が揺れていた。
誉が腕を組んだ。
「……やべえな、この街」
「衰退してる」
硬矢が言った。
「冒険者が減って、ダンジョンの管理が追いつかなくなってる。管理が追いつかないから魔物が増える。魔物が増えるから人が減る」
梓乃が静かに言った。
「オーヴホールだけの問題じゃあないかもしれない。シャンリアナ全体の——」
途中で止めた。言い切るには、まだ知らないことが多すぎた。
凪がスープの器を両手で包んでいた。冷めていた。
「……イザーナが、明日来てって言ってた」
硬矢は頷いた。
「魔法のことを教えるって。準備があるから昼過ぎにって」
誉が顔を上げた。
「魔法? 俺らに?」
「そう言ってた」
誉の目が光った。
「——マジか。魔法、使えんのかな」
「分からない。でも、聞く価値はある」
梓乃が少し笑った。
「誉くん、目が輝いてる」
「だって魔法だぞ!?」
凪が小さく笑った。誉を見ていた。
硬矢は窓の外を見た。暗かった。星が見えた。この世界の星だった。
「明日、イザーナのところに行こう。それから——」
硬矢は四人を見た。
「ウィステリアに発つ準備を始める」
誉が拳を握った。凪が頷いた。梓乃が静かに微笑んだ。
蝋燭の火が揺れた。四人の影が壁に伸びていた。
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朝が来た。
窓から光が差していた。海の匂いがした。潮と、魚と、石の匂い。
四人で宿を出た。通りは静かだった。朝の市場に人がまばらにいた。干し魚を並べている老人。水を汲んでいる女。犬が一匹、日向で寝ていた。
ギルドに着いた。扉は開いていた。
中に入ると、カウンターの奥に受付の女がいた。硬矢を見て、少し目を見開いた。昨日、ジェネラル種の鱗を持ち込んだ男だった。覚えていた。
「——おはようございます。今日は何の御用で」
「仲間のギルドカードを作りたい」
受付の女は三人を見た。誉と凪と梓乃。三人とも、この大陸の人間ではなかった。顔の系統が違う。服も違う。だが、昨日の保証人がいる。
「一般登録でよろしいですか」
「はい」
三人分の手続きが始まった。名前を書く。この世界の文字は書けない。受付の女が代筆した。昨日と同じだった。
誉がカードを受け取った。木の板に薄い金属。名前とギルドの紋章。
「おお。身分証だ」
誉がカードを裏返した。表を見た。また裏返した。
「かっけえ」
凪も受け取った。自分の名前を指でなぞった。この世界の文字で書かれた、自分の名前だった。
梓乃はカードを静かに受け取った。財布に入れた。
「——保証人の欄、昨日の方のお名前が入っています。ウェインさんですね」
硬矢は少し驚いた。あの太い腕の男の名前を、初めて知った。
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手続きを終えて振り返ると、酒場の方に見覚えのある背中があった。
太い腕。革の鎧。壁に盾を立てかけている。
ウェインだった。奥のテーブルに四人で座っていた。水と干し果物。朝から酒は飲んでいなかった。
ウェインが振り返った。
「おう。来たか」
硬矢は頭を下げた。
「昨日は——保証人、ありがとうございました」
「ああ? ああ、あれか。気にすんな」
ウェインは干し果物を口に放り込んだ。
「仲間か。——昨日の若いのはどうした」
「昨日発った」
ウェインは三人を見た。高校生二人と、営業職の女。冒険者には見えなかった。
「——座れ」
四人が座った。テーブルが狭くなった。
ウェインが向かいの三人を顎で示した。
「紹介する。ロット」
細剣の男が軽く頷いた。腰に二本、背中にも二本。誉がそれを見た。
「四本……」
「属性が違う」
ロットが真顔で言った。
「火、氷、雷、無属性」
誉の目が光った。
「全部使えんのか」
「使う」
「トリス」
ウェインが隣の男を示した。トリスは黙って頭を下げた。剣を膝に立てかけていた。水を飲んでいた。
「パーヴァル」
杖を立てかけた男が、穏やかな顔で硬矢たちに微笑んだ。
「よろしく。風の魔法を使う」
ウェインが水を飲んだ。
「で、お前ら。ウィステリアに行くんだってな」
硬矢は頷いた。
「街道は七日だ。今のところ安全だが——」
ウェインは声を少し落とした。
「中層の魔物が増えてる。溢れたら街道にも出る。早い方がいい」
昨夜の冒険者と同じことを言っていた。
パーヴァルが口を開いた。
「旅の装備は揃っているか」
硬矢は首を振った。
「これから準備する」
パーヴァルは少し考えた。
「水袋は二つずつ持て。街道沿いに井戸はあるが、間隔が長い。干し肉は三日分を余分に。天候が崩れると足止めを食う」
梓乃が頷いた。覚えていた。
ウェインが椅子の背にもたれた。
「——俺らはしばらくここにいる。中層の周回が止まってるからな。やることがない」
ロットが静かに言った。
「やることがないわけではない。情報を集めている」
「まあ、そういうことだ」
ウェインが笑った。
「帰ってきたら寄れ。ウィステリアの話を聞かせろ」
硬矢は頷いた。
ギルドを出た。朝の光が眩しかった。
誉がギルドカードをポケットから出した。もう一度見た。
「怪物の葬儀屋、か」
「何だそれ」
「受付の姉ちゃんが言ってた。あの四人のパーティ名。怪物の葬儀屋」
凪が小さく笑った。
「すごい名前……」
「かっけえよな」
硬矢は通りを見た。昼過ぎにはイザーナのところに行く予定だ。




