第五話 木賃宿
七月十二日、亥の刻。木賃宿の大部屋は、男たちの汗と酒の匂いで蒸れていた。
板敷きの床に、薄い筵が隙間なく敷き詰められている。そこへ二十人近い男たちが、思い思いの格好で寝転がっていた。鼾。歯ぎしり。寝言。誰かが寝返りを打つたびに、別の誰かが寝ぼけて悪態をつく。どの顔も、死合いの高札を見て谷へ下りてきた者たちだった。
千早は部屋の隅の柱に背を預け、刀を抱いて座っていた。横にはならない。なれなかった。
隣の男の足が、筵の境を越えて千早の膝に触れている。反対側では、熊のような大男が寝返りを打つたびに、肘が肩先をかすめた。晒を巻いた胸が、蒸し暑さで息苦しい。汗が背筋を伝う。襟元をくつろげたくても、それができない。
(五年も、こうしてきたのに)
旅の宿で男たちと雑魚寝をするのは、初めてではなかった。それでも、慣れることはなかった。眠れば、身体が緩む。緩めば、どこかで綻ぶ。
千早は目を閉じ、心の中で一炷を数え始めた。部屋の奥では、まだ起きている男たちが、灯明の残り火を囲んで声を潜めていた。
「――じゃあ、遊里のあの大男がそうか」
「鉄漿丸よ。不寝の城の御用で、遊女屋を一手に仕切ってる。あいつも名乗りを上げるって話だ」
千早の数が、止まった。
鉄漿丸。少女の髪を掴み、千早を腰抜けと笑った、あの男の名。
「腕はどうなんだ」
「城主さまの次に強えって噂だ。逆らった女衒仲間を、表で三人まとめて斬ったとか」
「城主さま、ってのは」
「穂刈刑部さまよ。自分の死合いに、自分も出るんだとよ」
「不寝の城の、主か」
「おうよ。あの城の灯は、夜通し消えねえ。谷じゅうの者が、寝床から見上げてる。誰も、わけは知らねえがな」
男たちが、一様に黙った。灯明の火が、じじ、と鳴った。
「……だがな、一番おっかねえのは、城主さまでも鉄漿丸でもねえ」
声を落としたのは、頬に刀傷のある男だった。
「城主さまのそばに、小姓上がりの小僧がいる。まだ十五、六の餓鬼だ。そいつが二刀を使う」
「二刀?」
「ああ。去年、城に忍び込んだ盗っ人を、両の刀で斬り伏せたのを見た奴がいる。眉ひとつ動かさなかったそうだ」
柱に預けた背が、冷たくなっていく。
十五、六。五年前、炎の中で泣いていた弟は、十になったばかりだった。
(違う)
刀の鞘を、強く握りしめた。
(あの子のはずがない。あの子は、虫一匹殺せない子だった)
蛍を捕まえても、すぐに放してやる子だった。夜中に厠へ一人で行けず、千早の袖を引いて起こす子だった。
「名は何て言うんだ、その小僧」
男たちのひとりが、何気なく尋ねた。刀傷の男は、欠伸を噛み殺しながら答えた。
「ああ、確か――」
灯明の火が、ふっと消えた。闇の中で、男の声だけが続いた。
「蓮丸さま、とか言ったな」




