第二十六話 二刀
灰は、落ちなかった。
燃えた先に、白い灰が溜まっていく。風がないから、反りもしない。ただ、まっすぐに、静かに、伸びていく。
河原の誰も、口をきかなかった。
辰五郎の額から、汗が噴き出していた。顎を伝い、野良着の襟を濡らしていく。鶴嘴を握る手が、白くなっている。指の関節が、柄の上で小刻みに震えていた。汗で、柄が滑るのだろう。何度も、握り直したそうに指が動く。だが、動かせない。動かせば、櫓の鉄砲が撃つ。
辰五郎の唇が、かすかに動いていた。声にはならない。だが、千早には、その形が読めた。
――いと。
娘の名を、呼んでいた。
向かい合う少年は、微動だにしなかった。汗ひとつかいていない。息をしているのかどうかさえ、分からない。両の手は、だらりと下げたまま、二本の柄から指一本ぶん離れている。
千早は、灰を読んだ。
風のない灰は、自らの重みだけで落ちる。伸びて、伸びて、その先が、己の重さに耐えきれなくなったとき。千早には、その時が分かった。もう、そう長くはない。
隣で、小太郎が唾を呑む音がした。
灰の先が、ほんのわずかに、下を向いた。
そして――
音もなく、落ちた。
辰五郎が、叫んだ。
声にならない声を上げて、鶴嘴を頭上に振りかぶる。坑道で岩を砕くときと同じ、全身の力を込めた振りかぶりだった。
少年が、動いた。
その動きから、目を逸らすことができなかった。
肩が、揺れない。腰から先に、足が送られる。地を擦るような、音のない踏み込み。三間の間合いが、一息で詰まっていく。間合いの詰め方。相手の振りの、ちょうど内側へ入る角度。
千早の脳裏に、別の光景が閃いた。
屋敷の裏の、稽古場。夏の朝。木刀を構えた父の背中。
――肩で行くな、千早。腰から先に足を送れ。相手の振りの内へ、斜めに入れ。
同じだった。
目の前の少年の足は、父の足と、寸分違わず同じ運びをしていた。
(やはり、あの子だ)
少年の右手が、長い刀を抜いた。振り下ろされる鶴嘴の柄を、刃の峰で斜めに受け流す。鉄と鉄が擦れ合う、甲高い音。鶴嘴が、少年の脇へ逸れていく。
その逸れた先で、少年の左手が、短い刀を抜いていた。抜く刹那、少年の目が、ほんの一瞬、桟敷のほうへ流れた。
抜き打ちの一閃が、走った。
千早は、その音を聞いた。
刃が、何かを断つ音。硬いものと、柔らかいものを、一度に。
鶴嘴が、地面に落ちた。
それを握っていたものと、一緒に。
一拍遅れて、辰五郎の絶叫が、河原を引き裂いた。
群れから、悲鳴が上がった。誰かが顔を覆い、誰かがその場にうずくまった。桟敷の端で、城主の娘が両手で顔を覆い、身体ごと背けるのが見えた。
隣で、小太郎の口から、言葉にならない息が漏れた。軽口が、喉の奥で止まっていた。
千早の身体は、石になったようだった。
目だけが、少年から離れなかった。
殺さずともよい段だった。かすり傷ひとつで、勝てた。あの足運びなら、頬を掠めることも、袖を裂くことも、たやすくできたはずだった。
それなのに。
(あの子が、これをした)
やはり、あの子だ。そして、あの子が、これをした。二つの思いが、同時に胸の中で燃え上がり、千早の息を奪った。
「……しょ、勝負、あり。蓮丸さまの、勝ち」
主膳の声さえ、かすれていた。
短い刀が、一度、鋭く振られた。刃についたものが、乾いた地面に赤く散った。二本の刀が、鞘に納まる。
それから、少年は、桟敷を見上げた。
刑部が、脇息にもたれたまま、少年を見下ろしていた。そして、ほんのわずかに、顎を引いた。頷いたのだ。
少年の顔に、何かが浮かんだ。
それを見て、胸が潰れそうになった。
それは、褒められた子供の顔だった。




