第二十四話 髷
最初に動いたのは、鉄漿丸の髷だった。
元結の少し上で断たれた髷が、ゆっくりと傾いた。重みに引かれて、鉄漿丸の頭から滑り落ちる。そして、河原の乾いた土の上に、ぽとりと落ちた。
伸び放題だった月代の上に、髷のない頭が、間の抜けた形で残っていた。その頭皮の上を、細い赤い線が一筋、横切っていた。じわりと、血の玉が浮かんでくる。
一拍の、沈黙。
それから――
「……勝負、あり!」
主膳の甲高い声が、裏返った。
「千之助の、勝ち!」
河原が、爆ぜた。
どよめき。歓声。誰かの口笛。笑い声。
「髷だ! 髷を落としやがった!」
「見えたか、今の!」
「見えるかよ、あんなもん!」
鉄漿丸が、振り返った。片手で、自分の頭に触れる。指先に、血がついた。髷のあった場所に、何もない。
鉄漿丸の顔が、赤黒く染まっていった。
「てめえ……」
鉄漿丸の手が、刀の柄を握り直した。踏み出そうとする。
その瞬間、河原の向こうの櫓の上で、かちりと乾いた音がした。
鉄砲衆の火蓋が、切られる音だった。いくつもの筒先が、鉄漿丸に向けられている。
鉄漿丸の足が、止まった。
「鉄漿丸どの!」
主膳が、扇を振り回した。
「勝負はついた! これ以上刀を振るえば、掟破りにござるぞ!」
鉄漿丸の目が、櫓を睨み上げ、それから桟敷へ向いた。
刑部は、脇息にもたれたまま、扇で顔を扇いでいた。こちらを見てもいない。欠伸を、ひとつ噛み殺しただけだった。
鉄漿丸の肩から、力が抜けた。刀を鞘に納める手が、怒りで震えていた。
千早は刀の柄から手を離した。そのとき初めて、自分の手も震えていることに気づいた。
人垣の最前列で、小太郎が指を口に入れ、高く口笛を吹いた。
「いいねえ、兄貴!」
聞こえないふりをした。
鉄漿丸の背後の一角で、遊女たちが顔を伏せていた。肩が、小刻みに揺れている。笑いを、噛み殺しているのだ。お志乃が、白粉の下で唇をきつく結んでいた。それでも、目元だけは、隠しようもなく笑っていた。
裂けた襟を、片手で押さえた。晒が、覗かないように。
顔を上げたとき、千早は、二つの視線に気づいた。
一つは、香炉の脇に立つ白い打掛の女のものだった。女は、台の上に崩れた灰を見下ろしていた。それから、千早に目を移した。その目に浮かんでいるのは、驚きではなかった。何かを確かめるような、静かな光だった。
(見られた)
読みを隠すための、半拍の遅れ。それを、あの女は見ていたのかもしれない。
もう一つの視線は、桟敷の上からだった。
刑部の脇に控えた二刀の少年が、片膝をついたまま、身を乗り出していた。その目は、千早の顔ではなく、足もとを見ていた。千早が鉄漿丸の脇をすり抜けた、その足の運びを。
少年の眉が、かすかに寄った。まるで、どこかで見た夢を、思い出しかけているように。
目を逸らした。控えの小屋へ戻ろうと、踵を返す。
すれ違いざまに、鉄漿丸が低く言った。千早の耳にだけ届く声だった。
「覚えたぜ、小僧」
血の滲む頭で、鉄漿丸は嗤っていた。その目は、千早の押さえた襟元に、まっすぐ注がれていた。
「その胸に、何を隠してやがる」




