第十三話 迎え火
七月十三日、酉の刻。谷の底が、燃えていた。
河原に組まれた薪の山が、いくつも火を噴き上げている。迎え火だった。盂蘭盆の初めの夜、死者の魂を迎えるために焚く火。だが、黄泉沢の迎え火は、千早の知るどの村のものとも違っていた。
大きすぎる。そして、静かすぎる。
河原の端では、町の者たちが輪になって盆踊りを踊っていた。太鼓に合わせて、手を上げ、足を運ぶ。だが、その太鼓は、どこか拍子がずれていた。踊り手たちの顔には、笑みがない。命じられた形をなぞるように、黙々と手足を動かしているだけだった。
(踊らされている)
千早は、人の群れの後ろから、河原の中央を見た。青銅の大香炉が、篝火に照らされて鈍く光っていた。大人の背丈ほどもある。その正面、坑口を背にして、幔幕を張った桟敷が組まれていた。桟敷の奥は暗く、篝火の光が届かない。誰が座っているのか、ここからは見えなかった。
ただ、桟敷の端に、少女がひとり座らされているのが見えた。薄桃色の小袖。うつむいたまま、膝の上で手を重ねている。
(あれが、城主の娘か)
勝者に嫁がされる娘。高札の文字が、頭をよぎった。
桟敷の下では、総髪の男が床几に腰掛け、画帳に筆を走らせていた。旅の絵師のようだった。大香炉の脇には、白い打掛の女が立っていた。遠目にも、その立ち姿は凛として、篝火の明かりの中で一人だけ浮き上がって見えた。女の前の台には、線香の束が積まれている。
人の群れの中に、見知った顔もあった。研ぎ場の与平が、太一の手を引いて、群れの外れに立っている。太一は、千早の腰の刀を見つけると、目を輝かせて小さく手を振った。与平が、その頭を黙って押さえた。河原を見下ろす遊女屋の二階には、簾越しの人影がひとつ。お紺だろう。
太鼓が、ひときわ大きく鳴った。踊りの輪が、ぴたりと止まる。
桟敷の脇の床几から、肥えた男が立ち上がった。五十がらみ。脂の浮いた丸顔に、細い目。立派な裃を着込んでいるが、腹がせり出して、帯がきつそうだった。男は、手にした巻物を仰々しく広げた。
「静まれい!」
甲高い声だった。
「死合い奉行、猪俣主膳である。これより、死合いの掟を申し渡す!」
河原が、しんと静まった。
「一つ。死合いは、明日より毎日催す。相手と刻限は、くじにて定める」
「一つ。死合う両名の間に、線香を一本、斜めに寝かせて置く。その最初の灰が落ちた時をもって、死合いの始めとする」
千早の指が、かすかに動いた。
――灰が落ちるまで。
「一つ。初太刀の段においては、先に相手の身に刃を入れた者を勝ちとする。かすり傷にても構わぬ」
群れが、わずかにざわめいた。殺さずともよい。それを聞いて、肩の力を抜いた者もいるようだった。
「一つ。灰が落ちる前に鯉口を切り、あるいは得物を動かした者、また勝負ありの後になお得物を振るった者は、櫓の鉄砲が、その場にて撃ち抜く」
ざわめきが、ふつりと途切れた。誰かが、河原の向こうの櫓を振り仰いだ。篝火を受けて、鉄の筒先がいくつも、こちらを見下ろしていた。殺さずともよい勝負の中に、死が一つだけ潜んでいる。
「一つ。最後に立ちたる者に、黄金百枚、ならびに当家の家督を譲る。また、殿の御息女、早苗さまを娶らせるものとする」
桟敷の端の少女が、膝の上の手を、ぎゅっと握りしめたのが見えた。その奥の暗がりは、身じろぎもしなかった。黄金にも、家督にも、娘の名にも、奥に座る者は、何ひとつ応えなかった。
巻物を巻き取りながら、主膳の細い目が群れを撫で回し――千早の顔の上で、ねっとりと留まった。気づかぬふりをした。
(それだけか)
初太刀の段。それが一の段だとすれば、その先は。二の段の掟は、一言も読み上げられなかった。千早の胸の奥に、小さな棘が引っかかった。だが、群れの男たちは、誰もそれを気にしていないようだった。黄金百枚という言葉に、目の色を変えている。
視線を、大香炉に戻した。灰が落ちるまで、抜いてはならない。風、湿り気、香の質。灰が落ちる刻は、それらで変わる。
(灰を読める者には――)
その先は、胸の中でも言葉にしなかった。
主膳が、扇を開いて河原を指した。
「我と思わん者は、香を取り、名乗り出よ!」
沈黙が落ちた。誰もが、互いの顔をうかがっている。最初に出る者は、全員の目に晒される。
その沈黙を破って――
「わしが、一番乗りよ!」
野太い声が、群れの中から上がった。人垣を割って、大柄な老人が進み出てくる。白髪混じりの総髪。仕立てのいい羽織。黒漆に金を散らした、見事な拵えの大刀。
千早の目が、細くなった。
峠の茶屋の、あの男だった。




