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香りで嘘が分かる調香師令嬢は、婚約破棄が“作られた匂い”だと気づいてしまった  作者: ヲワ・おわり


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14/30

第14話 十五年の時を越えて、同じ手が毒を握っていた

 嗅覚が戻った朝、アニエスは最後の照合に挑んだ。

 調香院の検分室。白木の卓に、三つのものが並んでいる。茶会で止めた毒杯の、毒を移し取った布。母の香料箱に眠っていた、記録用の香。そして、十五年前の側妃毒殺の検分記録に添えられていた、当時の調香師が保存した毒の見本。三つの、時を隔てた毒。

 これらが「同じ系統」であることは、もう分かっている。けれど、系統が同じというだけでは、証明にならない。似た毒は、他にもありうる。今日確かめたいのは、もっと深いところだった。

「主席。毒には、作り手の癖が出ます」アニエスは、傍らのバルテルミーに言った。「香の調合と同じです。同じ処方でも、調香師によって、わずかに手の運びが違う。定着の仕方、雑味の残り方。その癖は、指紋のように、匂いに刻まれます」

「同じ処方かどうかではなく、同じ手かどうかを、確かめると」

「はい。もし、この三つの毒が、同じ調香師の癖を持つなら」アニエスは、目を閉じた。「十五年前も、今も、同じ一人の手が、毒を握っていることになります」

 息を、細く整える。回復したばかりの鼻に、無理をさせすぎないよう、けれど、深く。

 まず、十五年前の見本。古びて、匂いは薄い。けれど、その底に沈む、独特の癖。青草の刺の後に、ほんの一瞬遅れて立つ、金属の甘み。定着剤の、わずかにくどい残り方。

 次に、母の記録香。同じだ。同じ、遅れて立つ金属の甘み。

 そして、茶会の毒。回復したばかりの鼻に、その匂いは、痛みを伴って届いた。青草の刺。遅れて立つ、金属の甘み。くどく残る、定着剤。

 アニエスの、指先が震えた。

 同じだった。まったく、同じ癖。三つとも、寸分たがわず、同じ手の運びで作られている。毒の配合は、写せる。処方は、盗める。けれど、手の癖だけは、真似できない。長年その毒を作り続けた者だけが持つ、無意識の運び。それが、三つの毒に、そっくり同じ形で刻まれていた。

 十五年前に側妃を殺した毒と、母の記録に残る毒と、つい先日、公妃を殺そうとした毒。すべてが、たった一人の調香師の手から、生み出されている。時を隔てても、変わらぬその癖が、犯人がずっと同じ一人であることを、何より雄弁に告げていた。

「主席……三つとも、同じ手です」声が、かすれた。「同じ人物が、十五年ものあいだ、同じ毒を作り続けている。その者は、生きて、今も宮廷にいる」

 バルテルミーの顔から、血の気が引いた。老調香師も自ら三つを嗅ぎ、長い沈黙のあと、重々しく頷いた。

「……調香院として、認めよう。この三つは、同一の作り手による毒だ。十五年前の側妃の死は、病ではない。毒殺だった。そして、その犯人は、まだ生きている」

 証明された。過去の殺人が、今、香によって暴かれた。

 けれど、アニエスの胸を突いたのは、それだけではなかった。三つの毒を嗅いだ瞬間、封じていた記憶の扉が、完全に開いたのだ。

 甘く、金属くさく、花のような。五歳の夜。母に連れられて城の奥へ入り、大人たちの張り詰めた声の中で嗅いだ、あの匂い。

 あれは、この毒だった。

 母は、あの夜、側妃毒殺の検分に呼ばれていたのだ。血を読む家の筆頭として。そして、幼い自分を連れて、その現場に立った。母は、毒を嗅ぎ当てた。犯人の癖まで、読み取ったかもしれない。だからこそ、「誰にも言うな」と、震える声で、娘に沈黙を命じた。母は、知っていたのだ。この毒を嗅ぎ当てた者が、どういう末路をたどるのかを。だから、自分の身に危険が迫っても、娘だけは巻き込むまいと、真実を胸の底に封じたまま逝った。

 自分は、目撃者だった。五歳で、母を殺した毒の匂いを、記憶に刻んでしまった。それを、犯人が知ったら。母が消されたように、自分も。

 いや、婚約破棄も、追放の噂も、茶会での毒も。すべては、もう始まっていたのかもしれない。犯人は、とうにアニエスを危険と見なしている。母の血を継ぎ、母と同じ鼻を持つ娘。いつか、あの夜の記憶を取り戻し、毒の正体を嗅ぎ当てる娘。その芽を、今のうちに摘もうとしている。婚約破棄で信用を潰し、追放で立場を奪い、それでも足りなければ、毒で。

 背筋が、氷のように冷たくなった。自分は、ずっと前から、この見えない手のひらの上で、標的にされていたのだ。

 その足で、アニエスはアルヴィスの元へ向かった。人払いした一室で、震える声で告げる。

「殿下。確かめました。あなたの母君を殺した毒と、今、宮廷で使われている毒は、同じ手のものです。同一の犯人が、十五年、生きて、宮廷にいます」

 アルヴィスは、動かなかった。長い、長い沈黙。やがて、その灰色の瞳の奥で、十五年ものあいだ凍りついていた氷が、はっきりと、音を立てて軋んだ。

「……生きて、いるのか」絞り出す声が、震えていた。感情を殺し続けてきたこの人の、抑えの糸が、初めて、目に見えて千切れかけていた。「母を殺した者が、この宮廷で、今も、優雅に、生きているのか」

「はい」

 アルヴィスは、窓の外を見た。西日が、宮廷の尖塔を、血のように赤く染めている。

「見つけよう」低く、けれど確かな声だった。「そなたの母を消し、私の母を殺し、そなたを狙う、その手を。必ず、暴く」

 その声には、十五年ぶんの、凍てついた怒りが滲んでいた。けれど、アルヴィスはそれを、爆発させはしなかった。凍らせることでしか生きてこられなかった人が、その凍った刃を、今、たった一つの標的へと、静かに研ぎ澄ませていく。感情に呑まれず、証拠と道理で、必ず仕留める。それが、この人の戦い方だった。

 アニエスは、その横顔を見上げた。読めない相手。それでも、この人の隣で戦いたい、と思った。同じ毒に母を奪われた、たった二人の、共犯者のように。

 十五年前と今を繋ぐ、宮廷に潜む、たった一つの手。それは、リゼットの偽りの血とも、きっと繋がっている。二人の因縁が、一本の毒で、固く結ばれた。

 けれど、真実を「知る」ことと、それを公の場で「証明する」ことのあいだには、越えがたい制度の壁が、依然として、高くそびえ立っていた。犯人の名すら、まだ、闇の中だった。


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