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第2話〜運命の出会い〜

 貿易都市ノーリッジというのは、思っていたより騒がしいものだ。太陽が真上に昇る昼時。潮風が吹き抜ける石畳の大通りには人が溢れていて、重そうな荷馬車が行き交い、露店の売り声に港の海鳥の鳴き声が重なり合っている。そして、どこかから香辛料と魚を香ばしく焼く匂いが漂ってくる。村で育った私には、この密度が少し息苦しい。


「確か、冒険者というものに入ると良いとお母様が言っていたのだ」


 喧騒とした大通りが映るガラス窓の前で立ち止まり、その中に映る自分を覗き込んだ。パリッとした白のYシャツに、首元にはキュッと結ばれたピンク色のリボン。下は冒険の機動力を殺さない長さの赤いスカート。その上から黒い魔法使いローブを羽織り、頭にはすっぽりと被る大きめの魔女帽子。村を出る前、お母様が機織り師にお願いして仕立ててくれた、私のためだけのお手製だ。


「これからもっと背が伸びるから」


そうお母様に言われ、少し大きめに作られた新品の黒のローブは指先が少し隠れるくらい長い。魔王としての威厳は欠片もないが、袖を通すだけで胸が高鳴って魔法使いらしいポーズを決める。


「すっごく似合ってるわよ」


 そうお母様は言ってくれた。旅立つ朝、村の入り口まで見送りに来てくれたお母様は泣きそうながらも笑顔だった。ただ私の少し長い袖を丁寧に折り返して「気をつけてね」と送り出してくれた。その笑顔を思い出しながら、ガラス窓の中の自分を覗き込む。銀色の髪が魔女帽子の下から覗き、真昼の陽光に透けている。大きめの服に身を包んだ姿は、まだ少し不恰好かもしれない。それでもこの想いの篭った大事な服を着ていると、これから始まるすべてが輝いて見えた。


「……よしっ」


 小さく、でも確かに声に出した。両手で胸元のピンクリボンをキュッと握りしめる。


「頑張るのだ!」


 通りを歩く人が数人振り返った気がしたが、気のせいだった。



「お腹が減ったのだ」


 意気込んでから三分も経たないうちに、私の腹は正直な意見を述べた。昨夜は馬車の中で干し肉を一枚かじっただけだ。これは仕方がない。魔王といえども腹は減る。大通りを歩きながら周囲を見渡すと、すぐに目に入った。路地の入り口に構えた小さな屋台。鉄板の上で何かが焼けていて、その煙が風に乗ってこちらまで流れてくる。肉だ。香辛料をまぶした、何かの肉が焼けている匂いだ。胡椒とそれから甘い何かと、焦げた脂の匂いが混ざり合って、鼻の奥を直接つかんでくる。


「あそこなのだ」


 私は迷わず向かった。向かおうとした。


「——っ」


 大通りの人の波が、私を呑み込んだ。気づいたときには四方を人に囲まれていた。荷物を抱えた商人、連れ立って歩く家族、急ぎ足の配達人、立ち止まって地図を広げている旅人。全員が全員、私より頭一つ以上大きくて、全員が全員、自分の行き先だけを見ていた。


「ちょ、ちょっと待つのだ!そっちではなくて——」


 誰にも聞こえない。流れに逆らおうとするたびに、新しい波が来る。押されて、避けて、また押されて、気づいたら全く知らない路地に吐き出されていた。


「ここはどこなのだ?」


 さっきまでの喧騒が嘘のように、石畳の細い路地に人の姿はない。洗濯物が頭上に干してあって、どこかの家から料理の音がする。屋台は、どこにも見えない。


「もしかして……迷子なのだ?」


 認めたくないが、これは迷子だ。貿易都市に来て一日目の朝……いや昼に、屋台を目指した結果として迷子になった。魔王として幸先が良いとは言えない出だしだ。私はとりあえず空を見た。太陽の位置から方角を確かめて、来た方向を思い出そうとする。


「こっちなのだ」


 大通りは確か南北に走っていたから、今いる路地から東に向えば大丈夫なのだ。数刻もせずに細い路地の向こうに、人通りの影が見えた。


「あそこなのだ」


 私は迷わず駆け出した。路地は細く少し薄暗くて、石畳が少し濡れていた。角を曲がれば大通りに出られる。路地が大通りに繋がる、その瞬間だった。視界が一気に開けた——と思った次の瞬間、右から何かが全速力で突っ込んできた。


「——っ!?」


 避ける間もなかった。大通りに飛び出したところを、真横から追突された。私とその誰かは揃って盛大に吹っ飛んだ。石畳に背中を打ちつけて、視界が一瞬白くなる。頭の中で星が散った。


「……いたいのだ」


 起き上がろうとして、ふと気づく。私の顔の横に、見知らぬ誰かのバッグが転がっており、中身が半分こぼれていた。そしてさらに少し先に、同じように吹っ飛んで転がっている人物が一人。明るい茶髪の、細身の男だ。冒険者なのだろうか。その男が走ってきた方向から——


「待ってーっ!そいつ捕まえてー!!」


 怒声が飛んできた。私はバッグと、転がっている男と、怒声の方向を順番に見比べた。


「……なんなのだ?」


 状況が理解できない。背中と腰がじわじわと痛みを主張している。石畳に打ちつけた衝撃が、今さらになって全身に広がってくる感じがした。これは追突なので仕方がない。魔王といえども痛いものは痛いのだ。男の方も同様らしく、盛大に転がったまま動いていない。そこへ、怒声の方向から誰かが駆け込んできた。


「あれ?何がどうなってるの?」


 怒声をあげていた正体は水色の髪をポニーテールにした少女だった。私より三つか四つ年上だろうか。息が上がっていて、頬が赤い。それでも目だけはきらきらしていて、転がっている私たちを見て一瞬で状況を把握したらしかった。


「足止めしてくれたんだね、ありがとう!」


 真っ先に私に向かってそう言った。


「……ち、違うのだ…!この男が勝手に…!」


 痛くて立ち上がれない中、少女は転がっている男をひょいと引き起こして手際よくその腕を背中に捻り上げた。


「いてててて」

「お婆ちゃんの荷物、返してもらうよ」


 明るい声で、でも有無を言わせない力でそう言った。しばらくすると後から自警団が三人、息を切らして路地に飛び込んできた。先頭の団員が状況を見て、深々と頭を下げた。


「ご協力、感謝します!」


 丁寧なお辞儀だった。私と水色髪の少女に向かって揃って敬礼をしてから、男を引き取って連行していった。


「ふぅ、疲れたー」


 自警団が路地の角を曲がって見えなくなった頃、息を切らしたお婆ちゃんが一人、よたよたと路地に入ってきた。白髪を後ろにまとめた、小柄なお婆ちゃんだ。手には買い物籠を持っていて、片方の手で胸を押さえながら歩いてくる。水色髪の少女がバッグを拾い上げて、こぼれた中身を手早く詰め直してからお婆ちゃんに駆け寄った。


「お婆ちゃん、大丈夫?はい、これ」

「ああ……ありがとうねえ、お嬢ちゃん。助かったよ」


 お婆ちゃんはバッグを受け取って、中身を確かめるように一度覗き込んだ。それから安堵したように息をついた。


「これ、亡くなった旦那からもらったバッグでねえ。取られたときはもうダメかと思ったよ」

「取り戻せて良かったよー」


 少女はにこにこしながらそう言った。お婆ちゃんはそこで初めて、石畳の上にへたり込んでいる私に気づいた。白い眉をぴくりと動かして、首を傾けた。


「……そちらのお嬢ちゃんは?」

「この子が犯人止めてくれたんだよー」

「まあ」


 お婆ちゃんは私をまじまじと見た。赤と黒の愛らしい服に、銀色の髪。石畳の上に座り込んだまま腰をさすっている姿を、上から下まで眺めてから——


「……ありがとうねえ、可愛いお嬢ちゃん」

「……どういたしまして、なのだ」


 可愛いお嬢ちゃんという部分に若干の引っかかりを覚えたが、お礼を言われたのは素直に悪くない気分だった。お婆ちゃんは籠の中をごそごそと漁って、小さな飴を二粒取り出した。少女と私に一粒ずつ差し出してくる。


「大したものじゃないけどね。気持ちだよ」

「冒険者として当たり前のことだよっ」


 少女は即座に受け取って口に入れた。私も受け取って、少し間を置いてから口に入れた。蜂蜜の味がした。お婆ちゃんはもう一度「ありがとう」と言って、来た道を戻っていった。その背中が路地の角を曲がって見えなくなるまで、なんとなく二人で見送った。路地が静かになった。


「……良いことをしたのだ」


 気づいたら口に出ていた。


「だねー」


 少女はけろりとした顔でそう言った。それから、その場にへたり込んだ。膝を抱えて、顔をしかめている。


「……立てるのだ?」

「あはは、ちょっと無理そう」

「同じなのだ」


 二人で石畳の上に並んで座ったまま、しばらく無言でいた。路地の向こうで大通りの喧騒が続いている。どこかで鐘が鳴った。


「ねえ、さっきのすごかったよね」


 少女が先に口を開いた。


「あんなど真ん中で止めるなんて、普通できないよ!」

「……たまたまなのだ」

「えー謙遜しなくていいよ〜?おかげで捕まえられたんだからさ」


 お礼を言われたのは悪くない気分だった。私はもう少し何か言おうとして——きゅうっと腹が、鳴った。静かな路地に、思ったより大きく響いた。沈黙。


「……っ…………今のは聞かなかったことに………」

「聞こえたよー」

「……風の音なのだ」

「路地に風吹いてないじゃんー」


 少女はにっこり笑った。責めるでもなくからかうでもなく、ただ事実として受け止めた顔だった。


「ご飯行こうよ。この辺で一番安くて美味しい店、知ってるんだよねー」

「……知ってるのだ?」

「冒険者やってるからねー。この街なら大抵わかるよー」


 少女はそう言いながらよろよろと立ち上がった。まだ少し足元がふらついているのに、笑顔は全く揺れていない。それから私に手を差し伸べた。


「私エレイナ!冒険者やってるんだ、よろしくねっ!」

「……セレスティナ・フォン・ライラック。魔王なのだ」


 私はその手を掴んで立ち上がった。


「セレスティナ……長いねー。ティナちゃんって呼んでいい?」

「呼ぶでないのだ」

「えーなんでー」

「魔王と呼べと言っておるのだ」

「まおう?」


 エレイナは少し首を傾けた。私の頭の先から足元までをじろじろと見て、不思議そうに言う。


「でもティナちゃん、魔王なのに角ないじゃんー。それに羽根も」

「っ……」


 私は言葉に詰まった。痛いところを連続で突かれた。実はその通りなのだ。人族として生まれ変わったらしいこの体には、魔王の象徴たる立派な角も空を覆うような漆黒の羽根も生えていない。威厳が足りないことは自分でも気付いていた。 だからこそこの大きな貿易都市ノーリッジに来たら、密かに調達しようと計画していたのだ。


「……買うつもり、だったのだ」


 私は思わず視線を逸らし、ボソッと小さな声で答えた。


「そうなんだね、角とか羽根って売ってるのかな?」

「……探すつもりだったのだ…」

「そっか、じゃあご飯のあと一緒に探してみよう?」


 エレイナは深く追求することも疑うこともなく、あっさりと頷いた。


「変だと思わないのだ?」

「冒険者って変な人ばっかりだから慣れちゃってね〜。ティナちゃん、行こうよ」

「話、聞いておったのだ?」

「聞いてたよ。ご飯食べるんでしょ?」


 深刻な空気が一切ない、けろりとした顔だった。


「……宿も知っておるのだ?」

「知ってるよっ、安くて清潔なとこ!今日どこか決めてるの?」

「決めておらぬのだ」

「じゃあ案内するねっ!」


 エレイナは迷いが一切ない足取りで、大通りの方向に向かっていく。私はその背中を見ながら、少し考えた。屋台の場所もまだわからない。宿もまだ決まっていない。今日これから何をするかも、何も決まっていない。ただ、腹は減っている。それだけは確かだ。


「待つのだ、エレイナ」

「はーい」


 実に優しく親切な人なのだ。私はローブの裾を少し持ち上げて、石畳の上を歩き出した。少し長い袖から覗く指先。赤いスカートの裾を揺らしながら追いかけるのだった。

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