41夜 エル・オンブレ・カイマン 妖怪ワニ男
俺は彼の子供達が、この状況をどんな顔で体験しているのか様子を見た。
対面に座る娘のアーシーは涼し顔で、流れる窓の町並みを眺めていた。
助手席でパソコンのマップを確認する息子のエリオは、遊園地の乗り物でも楽しんでいるように、ニコニコしていた。
ちょっと待ってくれ。
この家族からしたら、こんな危険なスピードで走行するは、当たり前のことなのか?
勢いづいた機関員のアティリオは煽り文句を言う。
「どけ、どけぇえ! どかねぇヤツぁ、はね飛ばすぞぉ!?」
救急隊が絶体に口にしてはいけない言葉だ。
後方から、こちらの救急車を待ってくれと言わんばかりに、サイレンの音が追いかけてくる。
後ろの窓へ目を向けると、トラック型の救急車が姿を現した。
「救急車の応援? でも傷病者は一人だと聞いたけど」
俺が疑問を口にすると、父のアティリオはサイドミラーで追ってくる救急車を目視。
白い車体に緑のライン。青色の回転灯を点滅させる、少し不気味な救急車だ。
大男はメキシコのスラングらしき言葉を発してから、端的に答えた。
「ピンチェッ!?(ちくしょう!?) ありゃ【エル・オンブレ・カイマン】だ」
「エル――――カイマン?」
「ワニだ。"ワニ男"って意味だ!」
「ワニ男? 一体、何なんですか?」
「見りゃわかんだろ? 同業者だ」
「なら応援ですよね? 」
「ぁ~あっ! 日本って国は、お花畑の上に街があるのか?」
困惑する俺を見かねて娘のアーシーが噛み砕いて話す。
「ウチらの同業者ってことは、違法な救助活動をしてるってこと。だから傷病者を奪い合う商売敵」
「い、今、"違法な"って言った? しかも、救急車二台で一人の傷病者を取り合うのか? 何かの冗談だよね?」
とんでもない救急車に乗り込んでしまったと、後悔している。
娘のアーシーは不満をサイレンの音に紛れ込ませた。
「だから反対したのよ……乗せると面倒になるって」
助手席に座るエリオは、サイドミラー越しに後続の救急車を見てから、父親を煽った。
「ほら、パパ! ワニに追い付かれちゃうよ!?」
「ネタッ(本当だ)! ボヤボヤしてたら奴にカネを横取りされる!」
あろうことかハンドルを握るアティリオは、後を追って来る救急車の進路を塞いだ。
後続の救急車が左右に頭を振って追い抜こうとすると、アティリオはそれに合わせてハンドルを回し、後方の進路を妨げる。
激しい揺れに翻弄されながら、俺はアティリオを止めに入る。
「ちょ、ちょっとセニョール!? 何してるんですか?」
「俺が先に見つけた傷病者だ。ワニ野郎に渡すか!」
アティリオが後方の進路を塞ぐ為、救急車を左へ寄せると乗用車に急接近。
幅寄せされた乗用車は泡を食ったように救急車から距離を取る。
あわや大惨事になるところを回避。
これでは、一般車は緊急車両に道を譲っているのではなく、巻き込み事故を恐れてサイレンから逃げているように見えた。
通りの道が細くなり窮屈な幅になっても、ハンドルを握るアティリオは、アクセルを緩めることはない。
映画スターウォーズに巨大要塞の内部へ、戦闘機が突入するシーンを見たが、それと同じくらいの無鉄砲な侵入だ。
ナビを担当する息子のエリオが、パソコンのマップを見ながら指示を飛ばす。
「パパ。大通りの手前を右に曲がると近道だよ。アニョ・デ・ファレス通り」
「おっしゃぁー!」
高架下へ差し掛かると、父のアティリオが勢いよくハンドルを右へ切ったので、俺はつんのめりになりストレッチャーへ両手を付いて自重を支えた。
後ろから助手席へ顔を覗かせ、息子のエリオが見つめるマップを盗み見た。
救急車を表示するポインターは狭い道を北の方角へ進んでいた。
十歳の少年でありながら、無駄の無い指示に感心してしまう。
その横で父のアティリオは不適な笑いを見せた。
「へへへ、ワニ男は俺の尻のニオイを嗅いで大人しくなったぜ」
彼がスピードを緩めると食らいつく救急車は、追い抜けないと解り黙って付いてくるが、同時に何かを企んでいる素振りもうかがえた。
狭い公道は対向車線が並木の歩道で仕切られている。
歩道が途切れた部分はUターンが可能なスペースなのだが、あろうことか後続の救急車は、その切り返しのスペースを左へ横切り、対向車線へ侵入して逆走。
俺とアティリオは驚愕する。
「あの救急車は何をしているのですか!?」
「ワニ野郎! そこまでやるかぁ!!」
負けじとアティリオは緩めたアクセルを踏み込んで再び加速。
その反動で俺は後ろへのけぞる。




