40夜 エメルヘンシア 緊急事態
東京都の人口、一四三〇万人に対して消防庁が運用している救急車は二七四台。
日本の消防法では人口一〇万人を超えた街には、五台の救急車が配備され、五万人増えるごとに一台の救急車が加算されていく。
救急車の種類や老若男女の割合、出動件数により配備される台数は変動するものの、メキシコシティをこの法令に当てはめれば、人口、九〇〇万人に対し、必要な救急車は概ね、一五〇台から一八〇台が良いところだ。
メキシコシティでは、それを四十五台以下で運用していることになる。
もちろん、他国の事情を自国の法律に当てはめて語るのはナンセンスだが、人口との比率を考えれば理にかなった数ではない。
明らかに異常な現場状況だ。
父のアティリオは、こちらの驚きを見計らったように続けた。
「国も手が足りないのが解っているから、俺達のような民間救急車に、緊急無線を垂れ流ししているのさ」
「では、民間救急車の数はどれだけあるのですか?」
「わからん」
「はい?」
「街の民間救急車は七〇台から八〇台なんて言われてるが、そんなもん表面上の数字だ。国に登録された救急車は、もっと少ないかもな。事業に参入したり廃業したりで、増えたり減ったりする。数は毎回変わるから数えようにも数えきれないのさ」
納得せざるえないご高説だ。
話ついでに突っ込んだ質問をする。
「ちなみに、この救急車は登録されていますか?」
その時、無線機にノイズが入り緊迫したトーンの声が質問を遮った。
アティリオは大袈裟に知らせる。
「おぉー!? 事故の連絡が入ったぞ!」
ん? はぐらかされた?
父のアティリオが無線の内容を翻訳する。
「交通事故だ。場所は大通り、カナル・リオ・チェルブスコ通りとプリバダ・アクルコ通りが重なる道だ。傷病者は一人。三十代男性。車にひかれて重傷だ」
筋肉が硬直するように緊迫した空気が張りつめる。
父のアティリオはマイクを掴み、発信元へスペイン語で返答するとマイクを戻し、ダッシュボードのスイッチを入れた。
周辺の建物は、赤と青の回転灯で照らされ、甲高いサイレンの音が響く。
「うわぁ!?」
俺は思わず両耳を塞いだ。
海外のサイレンが、こんなにも車内にうるさく響くとは思わなかった。
日本にある救急車の一.五倍くらいの感覚だ。
機関員のアティリオはハンドルを傾けながら、アクセルを踏んで通りへ入り込む。
通りを走っていた車は滝が割れるように左右へ広がり、こちらの救急車へ道を譲る。
緊急走行する車両を一般の車が通すのは、どこの国でも同じ光景だが、違うとすれば開けた道をいいことに、この救急車はグングンと加速した。
サイレンを鳴らす救急車は赤信号を顔パスで通過。
次第に街の風景が、まばたきをする間に三つか四つほど建物を過ぎ去る速さえ変わる。
たまらず俺は父のアティリオを止めにハイル。
「セニョール・アティリオ。スピードの出し過ぎなのでは?」
「ぁあ? なんだ? 聞こえんぞ?」
サイレンの音がうるさすぎて声が遮られる。
アティリオの耳元まで近寄り、大きく息を吸い腹から声を出す。
「スピードの出しすぎです!」
「何言ってやがる! 緊急事態なんだぞ!? いち早く現場に急行して傷病者を助けねぇと、命に関わる」
「言ってることは解りますけど……」
左ハンドルの速度計を覗くと、針が半円のメモリの頂上を振り切っていた。
「セニョール!? スピードメーターが一〇〇キロを越えますよ!」
「それがどうした?」
「公道でこんなにスピードを出したら危ないです! 事故が起きるかもしれない」
「だから他の車が近づかねぇようにサイレンを鳴らしてんだよ!」
「理屈がおかしい!?」
日本にいた時、中年の救急隊員から聞いた話を思い出した。
日本の救急車も平成初期までは公道を一〇〇キロ近いスピードで走行していた。
しかし、一般車両との衝突事故が頻発したので、制限速度を越えない走行へ変わったのだと。
現在、俺が搭乗中の救急車は、それを優に越えたスピードを出している。
途端に恐怖で膝が震え始めた。




