34夜 ランク 野良の救急車
一時とは言え仕事を始める上で、日本とメキシコで救命現場にどれだけ温度差があるか知る必要があった。
「この車両はどこからか貸し出された物ですか?」
「んにゃ、俺が買ったもんだ」
「個人で緊急車両を?」
「あぁ、そうさ。俺はどこかに雇われてなんかない。"野良"の救急車だからな」
「ノラ?」
「この国の救急車は国が運営している公共の救急車の他に。企業や個人で乗り回してる民間救急車がある。この民間は、いくつかのグループがランクで別れている」
「ランク?」
「ランクが高い大手企業の救急車。これは救命専門の所もあれば、慈善事業の一つで始めた企業もある。こういう会社の設備は、とかくカネかけてるからな。それこそAIなんてハイテクな代物を使って事故現場に駆けつける」
興味深い説明に思わず唸りながら、アティリオの話に聞き入る。
「ランクが並みか、それより下になる中小企業の救急車。大手に劣るが、それでも救命の設備は充実してる。会社がお抱えで救急車を走らせてることもあれば、個人の救急車に仕事を委託してる所もある。キャンペーンをやって顧客の獲得に余念がない」
「いかにも商売って感じがします」
「そんで、一番最低ランクが個人で営業している救急車だ。罵りの意味も込めて野良犬と同じ野良だ」
「そ、そういう意味だったんですね」
「野良の救急車は設備を比べてもカネのある企業には到底勝てない。稼ぎも怪我人を乗せた数で決まる。乏しいサービスでひたすら怪我人を乗せて走り続けるしかない」
「救命救急というより、配送業務者みたいですね?」
「おうよ! この街じゃぁ、民間救急車はフードデリバリーと同じような物だ」
救命活動をフードデリバリーと同列で語るなんて、感覚がズレ過ぎてて言葉を失う。
しかし、一番最低ランクの救急車という話に、いささか抵抗があった。
これはキツネかタヌキに化かされたのではないかと、不安が込み上げる。
むしろ、熊男にかどわかされたか?
セニョール・アティリオは、こちらの表情から懸念を読み取ったのか、自信満々に一言付け足した。
「俺の救急車は設備が乏しくても、搬送するスピードは街でピかイチだ!」
やはり、かどわかされてる気がしてきた。
仕事において、自身が利用する物は信頼を持ちたい。
出来る限り、この緊急車両のスペックを知りたかった。
広いボンネットの先頭にT字の物体が取り付けられている。
一般的なトラックと比べても異様な設備で、高級車のシンボルを真似たのかと考えた。
もしかしたらティソナ・ファミリーの「T」にちなんだ飾りとも見えるが、遊び心の無いデザインは、機能的な役割があるのだと推測できる。
何かの電波設備だろうか?
次にタイヤに視線を移す。
タイヤは通常の救急車に比べて、一回り大きく、タイヤの溝は岩を掘削する回転ドリルに似てゴツゴツしていた。
泥道や雪を掻き分ける為の仕様なのか?
赤道付近に近いメキシコで雪が降るのは、このタイヤとの図式が成り立たない気がする。
形状も戦車のキャタピラに似てるので、この救急車は、むしろ警察や軍隊の護送車に近い。
疑問が次の疑問へつながる。
車体の赤いラインに沿って正面から側面へ歩みを進め、じっくりと全体を観察する。
車体には大なり小なり擦った跡がある。
さすが、海外の救急車だ。
なかなか荒い運転なのが用意に察しがついた。
しかし、不思議なのが擦ったキズとは別に、豆鉄砲でも当てたのかと思うほどの、小さな凹みがある。
それは一つではなく、車体のあっちこっちに広がり、角度を変えて影をつけると、ハチの巣にも見えなくない凹みだった。
何にぶつけたら、こんな凹みが出来るんだ?
不意に、あるイメージが沸く。
メキシコに来てから近々で遭遇した"ある出来事"。
犯罪組織に誘拐され逃げ延びる際に、その惨禍に紛れて脱出に成功したから、脳内で容易に結び付いた推論。
銃撃の跡?
俺は軽く頭を降って自身で否定した。
あり得ない。
だって救急車だぞ?
いくら危険が付きまとう海外でも、さすがに救急車が銃撃の嵐に遭遇するはずがない。
それに銃弾なんて、ペンで紙に穴を開けるように、救急車の車体を撃ち抜く。
もしかしたら、スラム街で駐車している時、不良少年達にイタズラされたのかもしれない。




