33夜 ミ・カバージョ・ケリード 愛馬
ティソナ・ファミリーの食卓で夕食を終えると、空は断層のように別れた。
見上げるにつれオレンジから青、紺色へと変化していく。
夜が近い。
それは潮が引いた後に襲い来る、津波のように静かに迫っていた。
ショッキングピンクの外壁で固められたアパートの裏へ来ると、みすぼらしガレージに案内された。
父のアティリオに連れら、俺と彼の娘アーシー、息子のエリオはシャッター前で待たされる。
大男が腰を落としてシャッターを持ち上げると、レールがサビ付いているのか、ガラスを擦る音に似た異音が不快な気分にさせる。
まるで扉が「強引に押し上げるな!」とばかりに悲鳴を上げているようだった。
中でアティリオが壁際のスイッチを押すと、カビ臭い空間が照らされる。
「さぁ、ハポネス。俺の"愛馬"を見せてやろう!」
ガレージに威風堂々と現れた車両は、一瞬、装甲車なのではないかと思える救急車だった。
カラーリングが白を基調に赤に青と、ウィットに飛んだ配色でなければ、救急車だとわからないくらいゴテゴテしている。
正面は蛇腹型の排気口があり、トラックどころかジーブの顔にそっくりだ。
だが、このイカついフォルムはむしろ海外の救急車には釣り合いがよく、後ろに取り付けられた鉄の箱が、違和感なく融合している。
緊急時に点滅させる赤色警光灯は、荷台の正面や両サイド、背面に取り付けられており、クリスマスパーティーの装飾に見えた。
紛うことなき海外の救急車なのだが、その佇まいは、あらゆる攻撃をはね除ける、難攻不落の要塞。
父のアティリオはゲストをもてなす司会者のように、救急車を紹介した。
「スペインの英雄エル・シッドにはバビエカ。変人ドン・キホーテにはロシナンテ。そして俺たち家族には、この【ルナティコ】だ!」
「ル、ルゥニャアーティイコォ?」
「コイツの名前だ」
「え? 救急車に名前ですか?」
ニカっと笑いながら親指で車両を指すオッサンに、わずかながらに引いてしまったが、アメリカや欧州などは車や船、竜巻にすら個人名をつける文化だし、救急車に名前をつけるのは別に変な話でもないのか?
スマートホンを失った為、言葉の意味を検索することはできないが、見た目と相反して言葉の響きに気品が感じられるので、意味が気になってしまった。
「ルナティコは何か意味があるのですか?」
「意味? 意味はー……なんだったかな?」
このデカイおじさんからは、毎回、期待した答えが帰ってこない。
呆れていたところに、家族の長男坊エリオが抱えていたパソコンを開き、何かを検索してから教えてくれた。
「イタリア語では"気まぐれ"とか"変わり者"の意味だけど、スペイン語だと"精神異常"や"狂ってる"て意味なんだよ。英語のルナティックと同じだね」
金髪の青い瞳を持つ、愛らしい少年の口から、精神異常だの狂ってる、なんて言葉が出てくるのは、いささか驚く。
「他にも月狂って意味もあるんだ」
「げっきょう?」
「日本では"月で狂う"と書いて月狂。別の言葉では『ルナシー』だね」
「ルナシー? 聞いたことがある。ミュージシャン?」
「ルナシーは月の満ち欠けが起きる日や、満月を見ると狂暴な性格になる精神異常だよ。狼男の話に似てるね」
「あぁ、そっちか……」
若干、十歳の少年でありながら、納得のご高説に感心したと同時に、自分の的はずれな回答にバツがわるくなり、すっとぼけることで場を流した。
そんな息子を父親であるアティリオは誉めちぎる。
「おぉー! さすが我が家の博士だ。そうだ、その通りだ! エリオ。お前は本当に賢い息子だぁ!」
「別に。パソコンで検索しただけだよ」
そう言いながらエリオは、自慢げにパソコンの画面を見せびらかした。
言葉の響きに騙されるところだったが、随分と物騒な名前をつけたものだ。
セニョール・アティリオが奇妙なことを口走る。
「救急車はぁ、夜に本性を現すのさ」
どういう意味だ?




