28夜 パドレ・エス・サタナス パパはサタン
「パパ。自分の顔を鏡で見てから言って」
娘に諭された大男はキッチンの柱に取り付けられた、小さな鏡へ飛び込み、半面にタトゥーが刻まれた顔をマジマジと眺めた後、娘へ答えた。
「パパの顔は英雄ヘラクレスと並ぶ男前で、太陽神アポロンの笑顔よりも眩しいぞ?」
と、汗臭い巨漢の男はニカっと笑い、黄ばんだ歯を見せた。
呆れる様子の娘は冷たくあしらう。
「パパはそう思ってても、大使館の人達には悪魔にしか見えないの。だから、すぐに警察を呼ばれて逮捕されるから、行かないでってこと」
「うぅーん、そんなにマズイか?」
父のアティリオは娘に論破されるも納得がいかず、鏡の前で笑顔を作ったり、顔を斜めに上げてアゴ越しに視線を鏡面へ向けた。
おそらく、自身の顔が一番、見栄えする表情や角度を研究しているのだろう。
だが遠目から見ても、その仕草は凶悪に見える。
父は娘に反論する。
「ならどうする? この日本人は右も左も解らぬまま、メキシコシティへやって来たのだ。大使館までの付き添いがなければ、半日で野良犬の餌になるだそ ?」
さすがにそんなわけないだろ?
という問答は抑えたが、事実、メキシコシティの繁華街から逸れれば、野獣が跋扈するサバンナと同じであると身を持って経験した。
彼女の提案は明朗だった。
「私が案内するわ」
その時見た父アティリオの動揺っぷりは、滑稽としか言い表せない。
「なんだと? 男女二人……そそそそ、それはデートではないのか!?」
「なんでそうなるのよ? 道を案内するだけよ」
「やはりデートではないか?」
「だから、なんでそうなるのよ?」
「それに、お前は大学があるだろ!?」
「大学は明日。今日は講義が休み」
「い、いいか? 娘よ。メキシコ問わず世界の男はすべからく野良犬だ。その股にはサボテンが生えていて、針が硬くなると、先っちょから白い花がピュッ、ピュッと咲いて、受粉を……」
「パパ? さっきからブツブツと何を言ってるの?」
正直、反社会勢力の風貌を持つオジサンと並んで歩くのは不安だった。
目の前に座るアルセリアは最初に顔を合わせた時と違い、スッピンで鼻ピアスを外しているので、普通のティーンエイジャーに見える。
それでも、炎を連想させる赤にオレンジが混じった髪色は目を引くが、外国人の金髪やブロンドと同じと考えれば受け入れられる。
「ありがとう。セニョリータ・アルセリア」
俺が感謝を述べると、少しイラついた様子で父のアティリオが牽制してくる。
「おい! 俺の娘はまだ十八で独身だが、自立した女性だ。セニョリータじゃないセニョーラだ。セニョリータは女の子に対して使う呼び方だ」
「す、すみません」
まだ幼さが残る顔立ちのアルセリアへ、なんと無しに言ったが、セニョリータとセニョーラは英語で言うミスとミセスとだと前に何かで見たけど、それとは違うらしい。
今、教えられてことはセニョリータは未熟な女性。
つまり幼い女の子のような扱いなのだろう。
反対にセニョーラは成人した女性、あるいわ未成年でも、内面が成長していれば当てはまるわけか。
むしろメキシコでは、そう敬称しないと失礼にあたるようだ。
日本だとある程度、歳月を重ねた女性を「お姉さん」と呼ぶと、若く見られて喜ばれるが、メキシコでは逆のようだ。
肝に銘じることにする。
セニョール・アティリオはダルマの表情を作り、それこそ野良犬のような唸り声を上げて、こちらを睨む。
父親として娘が心配なのは解るが、その視線は刃物のように切れ味が鋭いから、止めてほしい。
熊のような男は自身に折り合いをつけたのか、一言で話を終える。
「仕方ない。なんにしても、"シウダー・デ・メヒコ"はお前を歓迎するだろう」
「しうだー……なんですか?」




