13夜 オンブレ・オウソ 熊男
足を踏み出し来た道を引き返そうとした、その刹那、壁の角から巨大な影が戻り道を塞いだ。
俺は息をのみ立ち止まる。
その影の上半身は振り上げた大鎌のように肩幅が広く、鎌の中心に野獣の顔が写り来んでいたからだ。
実物を見たことはないが、野生の熊を思わせる威圧感があった。
食われる!?
息を押し殺し、ジリジリと後退りながら逃げるチャンスを伺う。
下手に動けば襲われてしまう。
しかし唖然と見つめていると、熊の威圧感は一瞬のこと。
徐々に街灯の光へ入り込むと、それは野生の熊ではなく、盛り上がった筋肉の塊に包まれた人間。
身長がニメートル近くある大男だった。
人だと解ったても、その恐ろしさは熊と代わらない。
街頭の暗がりで顔がよく見えなかったが、俺はその顔を目の当たりにして、背筋が凍る。
顔面の左半分が野獣にえぐられたのかと思えるほど、切り裂かれていた。
えぐられた傷は錯覚で半面の爪痕は、黒い何かで描かれたのだとわかった。
メイクかと思ったが、雨でメイクが崩れる様子はない。
シールか何かを張り付けているようにも見えたが、描かれた爪痕からも汗が吹き出ている。
なら、これは皮膚の下にインクを刻んだタトゥーか?
大男は前屈みになりながら壁に片手をついて歩き、路地裏に入って来る。
俺は後退りながら再び、逃げる姿勢を整えた。
逃げるチャンスを見計らっていたものの、男の歩き方が不自然なのが気にかかった。
もう片方の手を脇腹に当てていた。
脇腹は鮮血に染まり雨と混じることで、赤い滝のように流れていた。
大男は手酷い負傷をしていたのだ。
歩くことが限界らしく、大男は壁に肩を当てながら地面に座りこんでしまった。
俺は構うことなく立ち去ろうと背を向ける。
どう見ても、この風貌は俺を拉致監禁し、凄惨な暴力を振るった連中と同じだろう。
大方、ギャング同士の抗争で怪我を負ったに違いない。
関わるべきではないし、のたれ死んだところでザマぁない。
心を鬼にして先を行こうとした。
が、背中越しに伝わる、水中でもがくような苦しい呼吸が、後ろ髪を引く。
元救急救命士の性なのか、気付けば俺は謎の男に寄り添い、怪我の具合を見ていた。
酷い出血だ。
何だ? この傷。
円錐の物で突き刺したように穴の空いた傷なのだが、アイスピックにしては穴が大きい。
海外の犯罪事情を踏まえ、自身がその凶器を掻い潜ったことを鑑みれば、ある結論にたどり着く。
――――銃創か?。
銃弾で撃たれた痕なのか?
弾は体内を貫通したのか、背面からも流血が見られる。
傷口が二つもあれば出血の早さも増す。
すぐにでも手術が必要だ。
爪痕のタトゥーを半面に刻んだ男は、食い縛り立ち上がろうするので、語気を強めて制止した。
「動かないで! 出血が酷くなります」
「誰だ? 英語が話せるのか?」
「はい」
相手はこっちが英語を話せることに驚いているが、驚いているのはこっちも同じだ。
街をさ迷い、ようやく意思の疎通が出来る相手に出会えた。
そんな感傷に浸る暇も無く、今は手当てが先だ。
「今、応急措置を施します」
「応急措置だと? お前は医者か?」
「いえ、救急救命士です」
「救命士?」
そう言いながら大男は顔を上げる。
改めて顔を見ると、その好戦的な眼に戦慄を覚える。
なるべく視線を合わせないようにして、傷の手当てに専念した。
銃創の手当てなんてしたことない。
いや、銃器を禁止している日本にいれば、まず遭遇することのない事案だ。
救命の仕事に背を向けた自分が、遥々、海を越えた異国で、こんなことしているなんて。
なんの因果か笑えない皮肉だ。




