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勇者がヒモになったなら  作者: ひーらぎ
3章「初夏の海と彼女の過去」
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3章「初夏の海と彼女の過去」5

今作品は、C90「よろづ屋本舗」にて販売した作品となります。


 茜色に紺が混ざった空の頃にみんなと駅で解散すると、

「ちょっと寄り道しない?」

 東口を潜ろうとしたところで深雨へ呼び止められた。

「買い物?」

「ううん。アルトと行きたいところがあるの」

 東口を背にこちらを半身する彼女へアルベルトが首を傾げる。海での疲れがあるのか、少しだけ光量を抑えた笑みからは具体的な場所が告げられない。ただ西口へ何かがあることだけを教える眼差しが続く。

「行けばわかると思うから、ね?」

「別にいいけど……」

「よかったぁ。それじゃあ行こっか、近いからそんなに遅くならないと思うしね」

 右腕へ抱き寄った深雨へ引かれて西口に歩き出す。

 丁度帰宅ラッシュと重なったせいで、普段は閑静と呼ぶのに相応しいマンション街はくたびれた空気と学生たちの笑い声に包まれて、暗めのオレンジ色がよく似合っていた。

「ここら辺って店とかあったっけ……」

「コンビニとかならあるけど……行き先はお店とかじゃないの。もう着くからさ」

 そう言った直後、群れのようにマンションが連なる通りの終わりが見え始める。正面へ四車線の道路があり、その先へ仲間はずれのようにコンビニと併用されたマンションが一棟――ここはそう、

「行きたいところってレイネさんの家? なら別れないで一緒に買い物してからくればよかったのに」

「レイネちゃんに用はないんだ。そうだなぁ……ここの建物というか、場所に用があるっていうか……」

 深雨の曖昧な返答から一切の真意を汲み取れない。アルベルトがマンションを見つめたまま閉口しそうになっていると、右腕の深雨がより強く身を寄せた。

「深雨さん?」

「きっと、わたしと一緒なら……わかると思うから」

 何かに縋るような細い笑みにそれ以上の追求を止めた。いや、できなかったのだ。 

 夕日で影になった横顔は確かにあのマンションを見つめているはずなのに――そこにない何かを映し続けているように見えてしまう。声をかけようものなら、雪の華のように一瞬で、跡形もなく消えてしまうのでは、そんな不安に駆られたのだ。

 深雨と見ているものを共有できないとわかっていながら、アルベルトが視線を追いかける。そこにあるのは、やはりレイネが暮らすマンションしか見えない。

 しかしそれを声に出して言うことはできず、深雨を横目にしたまま次ぐ言葉を待つ。

「レイネちゃんの家……だけど違うの。ここはね……わたしの大切な場所だから」

 深雨の声がポツリと落ちた。

「大切な場所……」

 復唱してみたが、何一つ自分の中で嵌ってくれない。

 きっと品田アルトなら知っていて、二人にとって運命的な何かが働いた場所。水星深雨という人間を形成する上でなくてはならない要素が含まれていることは理解できる。

 聞いたら答えてくれるだろか?

 俯き気味の視線を少しだけ持ち上げてみた。しかし深雨は一切こちらを向くことなく、一心にマンションでない何かへ夢中になっている。

 聞いたらダメなやつだ……。

 アルベルトはついに声の一つもかける勇気さえ失い沈黙する。

「ここ……覚えてる?」

 ゆっくり時間をかけて身体を回した深雨が沈んだ瞳で不器用な笑みを目元へ作った。だが、頷くことができない。

「……ごめん」

「そっか、ダメか。ここねマンションになる前、わたしが育った施設だったんだよ」

 自分の中の時間が止まった気がした。

 あれだけ晴れていた空はいつの間に雨雲へ覆い隠されており――ポツポツ辺りを濡らし始めた。



「ごめんね、付き合ってもらっちゃって……」

「いや、おれの方こそ覚えてなくてごめん」

「気にしないで。覚えてなくても、今のアルトにも知って欲しかった場所だから」

 ベンチへ座る深雨が屋根に切り取られたどんより空を見上げた。

 あれからあっと言う間に強くなった雨から逃げるように公園へ駆け込んだまではよかった。しかし彼女の真実に指先で触れた衝撃はあまりに強く、アルベルトから深雨を求める言葉を根刮ぎ奪ったままだった。

 投げられる質問へただ返すだけ。そんな時間へピリオドを打ちたくて、おそるおそる隣の深雨の手へ自身の手を重ねてみる。

「深雨さん……あのさ」

 自分でも驚くほど弱々しくて情けない声にも、深雨は笑ってくれる。

「手冷たいね。寒くない?」

「……深雨さん」

「うん?」

 跳ねるような相槌へ水溜りの波紋が心なしか弱くなったように思える。アルベルトは彼女の手を握ったまま、まだ耳に残る潮騒へ目を閉じた。

「深雨さんは今日楽しかった?」

「楽しかったよー。アルトがいて、みんながいて。久しぶりにゆっくりできたもん」

 ふふ、深雨が膝へ乗せた大きめのトートバッグへ顎を乗せるように身体を曲げた。

「そっか……。ならよかった。深雨さんはさ……」

「んー?」

 ちらりと深雨へ横目を流した。しかし言葉を続けることができず、アルベルトが奥歯を噛んで閉口する。目元を綻ばせる深雨はきっと今日一日を思い返してるに違いない。

 自分だって同じだ。

 今日という一日を死んだアイツに渡したくない。しかし、あの場所へは間違いなくアイツの気配があった。だからなのか、続きを口にしようとするにつれて深雨を視界へ収め続けているのが辛い。

 自分はなんて汚い勇者なんだ……。

 自嘲するように溜息しても、深雨はニコニコ笑ったままだ。不機嫌な顔でもしてくれれば、言うことなく元の日常へ戻れたかもしれないのに。

「深雨さんは……昔おれと海に行ったことあるの」

 ――品田アルトとふたりで、さ。

「どうだったかなぁ。もう昔のこと過ぎて覚えてないや」

 あはは、愛想笑いが聞こえる。

 自分が記憶を失った『品田アルト』だと信じ、その気遣いなのがすぐわかってしまう。優しい嘘に耐え切れる心を持ち合わせておらず、再び目の前の景色が水溜りへ戻る。

「きっと行ったことあるんだと思う」

「アルトが言うならそうかもね。でも……わたしは初めてだよ? だって今のアルトはアルトで……前のアルトもアルトで……うまく説明できないや」

 頬を薄く染めてはにかんだ深雨へ自然とアルベルトの顔にも微笑みが宿った。

「笑わないでよ。今のアルトも前のアルトも同じだけどちょっと違うところがあって、別人なの! だから今のアルトとは初めてって言いたかったの!」

「別人、か」

 それでも自分と深雨を繋げる方程式が覆ることはないのだろう。

 やはり彼女はアルベルトを見ておらず、アルベルト越しに『品田アルト』だけを映し続けているのだから。それを再認識させられ、唇が切れそうなほど強く歯噛みした。

 どこまで邪魔してくるつもりだよ、死んだくせに。

 内心でぼやくと、

「別人でも……アルトはわたしの前からいなくなったりしないよね?」

「そ、それは……」

「約束して。もうひとりにしないって……。もうひとりは嫌だから……」

「深雨さん……」

「ごめんね、困らせちゃったかな」

 ゆっくりこちらへ身体を預けた深雨の顔が肩へ乗る。潤んだ眼差しに喉が鳴り、おそるおそる彼女の肩へ手を回す。

「ヘタレのアルトに抱かれちゃった」

「ちょっと意味が違うんじゃないかな……」

「えぇーそうかなぁ」

 クスクス笑われた恥ずかしさを押し殺し――もうなるようになれ、深雨を近くまで抱き寄せる。しかし顔を直視する勇気まではない。アルベルトが遠くでチカチカ頼りない明かりを放つ自販機を見ながら言う。

「……多分記憶を無くす前のおれもこうした気がしたから」

「そう思ってくれただけで嬉しいかな。アルト……ゆっくりでいいからね」

「あぁ……うん。あっ」

 水溜りの波紋がぴたりと止まった。

 しかし、雨は止んでくれないらしい――まだ、まだ、まだ。あと少しだけ。

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