3章「初夏の海と彼女の過去」6
今作品は、C90「よろづ屋本舗」にて販売した作品となります。
あれからどれくらい公園で雨宿りをしていたのだろう。
雨雲が広がっていた空へは綺麗な星が散りばめられ、ネオンと酔っ払いの声が東口駅前を大いに賑わせていた。
サラリーマンばかりが目に入る中にいる二人は少しの後悔を笑顔に変えて商店街へ戻る最中だ。
「遅くなっちゃったねぇー。夜ご飯何にしよっかなー。食べたいのある?」
「別に今日くらいどこかで食べてもいいんじゃない?」
「作れるときは作りたいの。それにこの時間じゃどこも混んでるよ?」
「じゃあ帰ったほうが早いのかな。でも疲れてない?」
「平気、平気。少し休憩すれば大丈夫だから」
「ならいいんだけど……」
丁度赤へ変わった信号で止まり、欠伸を噛み締める。右腕の深雨にちょいちょい袖を引かれる。
「あれって……」
「あれ?」
「ほらあそこ」
深雨の指を追った先は鈴原商店街入口すぐ傍のコンビニ辺りだ。特に異変があるように思えない。しかし深雨が言った以上なにかあるのだろう、アルベルトが目を凝らし――一瞬できた人ごみの隙間に覚えのある赤いものが棚引いた。
「赤い髪……?」
訝る声に深雨が首肯。
「クシャナちゃんだよね、今の」
「この時間に……? 家ってこっちだっけ?」
「違ったはずだけど……。どこかはわからないけど」
「なら見間違えじゃない? 改札で別れて西口に歩いて行ったし。わざわざこっちのコンビニに来る必要ないでしょ」
青へ変わった横断歩道へ踏み出す。まだクシャナだと半信半疑でコンビニを見続ける深雨が遅れて隣へ並んだ。
「人違いなのかなぁ……でも本当だったらどうしよう」
「心配しすぎだよ。あっ、丁度いいや。ほら、あれ見てみなよ」
ちょうどコンビニから出てきたあの赤い髪の少女へ焦点を当てる。知り合いらしき男の腕へ隠れるように立っているせいで顔こそはっきり見えない。しかしそれがクシャナでないと証明する最大の要因にもなっていた。
「桐谷さんってあんなに男を連れて夜遊びするような娘じゃないでしょ」
「そ、そうだよね。クシャナちゃんがそんな危ないことするわけないもんね」
「不安ならメールでもしてみたら?」
横目に赤い髪がコンビニと雑居ビルの隙間へ入っていくのを捉えたまま言う。
「そうだね。それがいいかも」
早速深雨がゆっくりした指捌きで画面をフリック。
「送信っと。返信来るといいんだけど」
「もう疲れて寝てるかもよ。とりあえず――」
言い切る直前で、背筋が震え上がる重厚なプレッシャーが骨を軋ませるように漂ってきた。途端に額を冷たい汗が覆い、心臓が早く鼓動する。
「アルト? どうかした?」
急に口を噤んだせいで、深雨の顔が不思議そうに傾いていた。
しかしプレッシャーの出処を探すために辺りへ目を配るアルベルトはそれに気付く余裕すらない。早鐘を打つ心臓を片手で押さえ、深呼吸を繰り返しながら目を閉じる。
今のは間違いない、魔力反応だ。落ち着け、落ち着け。探知しろ……確実に。
ゆっくり周囲の気配に身を静めて、出処を探る。
ギブソンとコトハが転移して来たときとはまた違う、悪意を圧縮した魔力反応……。
「あそこか……」
視界に収まったのはコンビニと雑居ビルの隙間、細い路地だ。
「アルト?」
両目を見開いて声を低めたアルベルトへ深雨の首が斜めになる。咄嗟に普段通りの笑みを取り繕うも意識は既にコンビニと雑居ビルの隙間にある路地へ向けられている。もう魔力反応は感じ取れないほど薄くなっており、それがアルベルトの気を早めた。
「ごめん、やっぱ気になるし見てくるよ。桐谷さんじゃかったら安心するでしょ?」
「そ、そうだけど、一人で行くわけないよね?」
「そのつもりだったけど。流石に路地裏じゃ何あるかわからないし……。深雨さんはコンビニで待っててよ。すぐ戻ってくるから」
二の腕を掴む深雨の腕を解いて、コンビニと雑居ビルの合間へ足を運ぶ。しかし、海での一件があったせいか、すぐ深雨に手首を掴まれてしまう。
「わたしも行くよ」
「いや、だから……」
「だってまた喧嘩になったら無茶するでしょ。そんなのダメ、危ないもの」
断固として手首を離そうとしない深雨。もしあの魔力反応が間違いじゃなかったら、奴はもうすぐそこにいるのだ。
アルベルトは申し訳なさを押し殺して、深雨の手首を振り払った。
「ごめん、なにかあったらすぐ連絡するから!」
「待って!! アルト!!!」
深雨が手を伸ばすも、人混みが災いして届くことはない。
アルベルトにとっては幸運となった人の波が深雨との距離を強制的に開かせた。振り返れば後ろ髪を引かれて戻ってしまうかもしれない。アルベルトは一切の思考を投げ捨てて路地裏へ飛び込んだ。
「ここか……」
途端にネオンも人の営みも聞こえない静寂に口の中がカラカラに乾き、喉が鳴る。息をするのさえ苦しい、心臓が破裂しそうな緊張感は戦場のそれと全く同じだ。一歩踏み出すたびにアレボスでの自分が戻ってくるようだ。
魔力反応が本物だとしたら、この先に魔力を持つ『異世界人』がいることになる。そこで戦闘になったら、魔力の貯蔵量の問題で敗北は免れない。生きて帰って大儲けだ。
それに相手も人の多い場所で騒ぎを起こす気もないはず。なら、クシャナかどうかだけ確認し、救出して離脱だけなら生還する可能性はあるはず。
目の前に背を向けた男が二人、道を塞ぐように立っている。更に奥へ三角を作るように三人が立っている。男たちの隙間に見える赤い髪の少女はすっかり壁へ追いやられて膝をついている。これではまるで暴行していると思われてもおかしくない。
暴行!?
アルベルトがおそるおそる次の一歩を踏んだ。
「ま、まさか……な?」
近頃街を賑わせている誘拐犯じゃないのか?
「な、なにやってんだよ」
手前の大柄な男の肩を掴んだ。ギギギ、と錆び付いたロボットを思わせる動きで赤く血塗られたような灼眼が振り向いた。空気が震える緊張感に、思わず手を離してしまう。
冷たい肌の感触を確かめるように拳を握っては閉じるを繰り返す。
まるで死人のような感覚はとても人間とは呼べない。いや、そもそも、
人間はこんな顔しない!
こちらへ身体を回した他の男たちも同様に真っ赤な目をしている。吐き出す息が冷気のようにビルの壁を舐めあげる。
――こいつら化物だッ!
勇者の直感が自分自身へそう告げている。
「お前らが最近街を賑わせてる誘拐グループか?」
返答はない。呻くような喘ぎ声は猛獣、獣、怪物――魔獣のようだ。
「なるほどな。そりゃ捕まらないわけだ」
口辺へ冷えた笑みを湛えて、渇いた唾液を喉へ押し込んだ。
瞬間、男の拳が飛んでくる。身体を切って受け流し、鳩尾へ拳をねじり込む。男の息が詰まり、膝から崩折れた。よろける身体を蹴り伏せる。
巨体の沈む音を背後に、赤い目をギラつかせる男たちを半身で睨む。腰を下ろし、アルベルトが居合での聖剣抜刀態勢へ入った。
「来いよ、こっちは一人だよ」
しかし男たちの攻撃が飛んでくることはない。
自分との間を作っているのか、それとも既に敵の魔法による攻撃が始まっているのか? アルベルトが先制したくなる衝撃に駆られていると、一人がゆっくり足を出した。
「お前からか」
しかし、なんと男はアルベルトの横を素通り。何もなかったように崩れた男を肩へ担ぐと、とうとう振り返ることなく表の通りへ歩き出してしまった。それへ続くように三人の男までも――一体何が起きてるんだ?
「ど、どうして何もしてこない!?」
背後へ振り返って男たちへ声を荒げてみるも、目配せ一つないままネオンにシルエットが溶けていく。アルベルトは男たちを追いかけようとしたが、
「そ、そうだ……」
壁へ追いやられていた少女を思い出す。
「だ、大丈夫……? えっと」
そっと肩を叩いてみると、腕へ顔を埋めていた少女の顔がゆっくり持ち上がった。よっぽど怖かったのか、目元を隠すように垂れた赤髪から薄く濡れた瞳が覗く。
「あ、アルトさん……」
「桐谷さん。見間違いじゃなかったんだ……だ、大丈夫? 怪我とかない?」
目線を合わせて手を差し伸べてみる。指先でちょこんと触れたクシャナが安心したように目元を綻ばせた。
「あ、ありがとうございます……。道を案内してる途中でジュース奢ってくれて……それでこっちが近いからって着いて行ったら……男の人が沢山いて」
「何もされてない? コンビニのところに深雨さんもいるから、早くここから離れよ。立てる?」
「だ、大丈夫です……何かされそうって時にアルトさんが来たので」
「よかった。じゃあ行こっか」
立ち上がったクシャナが洋服の背中部分を掴んだ。彼女が転ばないように狭い歩幅でネオンが眩しい通りへ出ると、
「アルトっ! クシャナちゃんも。二人共なにもない?」
コンビニ横で不安げに携帯を胸に抱いていた深雨がアルベルトとクシャナを両腕へ駆け寄った。ギュッ、と抱かれたクシャナはすっかり落ち着きを取り戻したらしく、ようやく笑い声をあげた。
「ナンパされて断れずに連れて行かれちゃって……アルトさんが来たら急にみんな静かになっちゃって。ねぇ~アルトさん」
アルベルトの腕へくっついたクシャナが上目遣いで見上げてくる。ねぇ~? 同意を求める声に困っていると、
「アルト? もう遅いしクシャナちゃん送って帰るよ」
言いながら反対の腕へ深雨も抱きついた。左にクシャナ、右へは深雨。そして両肘に幸せな柔らかさと別々の香り。まさに両手に花。
本来喜ぶべきはずなのに、アルベルトの意識はもう感じなくなった魔力を追い求めるように気立っていた。




