6 袖の
白、が散った。
光だ。樹の枝間から、強く煌めくように。
「ムシどもめ・・!」
緑の匂いがして、大きな背が視界を塞いでいた。
「橘樹、くん・・、」
現実感はなく、何処から現れたのだろうとぼんやりと思ったが、彼の掌の中から、丸い、まるで橘の実のような金色の珠が生み出されて、虫の中に投げ込まれたそれが、弾けて虫を薙ぎ払っていく様子に目を瞠る。
----現実だ。
「橘樹くん、どうして、」
次から次へと、虫の波は押し寄せる。ふたりの背後の非常口も、重い鉄扉だというのに、ぎしぎしと軋んでおり、蝶番が外れるのは時間の問題に見えた。つまり、まさに四面楚歌。
「跳んでた。」
彼自身も混乱したように呟いた。
「もう終わったから、帰ろうと思って脈に乗って・・なぜか、流されたと思われるが、」
どうして。
虫を叩き潰しながら、衛心は肩越しに紗子を見下ろし、
「おまえは何があって、」
目が、合った。
紗子の目の中に衛心が。
衛心の目の中に紗子が。
「百年の昔、わたしたちは同じ木であった。」
「いまは、異なる名を名乗るけれど、」
「わたしたちのもとは一つだ。」
幼い子どもに語る、口調。ともに、それぞれの背後を見上げた。
「・・しんせきのこ・・・?」
「そうだよ。」
憂いもなく、軽やかに、温かい手は頭を撫ぜる。
「仲良くなれるといいね。」
そうだと確信はしたけれど、
「----こう、香子・・?」
信じられない、信じたいとばかりの、混乱のままに声が降る。
「・・えーくん・・?」
脳裡に、花が開く。
白い、白い、香しき花が。
「生きて、」
よく見ようと振り返ろうとして、縋ってきた虫に舌打ちをした。叩き落して、
「これでは話もできん。駆除してしまおう。・・いいか?」
衛心の言葉に込められた緊張に、紗子は気づけない。
「わたしも何かできるの?」
薙ぎ払ってくれている彼ならともかく、逃げるだけだった自分にできることがあるというのか? と首を傾げると、じ、と彼女を見つめた衛心は、力強く頷いた。
「もちろん。」
何かを確信した微笑みとともに、
「おまえが必要だ----ちからを、貸してくれ。」
言われるままに、彼の背に一歩近づいた。
その肩甲骨のあたりに掌をあてる。
「怖いことはない。目を瞑って、側にいてくれ。」
「うん。」
遠くで誰かが、扉を叩いているような感覚。だが、それを追いかけている暇はなかった。
下はコンクリートの打ちっぱなしのはずだが、足元から何か温かい----熱いものが、身体のうちを昇っていく感覚に息を詰めた。
決して不快ではなく。
お湯につかった足から熱が伝わっていくようなジワリとした熱。
硬い彼の背にあてた掌に伝って、そして彼の中へと流れていく、と判った。
のぼせたような頭で、いつしか、まぼろしのなかにいた。
木漏れ日の光。幹に手を這わせて、匂い立つ白い花と、常世の緑を見上げていた。葉擦の音の中に、金色の実がそこかしこに実っていく。
花の時も。実の時も。
見れば見るほどに、さらに見たいと思わせる。
常盤なる生命を歌い上げていく。
風に散る花橘を袖に受けて君がみ跡と偲ひつるかも(風に散った花橘が袖に降りかかってきたのを目にして、あの方の名残のように思いました。)
※
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「それ、お土産ですか?」
道が開くのを待っていると、今日の護衛を務める湖白が聞いた。
「うん。」
彩色した小さな木彫りを両手で持っている。
「この前、悉平の写真見せたらかっこいい!!てさ。本当は、連れていけたらいいんだけど。」
「悉平はまだ子どもですから。パニックにならないとは限りませんからね。」
「うん。だから、」
木立の中の、小さな社が青白く光り始めた。明度がじわじわと上がっていく。
「せめて立体にしたらいいかなって。」
「色は御自身で付けられたのですね?」
「本当はいちから作ろうとしたんだけど、できたのを見て湖羽が笑い転げるからさ。」
湖羽とは湖白の同様に時鳥一族で、彼と年齢が近いことからいまは遊び相手である。相性が悪くなければ、生涯の側近になる可能性もあるが、この気の置けなさはどちらの目となるか。
「・・ぼくも似ていない、とは思ったから。ばあやに悉平に似たのを買ってきてもらった。」
この年齢で、自らの足りなさを認められるのは素晴らしいと、やや身びいきながら湖白は目を細めた。
「いい感じではありませんか? 似ています。」
「こうこが、こっちに来るのもまだ難しいというから。喜ぶかな? こういうの好きかな?」
将来的には縁組も・・は、現段階では茶話程度のものだが、引き合わされた子どもたちは仲良くやっている。
「お喜びになると思いますよ?」
ぱ、と顔を輝かせ、木彫りを大事に撫ぜながら、再会に胸を弾ませていた。
「開きます。」
さわ、と風が吹いて、緑から緑へと、道が通る。
----いつもなら、地続きのような穏やかな空気に迎えられる。しかし、今日、一同の耳に届いたのはけたたましく鳴らされる鐘の音だった。
カンカンカンカン・・・!
何とも言えない、嫌なにおいと気配に、湖白を残して他の時鳥たちは物見に走った。
「ムシだ!」
「すでにサカイが破られたようだ。」
幾許もなく戻ってきて、最悪を告げる。
「若を戻せ。」
当主同士が交わした約定に従って動くと定め、
「我らは救援に向かう。御屋形様に報告し、至急増援を向かわせてくれ。」
「分かった。」
湖白は若君を抱き上げた。
「待って、僕も、」
「いけません。」
「だって、こうこは?」
「お嬢様は避難されたと思われます。」
それが本当かその場しのぎかの言葉なのかは、幼い彼には分からなかった。
抱き上げられた肩の向こう、木々の梢のあちら、少し離れたところの空は真っ黒だった。
「こうこ、ぶじで・・!」
祈る思いで叫ぶしかなかった。
そうして戻ってきた自家の森は、とても静かで、見上げた空は夕方の気配を映しつつも青く澄んでいた。
お土産を落としてしまったことに気づいたのは夜だった。
父をはじめとした大人たちは深刻な様子で、慌ただしく出かけたり、執務室に籠って話し合いをしていた。
彼が、その町に向かうことは許されず、あの少女のことは誰の口にものぼることはなく。
もう居なくなってしまったのだと、ゆっくりと諦めていった。
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「香子さま!」
ボロボロの様子ながら、しっかり立って、周囲の被害確認をしていた紫子は、衛心に付き添われて現れた紗子に駆け寄ると、しっかりと手を握り、そのまま膝まづぃた。
「御無事でなによりでございます!!」
「紫子さん・・?」
「紫子とお呼びください。」
呆気にとられる紗子と裏腹に衛心は得心して頷いた。
「なるほど、うぬは時鳥であったか。」
「はい。橘樹の若君。」
紫子の声ではあったけれど、甘い響きのない、凛としたものだった。
「あの襲撃の後、辛うじてお救いできた姫様をお守りするための、我らの策でございました。」
「なぜ本町の橘樹に助けを求めなかった? 我らは橘正の者は一人残らず喰い破られ、辛うじて分家という、橘浦だけが残ったと聞いて、我らがどれほど深い嘆きにあったか!」
「如何なるお叱りも裁きもお受けいたします。」
紫子は紗子の手を放し、深く頭を垂れた。
「橘正の時鳥も、御屋形様・・香子さまの御父君母君とともに多くが還らず、我らに余力がございませんでした。あれほどの規模で突然、惨劇がどうして起きたのか、本家がありました南の地区で護りが発動しなかったのはどうしてか。」
「橘樹を疑ったのか!」
怒号に、紫子は揺らがなかった。
「その可能性を排除するには、我々の時間は不足していたと思います。我らはただ心と体に傷を受けた姫様を守り癒すことを一義にして、総てを紗の中に隠すことに決めたのです。----時が正しく満ちるまで。」
二人を見上げ---紗子を見つめて、紫子は誇らしげに微笑んだのだ。
「見事に花を開く時を得られました。我が姫君。」
和歌は「万葉集」から。作者不詳。




