3 香をかげば
「ふざけんな! オヒメサマ!!」
代表者会議で報せを聞いた柑埜は、紫子へと突撃したが、
「あら、認められたということは、わたくしの華が要るという判断がでたということでしょう?」
「はあ!? 大祭に相応しい格式を感じさせる行列にする予定なんだよ!」
「せっかく大祭なのに、どうして地味に走るんですの?」
「落ち着き!」
「よろしいですわ。あなた方が地味にするほど、わたくしの華やかさが引き立ちますもの。」
ほほほ、と紫子は高笑った。
「史上初、舞と行列の、二つの華になるわたくしをどうか際立たせてくださいませ。」
という、聞いている方は神経にやすりがけされるようなやり取りはあったけれど、準備自体は順調に進んでいる。
特別な大祭とはいえ、毎年の祭りの延長だからマニュアルはしっかりしている。予算や時間の配分、警備などは規模が大きい分、組みなおしがされているが、そのあたりは学生の領分ではない。
「管見穿天、」
「一意孤高、」
「蟷螂之斧、」
「暴虎馮河、」
「五色絢爛、」
紫子への呪詛のように、四字熟語を唱える柑埜に、紗子は首を縮めて「ごめんね」というしかない。
「紗子のせいじゃないのは分かってる。」
手元にある当日の整列名簿の、紫子の名前だけがおどろおどろしい朱色でぐるぐると何重もの〇で囲まれていく。
「こんなにこらえ性のない目立ちたがり屋だとは思わなかった!」
失望した、と柑埜は唇をかたく結んだ。
「----わたしの、せいかも、」
ふと口をついていた。
「わたしが独りで行列を歩くから、」
歩きたくない、と----伝わった、から?
「あんたが注目されるなら、自分ももっと注目されなきゃ!ってこと? それは・・馬鹿でしょ。」
紗子のなかの恐れを、柑埜は知らない。・・いや、紫子にだって、話したことはない。
「・・ほら、そろそろ、」
舞の習練場に迎えに行く時間になっていた。
言葉にならないもやもやを抱えながら、紗子は立ち上がった。
この日は霧雨が降っていた。傘は畳んで、軒先に腰かけて、漏れてくる楽に耳を傾ける。提灯やみこし組は定時解散だが、舞の終わりは日に日に遅くなり、夕食後の紫子の自主練習もピリピリ度が増している。
大舞は自分と豪語するが、他の候補も紫子に忖度する立場ではないから、切磋琢磨、相当な重圧があるのではなかろうか。そこに、二役という別の精神的軋轢を持ち込むなんて。
確かに顕示欲が強い人ではあるけれど、ただの「身の程知らず」と、憤る柑埜に同調できないのは、長い付き合いからの、拭いきれない違和感だ。
「・・わたしの、ため?」
と、聞いても、容易に想像できる権高さで一蹴されるだけだろうが。
雨は葉を覆うように濡らし、滴の玉を作って、つ、と葉脈を滑って落ちていく。一雨ごとに緑は濃くなり、花蕾をふっくらとさせる。
軽く立てた膝に、片肘をついて頬を乗せ、木を見上げる。今年は町のどの木も、例年以上の満開が期待されているが、この木も例外ではないだろう。
ホトホトホトホト・・今日も鳥が鳴き始めた。
ホトホトホトホト・・高らかなはずが、どこか湿って、寂しげな調子に聞こえるのは、応える声がないからか。
「橘の花散る里のほととぎす片恋しつつ鳴く日しぞ多き、」
「ほととぎす来る鳴きとよもす卯の花の伴にや来しと問はましものを。」
口をついた古歌に返しがやってきて、弾かれるように顔を上げた。
いつの間に、いたのだろう。傘もささずに、若い男が独り木の下に立っていた。黒いシャツの肩口を、髪を、霧雨が湿らせて、色合いを濃くしていく。
彼も吃驚した顔をしていて、互いが歌を口にした時がたまたま重なっただけだったようだ。
「教育・・実習生?」
制服ではないし、そも見たことのない顔で、たぶん年上だと観察して、口をついたのは、後から思えば仕方がなさすぎることだった。
いつも祭の後くらいに配置されていたから。
「違う。」
彼は木下から出てきて、紗子を見下ろした。
「舞手の候補者か?」
と言うからには、関係者ではあるようだ。
「いいえ。人を待っているところです。」
「なぜ?」
「一緒に帰る約束だからです。」
「----女子は分からぬな、」
彼の声に重なるように、勢いよく入り口のドアが開け放たれた。
彼は紗子から興味を失ったようで、開いた扉に向かって階段を上がっていった。ドアを開けた人は彼を迎えに出てきたのかと思ったのだが、どういうわけか、入り口で押し問答が始まった。
「お戻りください!」
「通せ、」
「いけません!」
「なぜだ?」
「まだ、調っておりません。」
「その頑なさは、おれに対する憐憫か? 」
彼が建物内に向かって顎をしゃくる。
「本町にはいなかった。ここになければ、おれは外れるよりない。なら、せめて、一日でも長く候補であれるように、か?」
「か、守候でなくとも、あなた様が総家の嫡子であることに変わりはございません!」
「おれに、叔父上の慈悲に縋り、どうか家督をつがせてくれと懇願せよと!?」
何だか、重苦しい話が耳に届いてしまう。紗子は、気取られぬようにじりじり場所を移動しようとしていた。
「若君、」
また慌ただしい空気が揺れて、玄関ポーチに新たな人物が現れた。姿勢の良い、着物に袴姿の、年上の女性。
「そのように気を荒げられては、蕾らが動揺いたします。」
「鉦の司自らがおいでだったか。」
「我が町の浮沈にかかわる大事ゆえに、ぜひにと御当主に志願いたしました。」
丁寧だが、断固たる物言いで相対する。
「今日は、お約束の日ではございませぬ。お引き取りを、」
「----は、」
投げやりな笑いが落ちた。
「やはり、今回もいないようだな。見込みがあるのなら、こうももったいぶる必要はない。あなたの口から、私に引導を渡して、叔父上にお墨付きを与える仕込みの途中だったか。」
「若様!」
瞬間、ぐわん、とまるで空間を叩いたような衝撃が走った。師範も取次の者も大きくよろめいた。建物自体も揺れて、内部から悲鳴が重なって響いた。
蜃吐? ----いや。
地面に近いところで、座っていた紗子は余り影響を受けなかった。
きしきしと、まるで握りしめられているように、建物が軋むさまをあっけにとられて見上げていたが、吹き始めた風が頬を叩くにいたって、はっと庭を振り返った。木々が、橘が、枝を大きくしならせているのに、胸がぎゅっと締まった。
「散って・・しまう、」
もうじき、咲き誇るべき花が。
花が咲かねば、実も結ばない。
そんなことはだめだ、と紗子は立ち上がった。ポーチの人たちと同じように、うずくまるかしがみつくかしなくてはならないかと用心したが、思いのほか、普通に立っていられた。
階段を上がって、建物を----宙を睨んでいる彼の後ろに立った。この超常の原因は彼だと、不思議と確信していた。
「あの、」
と一応、声をかけてみた。反応はない。我を忘れているのか、取るに足りな過ぎて存在を感知されないのか。普通に立っている紗子に、ポーチの二人は揺すぶられながら信じられない目を向けているというのに。
ぎし、と彼の足元で板が鳴る。階段を上りきって、建物の中に入ろうとしているようだ。目的は何だか分からないが、このまま入られるのは、よくない感じがした。紫子も中にいるから、無関係ではない。
「えー、・・ごめんなさい?」
武術の達人ならば手刀で決めるのだろうが、あいにく心得はない。ジャケットのポケットに、はみ出させながらつっ込んでいたぬいぐるみのペンケースを、上げた足の前に差し込んで、みた。
躓いてくれたら、ちょっと頭が冷えるのではないかと思ったのだが、・・・まさか、バランスを崩して階段を落ち、気を失うなんて。
----予想外過ぎた。
・・・で、騒ぎに乗じて、一目散にその場を離れた。
紫子は紗子が先に帰ったことに文句を言ったが、赴いたときに、よく分からないけれどすごい騒ぎになっていて近寄れなかった、というと黙ってしまった。
和歌は「万葉集」。大伴旅人と石上堅魚による作。




