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10 前日譚3 花橘に思い出でむ 〜南の櫓で

「そろそろ戻ろうか?」

 櫓の上をあちこち移動しながら眺めに夢中になっていた幼い娘は少しだけ唇を尖らせた。

「午後のお茶には彼が来るのだろう? 母様を手伝って準備をせねば。」

と、諭されて、約束も思い出したようで、にっこり笑った。

「おうちに犬がいるんだって。」

「うん。」

「この前写真見せてくれたの、今日も新しい写真を撮ってきてくれるの。」

 縁組云々は置いておいて、次世代が交流するのは良いことだと思う。

「見においで、というけれど、香子はえーくんのおうちに行くのは駄目なの?」

「駄目じゃないが・・香子がもう少し大きくなったら、かな?」

「じゃあ、あと()()()()だね?」

「・・・どうして?」

「だって、えーくんは来るし。」

 鍛錬している衛心とただの子どもである彼女を同列で語れるものではない。曖昧な頷きで応じた。

「あと、香子はえーくんと同じ小等に行くんでしょう?」

「---おや? だれがそんなことを?」

 側近や分家の()()から、本町(あちら)の学校へ通わせて、理解を深めようという動きはある。

 ----橘正の血筋(香子)が、あちらに戻るのは、それだけで強烈なメッセージとなるから、時期は見計らっているところだ。

「えーくん。」

「おや・・本当に仲良しになったね。」

 自分たちは叉始祀を離れられないから、香子が本町の学校に通うのなら、

「うん! うちに住めばって。部屋はいっぱいあるからって!」

 親子して、同じ台詞で囲い込みに入ってきているようだと内心呆れた。

「父様と母様は香子がいなかったら寂しいな?」

「うん。だから、ちゃんと言ったよ?  ()()()()()って。」

 聞きかじりの台詞だろうが、()()()、主導権をしっかり握っているところが末恐ろしい気はする。

「じっくり考えるのは大切なことだ。」

「うん!」

 差し出した手をちょこんと握った娘を引き寄せて、肩の上にあげた。もう一度、一緒に町並を----春の午後の、麗らかな空を一緒に眺めようと思ったのだ。

 ----顔は凍り付いた。

 黒い、雲。

 まだ点のようだったが、本能というのか、背筋をぞわりと撫で上げる悪寒に、瞬時に察した。

 同時に、ブン、と先兵の虫を叩き落す。先年までは、殆どただのひとであった彼だが、鍛錬の成果あって、彼の手はしっかりと枝を顕現させていた。

「とう、・・さま?」

「心配ないよ。」

 櫓の下から駆け上がってきた娘の側仕えに身を託した。

「当主様!?」

「屋敷まで戻れねば、窓のないところに入って耐えよ。」

 研修を受けたとはいえ、実戦経験はない。

 うまくいくのかと息を調えつつ、まずは連絡用の半鐘の前に立った。

 カンカンカンカン・・!!

甲高い音が空へと散って、控室にいた《町並保存協会》の職員が飛び出してきた。

「何ごとですか!?」

「ムシだ。」

 叩く手は止めず、逆の手で空を示した。

「とうとう・・・来るべき日がきた。」

 カンカンカン・・・音を聞きつけた他の櫓からも音が返る。

 職員は櫓の手すりから身を乗り出すようにして、黒い---少しずつ大きくなっていく()を凝視した。

「よく、見つけられましたな」

「発見できたのは僥倖であった。今なら封じを張るのに十二分に間に合う。」

 ざわざわと、鐘を聞きつけた人々が櫓の下に集まってくる気配がある。

「代わってくれ。」

 封じの線の内側に誘導しなくてはならない。一瞬取り出して確認した端末は「圏外」。どういう原理かはよく分からないとのことだが、一定以上の虫の群れは通信を阻害するという本町からの教えに従って鐘を設えたのはまこと正解だった。

「内側に移動したのなら、封じは私が始める。」

 頭の中で手順を反芻していた当主は、まわりに注意を払っていなかった。流れ作業として近づいてきた職員の手にバチを渡し、

 ----彼は()()()()()

 何が起きたのか分からぬままに。

 ≪町並保存協会≫のブルゾンを来たその職員は、無表情に、物言わぬ骸の上にバチを落とした。

 それから櫓の手すりに寄っていき下を----群衆を見下ろした。

「すいませーん!!」

 にこやかに、朗らかに、発声した。

「ちゃんと鳴るかどうかの試験中なんです! お騒がせしてます!」

「あちこちから聞こえてくるの、全部かい?」

「はい。ちゃんと鳴って、互いに聞こえるかどうかの確認中で。思ったより響いてますねぇ。」

「なんだ、びっくりさせないでくれよ。」

「申し訳ないです。まさかこんな響くとは?」

「何事かと思ったよ。」

とか、

「いい音の鐘じゃないか。」

とか、人々は口にしながら散っていく。

 櫓の上の職員は、薄い笑みを浮かべて、広がっていく黒い雲を見つめていた。

 その上着の裾からは、黒い虫がポトリポトリと雨だれのように落ちて、やがて黒い川のようになって、当主だったものの体を覆いつくしていた。



入り込まれていた、ということて。


話にのぼりませをでしたが、0にでてきた職員は、応援職員(笑)として北につめていた衛心の叔父です。

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