9 前日譚2 我も昔のひととなりなば 〜失格者
前半が橘の当主、後半がその息子である衛心の話です。
「おかえりなさいませ。」
守宮から帰ってくる当主はいつも不機嫌であったが、この時は高揚を隠し切れない様子であった。
「競が行われる。天羽学院を開くよう、詔が下された。」
「なんと。いよいよですか!」
喜色とともに、漸く、という形に、側近の口の形は動いていた。
競の開催は、旧来ならば守の守力が弱まったという表れであり忌ごとなのだが、今の守に関してはそろそろいいのではないか、あるいは、いったいいつまで、という、不敬ながらも倦みが付きまとってきた。
なにせ、前の競は百年の昔である。百年前の競を勝ち抜いた現守は、通例、一人の媛を伴って任期を務めるところ、異例も異例、十人の媛とともに守の座に就いたのだ。その伝説の競のあと、柳の候補と乙女は、共に自らの町に還っていったが、十一人の候補は一人で自町へ引き上げた。
乙女と候補は恋愛関係とは限らず、力の相性であるのだが、当時の橘の総領にとっては失いたくない相手であったのだろう。
彼は競ののち、家督を放棄し己が樹繋であることも忌避した(と推測される)。
その結果が、叉始祀の町だ。矛盾しているが、男が樹繋としての強大な能力を注いで作り上げた---隠れ里。
彼は自らを慕う時鳥の数家を連れて移り住み、樹繋も守も乙女も無くした場所で、ただの人として死んだらしい。
----それは、いい。理解はできないが。
だが、問題は残された町だ。
かの町には樹繋が住まうのに相応しい防備が備わっていなかった。
総てを捨てたと言いつつも、守候補になるほどの強大な力を有した男が存命中は良かったが、残されたのは血は継げど、知識も訓練もない者たちだ。
柵のない狩場など、発見されていればあっという間に食い尽くされていただろう。
実際、匂いを嗅ぎつけた単独のムシの被害が何件か起きた。その異常さに残された文献を漁り、櫓を建て榊を置き、祭を行ったが効果はさほど上がらなかった。そこで投げ出さず、更なる調査の末、本町につなぎをつけることに成功した曽孫はよく頑張った。
----少し、遅かったけれど。
防備と教育が揃う前に、大規模な襲撃を受けて、町の半分弱が壊滅した。
本当はその時点で、叉始祀の町は解体し、残った住民は本町へと移すべきだった。だが、さすがに人数が多く、かつ、あまりに常識が違い過ぎて、財政の厳しさもさることながら、軋轢が生まれることを危惧する声が強かった。
学校や社会教育で同化のステップを踏んだのちに、ゆるやかに合流させる合意が形成された。軽い暗示と情報統制で、かの悲劇も覆い隠されている。
「----衛心は?」
「道場で鍛錬をされておいでです。」
「・・町内の火鉦の儀はすべて終わったな。」
報告はなかった。ということは、そういうことなのだろう。
「灯人の息子を候補として天羽に送る手続きをはじめよ。」
「御屋形様!? 若君をお見捨てになるのですか!? 若君のお力は、甥御様に劣るものでばございませぬ。」
「だから? 適当な娘を見繕って添わせ、かたちを調えて天羽に送るのか?」
苦い笑いを零した。
「それで矜持を保つような息子が、橘のなにになれると? 競は参加することが名誉なのではないぞ。樹繋の名にかけて、他の樹繋に威を示す場ぞ? 初めから役立たずを前提では恥を晒すだけだ。」
少し離れた木の陰で気配が揺れて、遠ざかった。手厳しい言葉をあえて放った父親は、重い吐息をついた。
「我が子の晴れ姿が見たくない親はいない。・・・乙女さえ見つかればな。」
「若様を慕う娘も多いというのに、どうしてこうもうまくいかぬのか皆目見当もつかず・・申し訳ございません。」
「・・叉始祀は、」
ふと、口をついていた。
「あちらのまつりは終わったのか?」
「いえ、まだ・・もうじきだと思われます。あちらは、今年十年目でございますからより盛大に執り行うとのことです。」
「----衛心をあちらに送れ。」
「御屋形様、それは、」
「同じになるやもしれぬが、」
咲き誇る頭上の白い花を見上げた。
友になれるかも知れなかった、それには時間が足りなすぎた、かの町の当主のことを思い出していた。
その男と共に失われた小さな娘について、息子は随分長い間悼んでいたように思う。
----生きていたのなら、きっと、息子はあの娘・・香子と共に立っていた、と確信的に思ったのだ。
だが、もういない。
「親バカの、干渉だ。最後の機会を用意してやれ。」
※
※
※
乙女と守は別に恋愛関係でなくてもよい。運命の相手でもない。と、父は言っていた。ただ共に在れば情は湧きやすいし、年が近ければ互いを意識する場面も増えるだろう。その結果、愛しいという気持ちが育つこともあるだろう、と。
競がない時代に若き日を送った晧人も、跡取り息子として町内の祭主を務めていたが、乙女は従姉や妹の役回りだったという。
衛心の母は、婚約してから一度だけ乙女を務めたそうだが、結婚後は二人ともに退いたそうだ。
競に参加した先祖とその乙女がどのような間柄だったかは伝わっていない(廃棄された?)が、乙女がより自分の能力を引き出す相手を選び、橘正が叉始祀に去ったことから、ふたりの温度差は推測できようというものだ。
「後ろ盾になってやりたいと思っているんだよ。」
再会した橘正の末裔について、父は言った。
「お前の乙女候補として迎えれば、かの人をよく思っていない者たちの口も少しは抑えられるだろう。ああ、一方的に肩入れしろというわけではない。お前は、橘樹の跡取りとして、公正に、節度を持って接すればいい。」
後ろ盾といいつつも、無条件ではないということだ。
「分かりました。」
当人の才と努力次第の付き合い、とドライな気持ちのもとに引き合わされて-----ほだされていったのは、こちらだ。
それまで家に連れられてくる女の子たちは、乙女→許嫁という想定をどうしてもちらつかせてくるが、その少女はときどき遊びに来る遠い親戚のお兄ちゃん、というラインを崩さず、懐いてくる。
気楽で、自由で、居心地気が良かった。
笑顔を見るのが楽しみだった。
それが初恋というものだったのかは分からない。
ただ、失われてしまったのちに、何もかもが色あせて、話しかけてくる他の少女たちの声は、乾ききった、古い干物のようだった。
いつ、どのまつりでも、結局うまくいかないのは。
これが、あの少女とだったらどうだったのだろう、と考えてしまうからだ。
「あとはございません。」
町内の最後の祀りが終わり、いよいよ引導を渡されると思っていたところに、叉始祀行が指示されたのだ。あの後、どんなに願っても許可されず、・・そのまま、再訪することがなかった町へ。今更。
「俺に対する最後の情けか、そこまでしてもなお俺に資格がないのだから、というアリバイ工作か、」
後者が強い、と分かっている。
さんざんうまくいかなくて、最後の最後で成功することを期待するなんて、夢見がちすぎるだろう。
向かうタイミングは、あちらの都合に拠るということだったので、連絡を待ちながらその日も刀術の鍛錬をしようと、庭を鍛錬場へと歩いていた。
叔父の---分家の従兄弟このまま競に出るというのなら、本家の家督は自分の未来ではないだろう。どこかで道場でも開いて、師範を務めるのもいいかもしれない。
ふと、橘の古木の前で足を止めた。白い花を咲きこぼし、香りを風に乗せて振りまいていた。
香りに誘われるように、空へ手を伸ばす。別に何かを掴もうとか触れようとかしたわけではなかった。ただ、何となく。
ホトホトホト。
木の葉の間から、時鳥が飛び出した。ぐる、と彼の周りを小さく、大きく、円を描いて飛んで、そしてまた木の葉の間に戻っていった。
リ、・・と何かが高く鳴る音が聞こえた。いや、聞こえたような気がしただけかも知れない。胸が奇妙に騒いで、目を瞠ったまま、じっと耳をすませたが、どこからも音は響いてこなかった。
----だが。
自分のなかで、り、り・・と、反響しているように、応じているように、響く音を感じるのだ。
いったん見えなくなった時鳥がまた葉の中から飛び出してきた。彼の頭上を飛び越え、母屋を飛び越え、杜の方へと飛んでいく。
まるで、導いているように思った。
そして、衛心は気が付くとその後を追うように走り出していたのだ。
こうして、衛心は叉始祀に乗り込んできたわけでした。
なんであんなにイライラしていたかは、まあかなり追い込まれていたからというわけです。




