中等部二年・『篝火香澄の後悔』
どうして、上手く出来なかったのか。
彼女が私を邪魔しようとした訳じゃないのはわかっていたのに。
ごめんね、リビちゃん。
私がもっとちゃんと「楓ちゃん」だったら、君を傷つけずに済んだのに。
私立悠星学院中等部に入って一年、ウチ……いや、私は二年生になった。お世話になったバスケ部の先輩との別れがあったり、新入部員の教育係に任命されたり、色々な事があった。当分、私はバスケ中心の生活になるだろう。勉強ももちろん大事だけど、“転校”しなきゃいけないような成績じゃない。
新学期の始業式、クラス分けの書かれたプリントを見て、私は正直に言ってホッとした。彼女と別のクラスになったからだ。その彼女とは、天谷楓ちゃん。一年生の頃は親友だったけど、今は普通の友達くらいになってしまっている。それもこれも、私が彼女を怒らせてしまったから。春休みに入る寸前に仲直りこそ出来たけど、あれ以来ずっと疎遠なままだ。ついさっき、遠巻きに見たのだが、彼女の方は私の事も特に気にしていないらしく、いつもと変わらない雰囲気だった。むしろ様子がおかしいのは私の方だろう。あからさまに、彼女と距離を遠ざけようとしている。だけど、どうやってもう一度彼女と距離を縮めればいいのか、私にはわからなかった。
そもそも、私が悪かったのだ。彼女が恋愛に興味が無いのは、一番仲が良かった私が理解していなきゃいけなかった。なのに、男子バスケ部の先輩に頼みこまれて、彼女への告白をセッティングして、露骨に先輩の良さをアピールしたりして。結局、告白こそしたもののあっさりと先輩はフラれた。その後、楓ちゃんを告白場所に連れてきた私は彼女に睨まれたのだ。今まで見た事もないくらい、冷たい表情で私を睨んでいた。
「ねぇ、香澄」
今までリビちゃん、というあまり好みじゃない渾名で私を呼んでいた楓ちゃんが、私の事を名前を呼び捨てにした。今にして思えば、名字にさん付けみたいな他人行儀な呼び方じゃなかったのは、まだ本気で嫌われていない証拠だったのかもしれない。だけど、私には渾名で呼ばれなかったという事に大きなショックを受けていた。そして、そのショックが冷める前に、彼女はこう続けた。
「私は恋愛する気は無いって、言ったよね。なのに、なんで私と誰かをくっつけようとしたの?」
私は声が出なかった。先輩に頼まれて断れなかった、というのもある。だけど、あの先輩は本当にいい人で、カッコよくて、楓ちゃんに対しても真剣に好きになったというのが分かっていたからだ。それに、先輩も学級委員長だったから、生徒会活動で面識もあったようだし、楓ちゃんとはきっとお似合いだ、と思ったのだ。
「余計な事、しないで」
楓ちゃんがそう言ってその場を立ち去って、しばらく私は呆然とその場に立ち尽くしていた。嫌われた、私は彼女に嫌われたのだ。少なくとも、その時は本気でそう思っていた。その後の事はあまり記憶に無いが、なんとか鞄を教室まで取りに帰って、校門を出たところで男子で一番仲が良かった土屋っちを見つけて――最初は、ただ相談しようと思った。だけど、友達と仲良さそうに喋っている彼の姿を見ていたら、自分にとっての最大の友達から嫌われてしまったという事を思い出して、もう二度とあんな風に、「また明日」とか言えないんだ、って思ってしまって。
気が付いたら泣きながら土屋っちの腕を掴んでいた。土屋っちは驚きながらも、私の話をちゃんと聞いてくれた。わざわざ楓ちゃんにも連絡を取って、何があったのかをちゃんと聞いたりして、その上で仲直りするように間を取り持ってくれた。あの時土屋っちが居なかったら、本当に楓ちゃんとはあれっきりで絶交になっていたと思う。彼には色々頭が上がらない。今年は別のクラスなのが惜しいくらいなんだけどな。なんて事を考えてたら、始業五分前だ。早く教室に行かなければ。
※
私立悠星学院高等部の女子バスケ部は全国大会の常連で、練習も非常に厳しい。レギュラー争いは当然としてベンチ入り争いすら熾烈を極めているが、足の引っ張り合いなどが起こる事はほぼ皆無だったりする。なぜならウチのチームは外部入学で有力選手をスカウトしている訳でも無ければ、個人能力に頼ったりもしない。中等部時代から育て上げた連携で勝負をするチームだからだ。その為、中等部の女子バスケチームは大会での結果以上に連携を習熟させる事が重要視されている。「悠星の中等部は高等部の二軍」なんて揶揄される事もあるけど、実際には二軍と言うよりJリーグのユースチームのような感じだったりする。
じゃあ中等部チームが弱いかと言われればそんな事はない。むしろ県大会ベスト4くらいまでなら平然と上がっていけるくらいレベルが高いのだ。ただ、そうは言ってもウチらはまだ中学生。身体能力や個人能力のゴリ押しをされると案外脆い。それが悠星学院中等部最大の弱点だったりする。逆に言えば、連携を完璧にこなせるレベルまで努力すれば、多少の体格差やスタミナ・パワーの差を弾き返してレギュラーになれるのが悠星の売りなので、毎年毎年新入部員は沢山いる。ウチが入部した時は三十人以上居た。今では十数人にまで減ってしまったが。やっぱり練習厳しいからなぁ……夏休み冬休みも実質一週間あればいい方ってくらい練習漬けだし。
そんな訳で今年の新入部員総勢二十人が来年何人残るのか、今からちょっと楽しみだったりする。一年生のお目付け役という大役を任されてしまった以上、厳しくも優しくしなきゃね。自分も去年、同じ様に先輩に色々指導してもらったし。その先輩は今年は副キャプテン。伝統的に、お目付け役をやった人は副キャプテンとしてキャプテンを補佐する役割に回るらしい。って事は、来年はウチが副キャプテンって事かぁ……責任重大だなぁ。
「いやー、リビちゃんや。相変わらず女子バスは新人多くて羨ましいねぇ」
「あ、マーズだ。サッカー部はどれくらい入ったの?」
「聞いて驚け、キッカリ十人だ!あいつらが三年になった時に新入部員が居なかったら試合出れねぇって爆笑してきたところだ」
「どこに笑える要素があるのよ。っていうか、普通にやってりゃ新人入るから大丈夫でしょ」
今年から同じクラスになった間逗誠一郎くん。通称マーズ。自称の渾名を通称に変えた執念の持ち主で、サッカー部では一年の頃から不動のセンターバックとしてスタメンを張り、背が高くて顔も良い。そのせいか、然程強くないサッカー部にも関わらず学校外でのファンが非常に多くて、わざわざ練習風景を見に来る他校の女子がいるくらいだ。残念ながら、その残念な性格が知れ渡ってるので母校の女子は見学に来ない。マーズは友達としてなら、あるいはやや遠巻きから見ている分には明るくて楽しい人だと思う。ただ、彼の彼女さんになる人は大変だろうなぁ、と思う。一方向に突き抜けている人とバランスを取れるのは、別方向に突き抜けている人だけ。ウチはそこまで行ってないから、マーズとそういう仲になる事はないだろう。たぶん。
「ふっ、甘いな。鮎の甘露煮より甘いぜ、リビちゃん」
「例えに出された食べ物が渋すぎて伝わらないよ。あと鮎なら塩焼きにしとこうよ」
「えー、甘露煮美味いぜ?ご飯超進むし。……いや、んな事ぁどうでもいいんだ。何が言いたいかってーと、俺が普通にやると思うか?」
「思わないね。たぶん、ウチらの学年の半分以上がアンタに“普通”が出来ると思ってないよ」
「シレッとヒデェな!事実だけど!」
たぶんロクでもない特訓とかやるんだろうなぁ。まぁ、ウチらに迷惑は掛からないし問題になるギリギリのラインで踏み止まるタイプだから、サッカー部に関しては遠巻きに様子見しているだけで充分だろう。そんな事より練習……あ、一年生たちがアイドルを見る目でマーズを見ている……。確かに外見だけで言えばウチの学年でもトップクラスだけども……マーズの事を“カッコいい先輩”として見る子が来年何人残るのか、それはそれで楽しみかもしれない。
※
部活終わりの時間帯に楓ちゃんを見かけた。どうも今年も委員長を務める事になった、と彼女と同じクラスになった子から聞いていたけど、この時間まで仕事があるんだろうか。しかし、これはチャンスかもしれない。ここで話しかけて、微妙に気まずい現在の関係を少しでも改善出来るかもしれない。でも拒絶されたらどうしよう。拒絶までは行かなくても、ぎこちないまま変わらないかもしれない。でも、別のクラスになってしまって、部活をやっているウチと楓ちゃんとがこうして帰りの時間が重なる事も早々ないかもしれない。勇気を振り絞って、話しかける。
「……楓ちゃん」
「あ……リビちゃん、今部活終わりなの?」
穏やかな笑顔を浮かべて、楓ちゃんは私を渾名で呼んだ。その瞬間、急に肩にのしかかっていた重いものが取れた様な気がして、気付いたらウチは楓ちゃんの腕に抱きついていた。
「うん、今日は一年生が参加する最初の日だから、ちょっと軽めのメニューになったんだ……えへへ、楓ちゃんにリビちゃんって言われるの久しぶりかも」
「どうしたの?前は嫌がってたのに」
「ん、いいの。楓ちゃんにはそう呼んでほしいから。……仲直り出来て、良かった」
「こら、べたべたしないの。全くもう……」
思わず腕に組みついてしまうくらい嬉しい。やっぱりウチは楓ちゃんが好きだ。楓ちゃんに心を許してもらえてる事がこんなに嬉しいなんて、あの時喧嘩しなきゃわからなかったかもしれない。……単純だなぁ、ウチは。
「ねぇねぇ、久しぶりに一緒に帰ろう?別のクラスになっちゃったし、たまには、ね?」
「そうね。……前はごめんね。私もちょっと、ムキになり過ぎちゃったから。まさか、泣いちゃうなんて思わなかったから……」
「……なんでウチが泣いた事知ってるの?」
「あ、本当に泣いちゃったのね……土屋くんが『見た事もない表情で篝火さんが来て…』って説明してたから、まさかとは思ったんだけど」
「ぐあ……何やってんの、ウチはもう……土屋っちの気遣いを~……」
カマ掛けに盛大に引っかかるウチ。本当に単純だ……。なんにせよ、こうして他愛なく喋ったり出来るだけでも、凄く嬉しい。部活の事や、委員長の仕事の事、更には今日のサッカー部の練習で早速マーズがやらかしたらしいという事、色んな話をしていたら、あっという間に駅についてしまった。
「電車到着十分前!うん、スポーツマンは十分前行動が基本!」
「リビちゃんは女の子でしょ」
「いや、まぁそれはそうなんだけど……あ、滝沢くんだ」
今年から同じクラスになった滝沢くんが券売機の前で何やら困惑している。目の前には、これまた今年から同じクラスになった女の子。確か文学部所属の女の子で、なんか占いとかおまじないとかに詳しい、らしい。自己紹介の時にそんな様な事を言ってた。確か、皆木凛ちゃんだったかな。
「滝沢くん、どうしたの?」
そうこうしている内に、楓ちゃんが滝沢君に声を掛けた。なんとなく凛ちゃんの方を気にしているようにも見えるが、それにしても滝沢くん……いきなり声を掛けられてビックリしたのは分かるけど、アタフタし過ぎだよ……。
「いや、そのなんだ、うん、駅に来たら人多くて、そんで押された拍子に皆木とぶつかって縺れて転んじまって、大丈夫かーってなってたんだよ」
「滝沢くんって何気にトーク下手だよね」
「ほっとけ!」
思わずツッコミを入れてしまうくらいグダグダな説明をしてきた滝沢くんが悪い。“て”が多いんだよ、“て”が!……それはさておき、ぶつかって転んだとなれば、怪我をしてないかが心配だ。
「二人とも、怪我はしていない?」
「ああ、俺は大丈夫なんだけど、皆木がちょっと……その、うん」
「怪我してるようには見えないけど……」
「……縺れて転んだ、って言っただろ。要はその、なんつーか……」
「わかった!押し倒した感じになった!」
「そう、それだ!」
「それだ、じゃないでしょ……」
ああ、ウチと滝沢くんを見る楓ちゃんの目が冷たい!クイズ番組っぽいノリをしたのが悪かったのだろうか。まぁ、不可抗力とはいえ同じクラスの男の子に押し倒されたみたいな感じで転んだら多少はショックというか、気まずくもなるよなぁ……。
「皆木さん、大丈夫だった?」
「……天谷、楓さん」
なんというか、細い声の子だなぁ。ご飯食べてるの?って言いたくなるくらい、細い印象だ。でも胸あるな。畜生め。というか、知ってたんだ、楓ちゃんの事。一年生の時も別のクラスだったのになぁ。まぁ、学年きっての優等生だから知っててもおかしくは無いか。
「……篝火、香澄さん」
そうだよー、香澄ちゃんだよー。
「……滝沢、大河くん」
「あ、ああ、そうだけど……」
……なんでわざわざ一人ひとり指差し確認するんだろう。
「……私って、皆木凛、だよね?」
最初に考えたのは、「ちょっと混乱してるのかな?」という感じだった。ウチも部活で思い切りバスケットボールが頭に当たって、一瞬頭が真っ白になった事がある。それに近い状況なのかな、って。
だから、私達が頷くと、彼女はにたり、と笑った。黒髪ウェーブの子がやると、正直ちょっと怖かった。というか、そういう表情が様になり過ぎてるよ……!
「…………“プラネット”だ…………」
凛ちゃんがそう呟いた瞬間、楓ちゃんの方向を見ると……私に対して怒った時と同じ、冷たい無表情を浮かべていた。そして、彼女の手を取って。
「リビちゃん、滝沢くん。念のために、彼女を送っていくわ」
「え?それならぶつかった俺が行くのが筋なんじゃ……」
「押し倒した人と一緒に行くのは、流石に気まずいでしょう、お互いに」
「……おっしゃる通りだ……!」
何かトントン拍子で話が進んでる。滝沢くんは「押し倒した」事を本当に気にしているようで、なんかショックを受けていて使い物にならない。当の凛ちゃんはウチらを見ながら、妙な笑みを浮かべている。なんか、怖い……。
「さ、行きましょ皆木さん。“話しておきたい事”もあるから、ね」
ウチが何か言う前に、凛ちゃんの手を引っ張って改札を通ってしまった。呆然とするウチと、滝沢君を残して。
「……ど、どうしたんだろう、楓ちゃん」
「いや、俺に聞かれてもだな……」
「むしろ凛ちゃんの方がどうしたんだろうな気も……」
「……俺のクラス濃い奴ばっかだな、しかし……」
「頑張ってよ、クラス唯一のツッコミ担当なんだから……」
「いや、ボケ比率高すぎるだろ……」
取り残されたウチらは、何一つ生産性の無い会話に終始するしか無かった。ウチの後悔は今日の帰り道で清算出来たけど、別の心配事が増えてしまった気がする。
これから一年間、楓ちゃんと滝沢くんの胃にダメージを与え続ける少女、皆木凛との初遭遇だった……ごめん、私じゃ力になれない。頑張れ、楓ちゃん。負けるな、滝沢。
……うろたえちゃだめ。「楓ちゃん」らしく、冷静に考えなきゃいけない。
分かってたはずだ。海川先生がいる以上、そういう可能性がある事は。
「転生者」が私と海川先生だけなんていう、都合のいい事がある訳ないという事は。




