中等部一年・『土屋想真の考え事』
上手くいっている。
少しずつ塗り重ねた嘘の化粧が体に馴染んできている。
あと二年。
あと二年、こうして塗り重ね続ければ。
私は『天谷楓』になれる。
僕の名前は土屋想真。父親は作家、母親は国語の教師という文系の家系に生まれました。僕自身も好きな教科は国語。夏休みの宿題で皆が嫌がる読書感想文も、僕にとっては一番楽しみな宿題だったりします。お陰で小学校の頃、書いた感想文がコンクールに出展されたり、一度だけ賞を獲った事もあります。運動が不得意な僕にとって、今のところ唯一の勲章です。
でも、その賞を獲った時の朝礼で、壇上に上がって以来。僕はずっと「みんなの視線が集まる状況」が大の苦手です。失敗した訳じゃないのだけれど、みんなの視線が針のように思えて、背中にずっと刺さっているような恐怖がどうしても拭えなくて、その時の事は殆ど覚えていません。結局小学生の間は視線に対する苦手意識を拭えないままでした。
中学受験を決意したのは、そんな自分を変える為でした。自分が知っている人が大半だった小学六年生の頃の授業でも、「授業中に前に出て黒板に答えを書く」という事すら手足が震えるほど緊張してしまう。中途半端な事ではこれは直らないぞ、と思った僕は敢えて誰も知っている人が居ないであろう中学に受験で入る事で度胸を付けようと思ったのです。少々荒療治な様に思えますが、僕だって男なんです。やると決めたら、一気でした。幸い、入学試験には無事合格。私立悠星学院中等部で、僕の新生活は幕を開けました。そして、緊張との苦闘も始まりました。
※
時が流れるのは早いもので、もう二月です。入学当初はやはり緊張で俯きがちになったりしましたが、僕と同じクラスの人達はみんなびっくりするほど明るくて陽気でノリがいい人達ばかりで、一歩間違えば“陰気な奴”というレッテルを張られそうな僕の事すら受け入れて、みんながどんどん引っ張ってくれました。“土屋っち”なんていうニックネームも出来ました。お陰で少しずつ自己主張が出来るようにはなっているのですが、やはり他のクラスの人と話したり、あるいはクラス内だけでなくもっと大勢の人に見られるようなシチュエーションには及び腰になったりしてますが、随分と変われたような気がするんです。
「おはよう、土屋くん」
「あ…お、おはよう、天谷さん」
下駄箱で上履きに履き替えている時に掛けられた声。僕のクラスの学級委員長、天谷楓さん。色々と前のめり気味な一年C組のメンバーの手綱を握れる唯一の人物です。品行方正、公明正大を絵に描いた様な人でもあります。その中学生離れした落ち着き具合は誰もが認めるほどで、男子女子問わず「姉さん」なんて呼ばれています。D組に彼女の双子の弟である棗くんが居るのも、そんな風に呼ばれる理由でもあると思いますが、実際にみんなのお姉さん役でもあります。
「あれ?天谷さん、その紙袋は?」
「今日は十四日、バレンタインデーでしょう?女子の皆でちょっとずつお金を出して、男子のみんなに配るのよ。あ、他の子には内緒ね?」
「なるほど……でも、教室に持って行ったらみんなにもわかっちゃうんじゃ」
「大丈夫よ。昨日、先生に話して放課後まで職員室で保管してもらう事になったの。冷蔵庫もあるから、溶ける心配も無いわよ」
「な、なんというか……流石だね……」
しっかり者もここまで来ると隙が無さ過ぎます。そんな彼女は学院の男子内でも人気が高いのですが、一度告白した二年の先輩が“大人の対応”で断られていたそうです……。確かに彼女くらい精神年齢が高いと中学生くらいじゃ釣り合わないのかなぁ、なんて思ったりもします。もちろん僕なんかじゃ釣り合うどころか天秤が傾き過ぎて吹き飛ばされるかもしれません。あ、彼女の体重が重いとかそういう意味じゃないです!僕という人間の重みの無さの比喩表現ですから!
「ちゃんとしてれば、ある程度自由を許してくれるからね、この学校。小学校の頃は、みんなこっそり持ってきて先生に見つかっちゃったり、ね」
「確かに僕の通ってた所でもあったかも……ね、あの……こんなことを言うのもなんだけど、本命チョコとかは……」
「お父さんと弟には手作りのを渡すけど、好きな人にっていうのは、まだね。でも、土屋くんがそういう話題出すなんて、ちょっと意外」
くすり、と微笑む姿は同級生と思えないくらい大人びていました。僕はもう、しどろもどろで。なんであんな話題を振ってしまったんだろう、僕らしくもない……。
「楓と土屋っちー、おはよー!」
「うわっ!……あ、篝火さん……お、おはよう……」
「リビちゃん、おはよう」
いきなり背中を両手で押されて情けなくもよろける僕。彼女も同じクラスの篝火香澄さん。色々と、僕とは真逆の子です。身体能力は学年でもトップクラス、性格は豪放磊落を字で行くアクティブさ、そして僕より十センチ以上背が高いという……。事実、背の順で並ぶとクラスで一番前の男子が僕で、一番後ろが篝火さんです。僕の成長期はどうやら遅刻しているようです。
「ねーねー、何を話してたの?ウチにも聞かせてよー」
「な、なんでもないよ……あはは……」
「そうね。この紙袋の中身を聞かれただけで、他には何も」
「あー、バレちったか。まぁ、土屋っちなら口堅いし大丈夫だね」
「うん、土屋くんなら大丈夫」
太陽の様な明るい笑い方をする篝火さんや、涼しげな笑みを浮かべる天谷さんに対して、僕が浮かべる笑いは苦笑いばっかりだ。正直に言えば、僕はこの二人に憧れているんだと思います。好きな人とはまた違うけど、この二人みたいになりたいと思った事は何度もありました。まだ知り合って一年も経っていないのに。いや、むしろ知り合って一年未満なのに「こうなりたい」と思わせるこの二人が凄いのかもしれない。彼女達だけじゃない。D組の棗くんの人当りの良さは生まれ持った才能だと思うし、A組の間逗くんのバイタリティというか、アクティブさは僕がどんなに頑張っても得る事が出来ないと感じます。……僕が出来るのは、ほんの少しだけ人より文章を上手く書ける事だけ。それでも、この羨望や劣等感が綯い交ぜになった感情を、上手く文章に出来る自信は無いのです。
放課後、天谷さんが言った通りC組男子には女子全員からという名目でチョコの配布が行われました。中身は普段からコンビニでも売っているお菓子だったけど、女子から貰えるという事で男子のテンションはウナギ登り。何故かA組から間逗くん、D組から棗君が紛れ込むというハプニングはあったものの、今年のバレンタインは大したイベントも無く終わったのでした。ホワイトデーには、ちゃんとお返ししなきゃね。坂原くん(C組男子の委員長です。誰もが認める縁の下の力持ちタイプです)と相談して色々考えようかな。
※
自分の家に帰ってまず最初にするのは、パソコンを立ち上げてテキストエディタを開く事です。まとまった文章を書くのは休みの日だけで、それまでは思い付いたり頭に残っている単語を延々と打ち込む事で頭の整理をしています。あるいは、一つの単語から連想ゲームのように単語を繋げていったり。今日の気分は、後者でした。
「…………チョコレート」
呟いて、指を動かすとキーボードを叩くカタカタという音。キーボードの横には、一口サイズのチョコが何粒も入った定番のチョコ菓子。青と黒のパッケージにはビター、と書いてありました。
「ビター……苦くて、甘い……甘くて、苦い……」
僕が天谷さんや篝火さんに対して抱えている感情は、まさにそんな感じで。キーボードを叩く指は止まりそうにありません。
『これは恋なんかじゃない。甘酸っぱさなんかまったく無い。苦さの中に、ほんの少しの甘さ。甘さは憧れ。苦さは、きっと自己嫌悪。自己嫌悪するのは僕のどこの部分。人の視線を怖がる事、自己主張が出来ない事、自分の殻を破れない事』
ネガティブな言葉は何故こんなにも軽やかに出てきてしまうのでしょうか。篝火さんならば、同じ様な勢いでもっとポジティブな言葉を連ねて行くでしょう。でも、僕は篝火さんじゃない。僕は篝火さんみたいにはなれない。
『どうしたら、自分の殻を破れるのだろう。強くなる?どうやって。もっと感情を表に出す?出来るの?僕に出来るだろうか。僕に出来る事って、なんだろう』
天谷さんなら、きっとこんな風にウジウジ悩む事もなく、自分のやるべき事をしっかりと見据えて前に進めるんだろうなぁ。ああ、本当にみんな凄い人たちばっかりだ。僕なんかじゃ、とても太刀打ち出来そうにない。だって僕は地味で、チビで、暗くて――ああ、チョコレートが苦い。ビターチョコってこんなに苦いものだったかなぁ。だけど、甘味もあるからついつい手を伸ばしてしまう。いっそ、インスタントコーヒーの粉くらい苦ければよかったのに。そうすればさっさと水で口を濯いで、口直しが出来たのに。
「恋人同士とか、そういうのじゃないからなぁ。アイドルや、漫画のヒロインを見ているような感覚だもん……」
ぽつりと呟いても、返事をしてくれる人は居ません。僕は一人っ子だし、両親は一階のリビングに居るからそれも当然なんだけど。兄弟がいれば、きっとこんな事を話せたりしたんだろうなぁ、なんて事も考えてしまいます。両親の仲は良好ですが、この歳になって「弟か妹が欲しい」なんて言えません。僕は僕の力で、僕の殻を破らなければいけないんだと思います。少なくとも、僕が今出来る事はそれだけだから。
明日からもう少し、頑張ってみようかな。そうすれば、何かがきっと変わる気がする――そう思いました。
そして、僕がほんの少しだけ勇気を出して、自己主張をするようになってちょうど一ヶ月後。三学期最後の日に、事件は起きました。
終業式も終わり、クラスの男子達と明日はカラオケにでも行こうかなんて話をして帰り支度をして、ちょうど校門を出たところで、僕の腕を掴んだのは篝火さんでした。
いつも笑顔の彼女が、ボロボロと涙を溢しながら、縋る様な目で僕を見つめていて。何があったの、と聞く前に彼女は衝撃的な言葉を僕に告げたのです。
「土屋っち……どうしよう、ウチ、楓ちゃんに嫌われた……」
僕の考え事は、二月十四日で終わりでは無かったのです。むしろ、今日からが始まりだったのかもしれません。
どうして。
どうして、私の邪魔をするんだ。




