中等部一年・『海川玲が見た三ヶ月間の記録』(後篇)
彼との出会いは、突然だった。
前世の記憶が無ければ、運命だと思ってしまう程度には。
だが、運命だったとしても、私はその手を振り払わなければいけないのだ。
【十一月第三週】
相変わらず天谷はあまり自然とは言えない状態で安定している。下手に言葉を掛けて悪化させるよりは、今のままにしておいた方がマシと思えるほど、天谷の姿勢は徹底している。非行に走ったり他者に攻撃的になるならば対処せざるを得ないだろうが、傍から見れば真面目で少々堅物の学級委員長でしか無い。ならそれはそれでいいんじゃないだろうか。
そもそも担任でも無い養護教諭が介入すること自体が無理がある。基本的には静観するしかなさそうである。
グラウンドに目を向けると、一年生が体育の授業の真っ最中だった。お、土屋が天谷に話し掛けているぞ。いいぞ、頑張れ。……あ、駄目だ。露骨に緊張してる。おかしいな、天谷がああなる前に聞いた話では「ちょっと心を開いてくれたみたいです」って言ってたのに。
……心開き過ぎて惚れたか?あ、でも篝火相手にもあんな感じだな。大人数の視線を感じると緊張が止まらなくなる、って聞いてたけど、それだけじゃないのかもしれない。まぁ、ゲーム上の設定だけで人格が形成されるほど、人間ってのは簡単じゃないからな。
天谷がそれに気付ける日はいつになるんだろうか。気付けた時には、この頃の事で存分にからかってやるとしよう。
※
【十一月第四週】
期末試験が終了し、天谷は再びAランクに復帰したようだ。保健委員の仕事をわざわざ手伝ってくれた天谷弟が、そりゃあもう誇らしげに語っていたのである。そして天谷の変化に一切気付いていないのか、相変わらずのシスコン具合を発揮している。
「ただ、最近姉ちゃんの笑顔見て無い気がするんですよねー……」
前言撤回。天谷弟は僅かに不安の色の滲む表情でそう呟いた。ふーむ、とわざとらしく頷き、天谷弟から更に話を聞きだそうと試みた。
「最近ってどれくらいだ?」
「二ヶ月くらい。笑った顔はするんだけど、声を出したりはしない感じです」
「家でもそんな感じなのか?」
「ですね。親父と母さ……じゃなくて、両親も忙しいし心配掛けないようにそうしてるのかな、って思ってたんですけど……」
家でまであんな調子だとは。なんというかもう、天谷の精神力の強さに感服するレベルだ。私だって名ばかりの養護教諭では無い。精神的なダメージを受けた子達の相談に乗った事だって一度や二度じゃない。そして、そういう子たちには何かしらの予兆があった。天谷にはそれがない。表面的な変化こそ感じるが、その変化こそが彼女を安定させている最大の要因の様にも思えてきた。だとしたら、真面目で聞きわけの良い委員長の仮面は彼女にとっては必要なものだったのだろうか。
「……逆に怒り出したり泣いたりしてるか?」
「それもあんまり。元々怒ったり泣いたりするタイプじゃないですし、うちの姉ちゃんの場合」
「ご両親がお忙しい様だが、そういう変化とかに気付くタイプなのか?」
「うーん……急に変ったわけじゃないから、そこまで変だと思って無いかもしれないです。『親相手にそこまで気を使わなくてもいいぞ』みたいな事は言ってたみたいですけど」
急激な変化ではなく、緩やかに変化させた訳か。妙な所で冷静だな……。しかし、それなら家族も極端に訝しむ事もないかもしれない。そのまま成長してしまえば、そういう性格で済まされる。一度腹を割って話しておきたいが、恐らく彼女からこちらへ相談しに来る事はないだろう。天谷が前世の記憶を持っている事を私は知っている。その記憶があるが故に今の状態に自らを追いやった天谷がわざわざ私の所に来るとは考えにくい。さて、どうしたものか。
「そういえば、私以外にその事は話したか?」
「大河と土師ちゃん……じゃなくて、滝沢くんと土師さんには。土師さんの方は、『私があんな事を言ったのが原因かもしれない』って気にしちゃって……話さなきゃよかったかな」
「バカ者。お前が友達として信頼してるから話したんだろう?だったらそんな風に思ってるヒマがあったらフォローしろ。で、土師は何を言ったんだ?」
「えーっと。演技が自然体って話から『普段の楓ちゃんも演技みたいに見える』って。隙が無さ過ぎるからそう言った、って事らしいけど。あとはちょっとびっくりさせたかったみたい」
そりゃビックリしただろうな……今ほどで無いにしろ、天谷が自分を偽っていたのには変わりない。冗談半分とはいえ、それを指摘されたのが何かしらの切っ掛けになったのは間違いないだろう。そこに天谷の様子がちょっとおかしいなんて事を聞かされれば、精神力の強い土師と言えども動揺するか……。
「まぁ、土師へのフォローはしておけよ?」
「はーい。先生、また何か相談していい?なんかわかんないけど、先生相手だと凄く話しやすい。女の人なのに、気が良い兄ちゃんと喋ってるみたいな感じ」
「失礼なことを抜かすなバカ者」
頭部にチョップを落とした所で丁度D組の保健委員が仕事を終わらせ、二人は教室へと戻って行った。……妙な所で鋭いな、天谷弟。とりあえず、あの鋭さが良い方向に転がってくれる事を祈り、当面は事態を静観する事に決定する。
※
【十二月第二週】
静観出来たのは一週間だけだった。もうすぐ冬休みだというこのタイミングで、事態が大きく動くような出来事に直面するとは思わなかった。人生って何があるか本当にわからん。
「…………」
「とりあえず、こっちを向け。治療が出来んだろう」
ふてくされた顔でそっぽを向いている少年。中学一年生にして髪に金のメッシュを入れた、ヤンキー崩れみたいな風貌の彼も登場人物の一人、一年B組の佐渡円将である。時刻は午前十時前。本来ならば一時限目の真っ最中だが、この男は遅刻して教室に現れて早々、授業の真っ最中だった教師に大慌てで保健室に担ぎ込まれた。その理由は、一目瞭然だった。
唇や額から流血し、左目の辺りは痛々しい青痣が出来ていた。制服は砂埃まみれで、ボタンがいくつか千切れていた。カッターシャツには血痕が残っている。間違いなく喧嘩の痕だった。しかも、一方的にやられたようだ。佐渡は何一つ喋ろうとしない。それどころか、私が治療しようとしてもそれすら拒む有様である。荒れた学校ならまだしも、どちらかといえばお坊ちゃま・お嬢様学校の悠星学院でこの手の怪我で運び込まれるのは相当なレアイベントだ。私も就任して何年か経つが、一度か二度しか覚えが無い。それも小競り合い程度の喧嘩なので、せいぜいがタンコブが出来たとか殴り方を間違えて指や手首を痛めたとか、その程度だ。ここまで本格的にボコられた生徒を見るのは、これが初めてかもしれない。
「まぁ、どの道ここまでやられると病院に行った方がいいだろうな。特に、青痣の辺りは。目に異常を起こしていたらいかんからな」
「……何も聞かねぇのかよ」
「聞いたら素直に話してくれるのか?」
「…………」
ムスっとしたままこちらを睨む佐渡。これ幸いと消毒&止血を行う私。もっと露骨に嫌がるかと思えば、思ったよりも大人しい。しかし、生徒がこんな形で怪我をして、もっと大問題になるかと思えば校内は思った以上に静かだ。彼を連れてきた教師の方も私に丸投げして戻ってしまったし、もっと言えば中学一年生が染髪してて何も言われないのもおかしな話だ。高等部は「成績・素行共に優良で有れば、染髪・ピアス等は認める」という妙な方針を打ち出している。ただし、少しでも成績が落ちたり問題を起こせば即黒髪だが。だが、それはあくまでも高等部での話であり、中等部は基本的に髪を染めるなんてもってのほかのはずだが。
「その金髪で因縁でも付けられたか?皆川東中はヤンチャな連中が多いからな」
「……だったらなんだよ」
皆川東中学校はここから電車で一駅離れた位置にある公立中だ。基本的には普通の中学校だが、いわゆる非行少年の数が多い事でも有名である。露骨にこの話題を嫌がったという事は、どうやら図星の様だな。
「これに懲りたら、せめて髪の毛くらい黒に戻せ」
「煩ぇよ」
「反抗期だな。残念だが、中一のガキに睨まれたくらいでビビると思うなよ?」
自分が彼と同級生ならば多少はたじろいだかもしれないが、今の私は二十ホニャララ歳である。しかも前世は男だった上に、もっと怖い人とも接している職業だった。あんまり覚えていないし、思い出したくもないが。一歩も引かない睨み合いを続けること数分。結局、根負けしたのか事情を話してくれた。なんだ、意外と素直じゃないか。
そして、話を聞けば彼がグレようとするのも分からなくもない話だった。彼の父親はとある大企業の社長であり、オマケにこの学院の理事長ともかなり懇意であるらしく、入試こそ受けたらしいが実質の裏口入学のようなものだったようだ。一部の教師からも腫れ物扱いされていたようで、露骨に気を遣われていたり媚を売られたりしたとか。挙句、父親だけでなく母親の方も権力を振りかざす事に躊躇がない性格らしい。そりゃグレたくもなるわな。
「だからって他校の生徒と喧嘩はいかんぞ。世の中には多少の擦り傷でも延々病院に通い倒して通院費を請求してくるような輩もいるんだからな」
「俺は殴ってねぇよ……殴る前に囲まれてボコられたんだよ……」
「そりゃお気の毒に。まぁ、大した怪我じゃ無くて良かったな。頑丈で何よりな事だ」
溜息を溢すと、一時限目終了のチャイムが鳴った。そして数分後、最近では珍しく慌てた様子で天谷が現れた。
「おう、天谷、どうした?」
「あの……その、佐渡くん、居ますか?」
「この金髪が目に入らんか?」
「指差すんじゃねぇよ……」
どうやらお目当ては佐渡の様だった。ん?天谷はC組で、佐渡はB組。今まで特に接点何ぞなかったように思えるが。
「今日の朝、他校の人に絡まれてる所を佐渡君に助けて貰ったんです」
「……チッ」
「ほう……ほうほーう?」
なんと。ただの不良の喧嘩かと思えばそんな裏話が。思わずニヤニヤしてしまうが、佐渡は私とも天谷とも視線を合わせようとしない。照れてるのか?照れてるんだろ?
「あの、今朝はありがとうございました。それに、怪我も……」
「煩ぇよ。お前がどうとかじゃなくて、俺があの連中が気に入らなかっただけだ」
「それでも、怪我させてしまって……ごめんなさい。本当にありがとうございました」
「どうでもいいっつってんだよ」
少し落ち着きを取り戻したのか、いつも通りの笑みで礼を言った天谷に対して佐渡の言葉は冷たいものだった。それどころか、私ですら絶句するような言葉を吐きやがった、この男。
「つーか、お前気持ち悪ぃんだよ。そんな薄っぺらいツラで謝られたり礼言われてもなんとも思わねぇんだよ。親父の顔色伺ってる連中と同じ様な、張り付けたみてーな上辺だけのツラでよ!」
反射的に佐渡の胸倉を掴み、睨み付ける。佐渡も睨み返してきたが、さっきも言った通り怖さなど無い。
「謝れよ、佐渡。礼を言いに来た女の子に、よくそんな事言えるな、お前」
「……んでお前に言われなきゃいけねぇんだよ……!離せよ……!」
「養護担当とはいえ、私は教師だ。人の目の前で暴言吐いておいて、咎められないとでも思ったのか?全員が全員、お前の親父の影に怯えるような大人ばかりだと思うなよ、クソガキ」
「……ッ!」
本音の半分ではあるが、全部ではない。もう半分は、やはり天谷に対してこんな事を言ったからというのもあるだろう。一人の生徒に肩入れするのは教師として良くない事だとはわかっているが、それでも俺にとって『天谷楓』は特別なのだ。
俺が前世で一番好きだったのが、天谷楓だったのだから。
そして、今は彼女が前世と現世の差異に苦しんでいる事を知っている。力になりたいと思っている。だからこそ、佐渡が吐いた天谷への暴言は俺の怒りに火を付けるには充分過ぎた。だが、当の天谷は一瞬だけ呆然としたような表情を浮かべると、佐渡の胸倉を掴んでいる私の腕に押えて静かに微笑んでいた。たった今、佐渡に気持ち悪いと言われたばかりの「張り付けたようなツラ」だった。
「先生、良いんです。私が“至らなかった”から、佐渡くんも腹を立ててしまったんだと思います」
「いやいや、待て。お前のどこが至らなかったっていうんだ。むしろ至ってないのはこっちの金髪のガキの方だろう」
「大丈夫ですから。佐渡くん、ごめんなさい。お大事にしてくださいね」
徹底して、彼女は表情を変えないまま、保健室をさっさと後にしてしまった。佐渡の言葉に何とも思わなかったとは思えないが、それすら封じ込めてしまった。私は佐渡の胸倉から手を離して、大きく溜息を吐く。
「はぁ、やれやれ……佐渡、天谷にはちゃんと謝っておけよ」
「……なんなんだよ、アイツ。薄気味悪ぃ……」
「本来はああいう子じゃない。真面目ではあるけど、もっと表情豊かな子だよ。腹に色々抱えてるのはお前だけじゃないって事だ。……わかったら、今度謝りに行け。わかったな?」
「……ああ」
天谷の鉄面皮具合に気圧されたのか、先ほどよりずっと素直に佐渡は頷くと同時に病院への迎えがやって来て佐渡は早退して行った。今日の出来事が天谷にとってプラスになったのか、マイナスになったのかは分からない。現時点でマイナスになったとしても、後々思い返した時にプラスに捉えられるような出来事であれば、それでいい。溜息を一つ吐いて、柄にもなく私は神様とやらに祈る事にした。
どうか、彼女が幸せになれますように。
私が至らなかった。
私の表情が上っ面だけだったから、彼は怒ったのだ。
上っ面だとわからないくらいにしなければいけなかったのに。




