第六話【優しい人の壊し方】
マックスが置いていった『スマホ』は、すぐにレオンの武器となった。
『Aランクの次期公爵が、自ら最前線に立って魔物を討伐する』
その姿はSNSで大きな注目を集めた。
レオンは危険なダンジョンへ潜り、魔物を倒して得た報酬を、領地のために使った。
壊れかけていた防壁が直され、食料を受け取った子供たちが笑顔を見せる。
そんな写真が広まるたび、レオンを応援する声は増えていった。
【口だけじゃなくて、本当に自分で戦ってるぞ】
【これが次のランダル公爵か。立派な方だ】
【俺たちの村も、レオン様に助けてもらったんだよ!】
領民たちは彼を慕い、王都でも人気が高まっていく。
長く苦しんでいたランダル公爵家に、ようやく光が差したように見えた。
けれど、王がそれを許すはずもなかった。
ある日、レオンのもとへ勅命が届いた。
『高貴なる公爵家の血筋を、みだりに危険へさらすことは許されぬ。今後、レオン・ランダルがダンジョンへ立ち入ることを禁ずる』
表向きは、次期公爵の身を案じた命令だった。
だが本当の狙いは、ランダル家から収入と名声を奪うことにある。
「なぜだ……。私は自分の力で報酬を得て、民を助けているだけではないか!」
レオンは王へ何度も申し立てた。しかし、返事はいつも同じだった。
『王家は、そなたの身を案じている』
拒めば、勅命に逆らった反逆者となる。
レオンは剣を置くしかなかった。
それと同時に、SNSの空気も変わり始めた。
【次期公爵は、安全な王都でふんぞり返っている】
【結局、危険な仕事は平民に押しつけるのか】
【少し人気が出たから、もう働く必要はないってことだろ】
王の息がかかった者たちが、似たような言葉を何度も広めていた。
レオンが勅命によって戦えないという事実には、ほとんど触れられなかった。
同じ嘘が繰り返されるうちに、事情を知らない人々まで、それを真実だと思い始めた。
レオンは反論した。
勅命の内容を示し、自分が領民を見捨てたのではないと訴え続けた。
だが、彼の言葉を信じる声よりも、面白がって責める声の方が、はるかに早く広がっていった。
そんな中、以前から病で伏せていたレオンのお母様が、とうとう起き上がれなくなった。
レオンのお父様は少しずつ快方へ向かっていたが、お母様の容体は悪くなる一方だった。
レオンはお母様の手を握りながら、何度も謝った。
「申し訳ありません、母上。私にもっと力があれば……。もっと早く、家を立て直せていれば……」
「謝ることなど、ありませんよ」
お母様は細くなった指で、レオンの頬に触れた。
「あなたが、どれほど頑張っていたか……母は知っています」
「母上……」
「だから、どうか……自分まで責めないで」
それが、お母様の最後の言葉となった。
葬儀は、身内だけで静かに行われた。
王の不興を買うことを恐れ、多くの貴族が参列を断った。広い礼拝堂に並ぶ席のほとんどが、空いたままだった。
それでもSNSには、葬儀を責める言葉があふれた。
【領民が飢えているのに、豪華な葬儀か】
【悲劇の公爵家を演じて、同情を買うつもりらしい】
【母親の死まで宣伝に使うなんて、最低だな】
事実とは、何もかも違っていた。
けれど、お母様を見送ったばかりのレオンには、それを一つずつ否定する力など残っていなかった。
スマホを握る手が、小さく震える。
「母上は……何も関係ないだろう」
何度画面を消しても、その言葉は頭から消えてくれない。
それからも中傷はやまず、屋敷の外へ出れば、今度は直接、心ない声が飛んでくるようになった。
「結局、貴族は口だけだな!」
王都の人混みの中から投げつけられた声に、レオンが足を止める。
「無礼な! 誰だ!?」
「私たちが苦しんでいるのに見捨てた、薄情な公爵家め!」
「勅命を見たであろう!? 見捨てたわけではない! 私は誰よりも領民のことを──」
「言い訳するな!」
「役立たずの貴族め!」
どれだけ説明しても、誰も聞こうとはしない。
家や領民のために戦っても責められた。
王に剣を奪われても責められた。
お母様を静かに弔ったことさえ、嘘で汚された。
レオンの中で、何かが切れた。
「私は……いったい、誰を助けようとしていたのだ」
幼い頃から、民を守ることが公爵家の務めだと信じてきた。
泥にまみれ、血を流してでも、目の前の人を救おうとしてきた。
けれど、返ってくるのは石のように冷たい言葉ばかり。
「結局……平民とは、分かり合えないのだな」
傷ついたレオンが最後にすがったのは、自分の『身分』と『能力』だった。
「平民の分際で、この私を愚弄するか! 本来なら、私と話すことすらできないのだぞ!」
「私はAランクだ! 私がいなければ、お前たちなど、とっくに魔物の餌食だった! 少しは身の程をわきまえろ!」
その言葉だけが切り取られ、瞬く間に広まった。
優しかったレオンは、人々の悪意に削られ、少しずつ傲慢な人間へと変わっていった。
人々にレオンを壊した自覚はない。ただ、壊れた姿だけを彼の本性と呼んだ。
けれど、人は壊れたから別人になるのではない。壊れた心を守るために、別人のふりを始めるのだ。
そのことが、わたくしには痛いほどわかる。
わたくしも、ひどい言葉を吐くたびに、「本当のわたくしは違う」と、誰にも届かない心の奥へ逃げ込んできたから。
きっと、レオンも同じなのだ。
わたくしたちはもう、仮面なしでは立っていられないほど、傷ついてしまったのだろう。
そして──
皮肉なことに、彼の過激な言動を、新たに面白がる者たちが現れた。
【よく言った! 無能な平民は黙っていろ!】
【さすがAランクだなぁ。弱者に媚びない】
【レオン様こそ、貴族の中の貴族だ!】
フォロワーの数は、以前よりも増えていった。
「ほら……。私は間違ってなどいない」
増えていく数字を見つめ、レオンはそう呟いた。
数字はレオンを肯定した。けれど、彼を救ってはくれなかった。
──
わたくしは毎日、スマホの画面越しに、変わっていくレオンを見つめていた。
「レオン……もう、やめて」
そんなものを見ないで。
その人たちは、本当のあなたを知らない。
何度そう願っても、わたくしの声を届けることはできなかった。
わたくし自身が、彼を傷つけ、突き放した一人なのだから。
彼がどれほど領民を愛していたか、わたくしは知っている。
だからこそ、今の姿を見るのが苦しかった。
けれど──。
王都で孤立し、誰からも嫌われていく今なら、彼を遠くへ逃がせるかもしれない。
その考えが浮かんだ自分を、心から嫌悪した。
レオンが壊れていくことさえ、計画に利用しようとしている。
それでも、彼を死なせるよりはよかった。
わたくしは、この機会を手放すことができなかった。
王の仕打ちは、SNSでの印象操作だけでは終わらない。
ランダル領から出荷される特産品にだけ、異常に重い流通税がかけられた。
さらに、『反逆者の資金源になる恐れがある』という理由で、他国との取り引きまで禁じられた。
どちらも、『国家の安全のため』というもっともらしい理由がつけられている。
反論すれば、それこそ王へ逆らう証拠にされてしまう。
収入を断たれたランダル公爵家の財政は、ついに限界を迎えた。
王都の屋敷では使用人を雇い続けることもできず、長く仕えてきた者たちまで、一人、また一人と去っていった。
広い屋敷に残ったのは、レオンと病み上がりのランダル公爵、そしてわずかな使用人だけ。
そして、すべてを失いかけたレオンが、わたくしの屋敷を訪ねてきた──。




