第二十一話【玉座に朝が差す】
地下牢を出たわたくしたちは、王城の最上階にある玉座の間へ向かった。
レオンに支えられながら、長い階段を上っていく。
途中、何人もの城兵が剣を構えて立ちはだかった。
けれど、アラタのそばに浮かぶボールと、汚れた赤いドレス姿のわたくしを見ると、誰も剣を振り下ろそうとはしなかった。
兵士たちの間にも、処刑場の映像はすでに届いていた。
「俺たちは、陛下に騙されていたのでは……」
「だが、命令だぞ……?」
戸惑いの声が広がり、やがて兵士たちは道を空けた。
兵士たちは王の命令よりも、自分の目で見た真実を信じ始めていた。
そこへ、城門の守りを辺境伯軍へ引き継いだマスターとリゼリアも追いついた。
アラタが先頭に立ち、玉座の間の巨大な扉を押し開けた。
──
「貴様ら……!」
玉座に座っていた王が、血相を変えて立ち上がった。
その周囲には、屈強な近衛兵たちが何重にも並んでいる。
外の軍勢が敗れたと知り、自分を守るために集めた兵士たちなのだろう。
王は震える指で、わたくしたちを指差した。
「近衛兵! この反逆者どもを斬り捨てよ!」
怒号が玉座の間に響き渡る。
けれど、近衛兵たちは誰一人として動かなかった。
剣を抜く者も、槍を構える者もいない。
「な、何をしている! 余の命令が聞こえぬのか!」
近衛兵の列から、ガイゼル近衛隊長が進み出た。
腰に差していた剣を鞘ごと外し、静かに床へ置く。
「王よ。あなたの行いは、すでに全世界に知れ渡っております。私の隊まで騙していたとは……」
「だからどうした! あのような映像、反逆者どもが作った偽物だと触れ回ればよい!」
わたくしはレオンの腕から離れ、王の前へ一歩進み出た。
「映像が偽物とおっしゃるのでしたら、陛下が正しいと証明するものを、すべて民へお示しになればよろしいのです」
王の顔から、わずかに余裕が消えた。
「その上で、どちらが真実なのか、民に選ばせればよいではありませんか。ご自分が正しいのであれば、何も恐れる必要はございませんでしょう?」
王は玉座の肘掛けを強く叩いた。
「民など、目の前に差し出された情報に簡単に踊らされる愚か者に過ぎぬ!」
やがてアラタが、呆れたように息を吐いた。
「結局、民に選ばせるのが怖いんだろ。だから騙して、自分で選んだと思わせてきた」
「何……?」
「王様というから、どんな人かと思ってたけど」
アラタは王に鋭い視線を向けた。
「初めて会った王様が、ただの嘘つきとは──がっかりだ」
王の顔が怒りで赤く染まる。
「測定不能の平民風情が、余を侮辱するか!」
アラタは王を真っ直ぐに見つめた。
「身分で真偽は変わらない。平民だろうが王様だろうが、間違ってるのはあんただ」
王は何かを言い返そうと口を開いた。
だが、声は出なかった。
アラタの言葉ではなく、周囲にいる近衛兵たちの目に気づいたのだ。
そこにはもう、王に対する忠誠も畏れも残っていなかった。
「ガイゼル……!」
追い詰められた王が、怒鳴るように名を呼ぶ。
「余はお前を近衛隊長に取り立ててやった! 誰のおかげで今の地位にあると思っている!」
ガイゼルは何も答えず、玉座の間の脇にある扉へ目を向けた。
その合図を受け、二人の近衛兵が一人の男を支えながら入ってくる。
白髪交じりの髪。
落ちくぼんだ頬。
粗末な囚人服をまとい、痩せ細っていた。
けれど、その瞳に宿る誇りだけは失われていない。
レオンの呼吸が止まった。
「……父上?」
かすれた声が、静まり返った玉座の間へ落ちた。
男はゆっくりと顔を上げた。
「レオン……。無事だったか」
「父上!」
レオンは、わたくしから離れて駆け出した。
次期公爵としての体面も、貴族としての振る舞いも、その瞬間だけはすべて忘れていた。
ランダル公爵の前で膝をつき、痩せ細った手を両手で強く握りしめる。
「生きていた……。父上が、生きて……!」
「ああ。心配をかけたな」
「処刑されたと聞かされ、私は……!」
レオンは言葉を詰まらせ、父親の手に額を押し当てた。
その肩が、小さく震えている。
王が立ち尽くし、信じられないものを見るようにガイゼルをにらんだ。
「ガイゼル! なぜランダルが生きておる!?」
「無実のランダル公爵様を処刑するなど、忠義ではない!」
「ぐっ! この……!」
ガイゼルはレオンに向き直る。
「ランダル公爵様を処刑せよとの命令を受けた時、私は従うことができませんでした」
ガイゼルは拳を握りしめ、深く頭を下げる。
「城の外へ逃がせば、すぐに見つかる。やむを得ず、王にも存在を知られていない地下の旧牢へお隠ししておりました」
レオンが顔を上げる。
「ガイゼル近衛隊長……」
「……はっ! なんなりと処分をお申し付けください」
「……本当にありがとう」
レオンの瞳がわずかに潤んだ。
「──っ! 過分なお言葉、光栄であります」
王は一連のやり取りに歯噛みし、なりふり構わず叫んだ。
「余を裏切ったのか!」
ガイゼルの脳裏に、王城の正門でマスターから告げられた言葉が蘇った。
『迷っているなら、自分の心に従え』
迷いは、もうなかった。
「裏切ったのは、陛下です。我が隊を欺き、罪なき者の処刑に利用した。もはや、私が忠誠を誓った王はいない!」
ガイゼルは背筋を伸ばし、王を真っ直ぐに見据えた。
「自分の心に従ったまで──!」
ガイゼルがそう言ってマスターに目配せした。
マスターは目を合わせた後、伏し目がちに薄く笑った。
「おのれ……! 誰か、この裏切り者を斬れ!」
王が叫んでも、近衛兵たちは動かない。
それどころか、ガイゼルの背後に並び、王に厳しい視線を向けた。
「近衛隊長として、最後の忠告を申し上げます」
ガイゼルは静かに告げた。
「王よ。国法の裁きをお受けください」
「余を裁くだと……?」
王の顔から血の気が引いていく。
「余は王だぞ! 王こそが法だ! 余を裁ける者など、この国にはおらぬ!」
「法の上に立つ者がいるのなら、それは法ではありません。ただの暴力です」
「黙れえええっ!」
王は玉座の脇に置かれていた剣へ手を伸ばした。
しかし、剣を抜くより早く、二人の近衛兵が王の両腕をつかむ。
「離せ! 余に触れるな!」
王は必死にもがいたが、屈強な近衛兵の腕から逃れることはできなかった。
そのまま玉座から引きずり下ろされる。
「余を誰だと思っている! この国の支配者だぞおおおおっ!」
惨めな叫び声が、廊下の奥へ遠ざかっていく。
つい先ほどまで、わたくしを閉じ込めていた地下牢。
今度は王自身が、裁きの日をそこで待つことになった。
重い扉が閉まり、玉座の間に静けさが戻る。
「お嬢様!」
聞き慣れた声に振り返った。
開いた扉から、兵士の肩を借りた爺が入ってくる。
「爺!」
わたくしは駆け寄り、その傷だらけの手を握った。
「無事だったのですね……!」
「はい。お嬢様も、ご無事で何よりにございます」
爺は目元を拭い、深く頭を下げた。
「ずっとお一人で抱えてこられた覚悟が、ようやく報われましたな」
「あなたにも、ひどい苦労をかけました……」
「滅相もございません。私は最後まで、お嬢様の味方でいられれば、それだけで十分にございます」
わたくしは、もう一つの不安を口にした。
「お父様は……?」
「王命によって侯爵邸に軟禁されておりますが、ご無事でございます」
「よかった……」
胸を締めつけていた最後の不安が、ゆっくりと消えていった。
ランダル公爵はレオンに支えられながら、玉座の前へ進み出た。
弱り切った体で、近衛兵や臣下たちを見回す。
その声はかすれていた。
けれど、誰もが耳を傾けずにはいられない威厳があった。
「ランダル公爵家は建国以来、王家と共に禁書庫を管理し、王家に次ぐ王位継承権を持つ一族である」
広間が静まり返る。
「王が民を欺き、国を私物化した今──この国を一時的に支える責務は、我が家にある」
ランダル公爵は、誰も座っていない玉座へ目を向けた。
「だが、今の私に国を支える力は残っていない。ここにいるのは、病に倒れ、王の悪意を止められず、囚われることしかできなかった無力な男……」
公爵は一度息を整え、レオンの肩に手を置いた。
「父上……」
「だから、レオン。お前が立て」
レオンが息を呑んだ。
「我がランダル公爵家の当主代理として、そして正統な継承権を持つ者として、この混乱した国を支えるのだ」
「私が……この国を?」
「ああ」
ランダル公爵の手に、力がこもった。
「民の前に立つ者は、迷ってもよい。間違えてもよい。だが、逃げてはならん」
レオンは唇を強く結んだ。
「……私に、できるでしょうか」
わたくしは、レオンの腕にそっと手を添えた。
「レオンなら、きっとできます」
レオンがわたくしを見る。それから、アラタへ目を向けた。
「私は……まだ未熟だ」
「知ってる」
「おい」
思わず返したレオンに、アラタはいつものように笑った。
「でも、一人じゃない」
その言葉に、レオンは玉座の間にいる者たちを見回した。
もう、何もかも一人で背負う必要はない。
「……まったく。お前に言われると、逃げ道がなくなるな」
レオンは小さく笑うと、ランダル公爵に向き直った。
そして、深く頭を下げる。
「父上。ランダル公爵家の当主代理として、この国を一時的に預かります」
顔を上げた瞳には、強い決意が宿っていた。
「必ず、民を守ってみせます」
「ああ。行ってこい」
ランダル公爵は、穏やかにうなずいた。
レオンは背筋を伸ばし、玉座の間の先にあるバルコニーへ向かう。
扉の向こうから、大勢の民衆の声が聞こえていた。
歩き出したレオンが、わたくしを振り返る。
「エルザ。一緒に来てくれるか」
差し出された手を見つめ、わたくしは微笑んだ。
「──はい」
混乱する民衆の前へ。
新しい時代へ向かうために。




