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第二十ニ話【無理して演じた悪役令嬢】

 眼下には、事の成り行きを見守っていた大勢の民衆が、王城前の広場を埋め尽くしていた。


 レオンはバルコニーに設けられた演壇から、民衆を見渡した。


 その姿は、ボールを通じて世界中へ中継されていた。


 レオンは一度だけ深く息を吸い、力強く宣言した。


「これより、ランダル公爵家の名において、私がこの国を一時的に預かる」


 ざわめいていた広場が、静寂に包まれた。


 誰もが、新たに国を率いる者の言葉を待っている。


「だが、その前に謝らなければならないことがある」


 レオンは民衆を前に、ゆっくりと頭を下げた。


「あの王に追い詰められたとはいえ、私は自分を見失い、守るべき民を……多くの者を言葉で傷つけたことを、心から謝罪する」


 広場に動揺が広がる。


 公爵家の次期当主が、大勢の民衆へ頭を下げている。


 少し前のレオンからは、考えられない姿だった。


「私は未熟だ。一人で完璧な人間など、いないだろう。だが、共に完璧で在ろうと努力することはできる」


 レオンは頭を上げ、真っ直ぐに前を見た。


「私は決して民を見捨てず、誰もが安心して暮らせる国をつくるために力を尽くす」


 その声には、迷いがなかった。


「私はきっと、これからも間違える。その時は、どうか皆の声で私を正してほしい」


 広場の人々が、静かに耳を傾けていた。


「今日、腐敗した王の支配は終わった!」


 レオンは声に力を込めた。


「これから正しくしていくのだ。私と──皆で!」


 しばらく、誰も声を発しなかった。


 やがて、広場の片隅から一つの拍手が聞こえた。


 それに重なるように、二つ、三つと音が増えていく。


 拍手は瞬く間に広場全体へ広がり、地鳴りのような歓声へ変わった。


 スマホを構えていた者たちも画面を見ることを忘れ、新たな時代を告げるレオンの姿を見上げている。


 その歓声はボールを通じて、世界中へ届けられていた。


 感動的な空気の中、アラタが呆れたように口を開く。


「なあ、レオン。立派な宣言だったけど、そろそろエルザを下ろしてやったら?」


「む?」


 レオンは不思議そうにアラタを見る。


 そう。


 レオンは玉座の間を出る時、地下牢で弱り切っていたわたくしを抱き上げ、そのまま『お姫様抱っこ』をして演説していたのだ。


「なぜ下ろさなければならない?」


「なぜって……。世界中の人が見てるぞ」


「わ、わたくしは、このままで結構です!」


 顔に熱が集まるのを感じながら、レオンの首へ回した腕に力を込めた。


「下々の者に指図される筋合いはございません!」


「ええ……。やっぱり演技じゃなくて、ただの嫌なやつなんじゃ……」


「なんだと? エルザは誰よりも聡明で可憐な女性だ」


「あっ、権力を持たせちゃ駄目な二人だ」


 アラタのぼやきまで、ボールは世界中に届けていた。


 張り詰めていた広場の空気が緩み、歓声の中に笑い声が混じり始める。


 レオンは気にすることなく、当然のようにわたくしを抱いたまま民衆へ手を振った。


 わたくしも彼の腕の中から、勝ち誇った顔でアラタを見返す。


 新しい時代は、どうやら最初から少し騒がしい。


 ──


 王城へ戻ると、軟禁を解かれたお父様が待っていた。


「エルザ……!」


 いつも人前では威厳を崩さないお父様が、わたくしの姿を見るなり駆け寄ってきた。


 そして周囲の目も気にせず、力強く抱きしめる。


「よかった……。本当に……!」


「お父様……」


 幼い頃から、貴族の子供が親に抱きついて甘えることは許されないと教えられてきた。


 けれど、わたくしもお父様の背中へ腕を回した。


「恐ろしい思いをさせてしまい、申し訳ございませんでした。あの手紙に書いたことは、すべて嘘です」


「ああ、聞いたよ。お前は私を守るために、あのような手紙を……」


 お父様の声が震えている。


「謝るのは私の方だ。お前の父親でありながら、何一つ守ってやれなかった」


「そんなことはありません。お父様が無事だったからこそ、わたくしは最後までやり遂げられたのです」


「エルザ……。もう二度と、自分の命を粗末にするようなことはしないでくれ」


「……はい」


 今度は嘘ではなく、心からうなずいた。


 一人で決めない。


 一人で背負わない。


 レオンと交わしたばかりの約束を、もう破るつもりはなかった。


 ──


 その日の夜。


 王城の大広間では、急ごしらえながらも、賑《にぎ》やかな祝いの宴《うたげ》が開かれていた。


 衰弱しているランダル公爵は、治療師の勧めで別室にて休んでいる。


 お父様も長い緊張から解放され、今夜は早めに休むことになった。


 広間には、今回の戦いを共にした仲間たちが集まっている。


 辺境伯も王都の外にいる兵士たちを休ませてから駆けつけてくれた。


 そしてマックスは、誰よりも派手な衣装をまとい、当然のように上座の近くに座っていた。


 ワイングラスを片手に、レオンがわざとらしく咳払いをする。


「アラタ。先ほどのは冗談だと言っただろう」


「目が本気だったぞ」


「わ、わたくしも、まだ悪女の演技が抜けきっていなかっただけです」


「演技ねえ……」


 向かいの席で、ルーティが角砂糖をかじりながら冷たい目を向けている。


「それより、いつまでくっついているの?」


「急に離れたら、わたくしが倒れてしまうかもしれないでしょう!」


 わたくしはソファの上で、レオンの腕へぴたりと寄り添った。


「エルザは地下牢で弱っているのだ」


 レオンがわたくしをかばうと、アラタは首をかしげた。


「元気そうだけどな」


「何かおっしゃいまして?」


「いや、何も」


 レオンがグラスを持ち、わたくしに微笑んだ。


「エルザ、乾杯を頼む」


「……わ、わたくしが? 何に乾杯いたしましょう? ……勝利に?」


「君が素直に思ったことでいい」


 少し考えた後、わたくしは笑いながらグラスを掲げた。


「全員の無事に──」


 それを合図に、皆もグラスを高く掲げた。


『乾杯!』


 全員の声が一つに重なった。


 張り詰めていたものから解放され、皆の顔には安堵《あんど》の笑みが浮かんでいた。


 しばらくして、わたくしは気になっていたことを口にした。


「それにしても、よく国王軍から逃げ延びることができましたね」


 ワイングラスを置いたレオンが、不思議そうに首を傾げる。


「そうか。エルザは地下牢にいたから、外の状況を知らないのだな」


「何かあったのですか?」


「逃げたのではない。我々は、国王軍に勝ったのだ」


「えっ!?」


 思わず、淑女らしからぬ大きな声が出た。


「か、勝った……? 数万の国王軍に?」


「ああ。辺境伯軍には、ほとんど被害が出なかった」


「どうやって……。国王軍には、Sランクの英雄もいたはずです」


 レオンはアラタへ目を向けた。


「そのSランクを二人とも、アラタが一人で倒した。武闘会で私と戦った時と同じ……いや、まるで庭を散歩するようにな」


「散歩……。そんな、バケモノみたいな……」


 わたくしが目を丸くすると、アラタは困ったように頭をかいた。


「バケモノって……。レオン、まだエルザの口が悪いぞ。みんながいたから勝てたんだ。一人で勝てるわけないだろ」


 マスターが穏やかに笑う。


「謙遜《けんそん》するな。あれほど絶望的な戦況を、わずかな被害だけで覆した。見事な采配《さいはい》だった」


「本当よ。私なんて、最後は城門の前で立ってただけ」


 リゼリアも笑いながら続ける。


 辺境伯は深くうなずき、アラタへ尊敬の眼差《まなざ》しを向けた。


「我が軍の兵たちは、今やアラタ殿を戦神《いくさがみ》のように崇《あが》めております」


 ゼノンが眼鏡を押し上げ、得意げに胸を張った。


「ふふふ……。すべては私の完璧な計算どおりだ。世界がアラタにひれ伏す日も近い」


「ゼノンは拡散しすぎ」


 ルーティの冷たい指摘に、皆が声を上げて笑った。


 わたくしは隣にいるレオンと、楽しそうに笑うアラタを交互に見た。


 無理をして嫌な令嬢を演じ、愛する人を逃がして──


 最後には、わたくし一人が処刑されるはずだった。


 それなのにレオンは、とんでもない人を連れて助けに来てくれた。


「アラタ。あなたがいなければ、わたくしたちは誰も助からなかったでしょう。本当にありがとうございます」


 わたくしが頭を下げると、アラタは困ったように首を振った。


「だから、俺だけじゃないって。みんながいたから間に合ったんだ」


「まったく、そのとおりです!」


 マックスが勢いよく立ち上がり、バサリとマントを翻した。


「アラタ選手がひっくり返したのは、最後の一日! そこへ至る数ヶ月をつないだのは、エルザお嬢様ではありませんか!」


「わたくしが……?」


「どれほど強い英雄でも、間に合わなければ誰も救えません。アラタ選手が間に合う未来を残したのは、あなたですよ」


 広間にいる全員の視線が、わたくしに向けられた。


 レオンが、わたくしの手を優しく握る。


「マックスの言うとおりだ。君が王を欺き、私を生かしてくれた。エルザがいなければ、今日という日は訪れなかった」


「レオン……」


 自分のしたことが正しかったのか、ずっとわからなかった。


 多くの人を傷つけ、自分の命まで捨てようとした。


 完璧な方法ではなかった。


 それでも、無駄ではなかったのだ。


「マックス。あなたにも、心から感謝しています。あのボールがなければ、王は最後まで真実を隠し通していたでしょう」


「いえいえ。情報というのは厄介でして。一人が握れば権力になりますが、全員が持てば判断材料になる……。ワタクシは、それを世界中へ配っただけですよ」


 マックスはワイングラスを掲げ、得意げに笑った。


「それに、嘘は安く作れますが、維持費が高い。事実が一つ増えるたび、次の嘘を買い足さなければなりませんからねぇ。あの王は、少々商売が下手だったようです」


「あなたが言うと、すべてが商売の話に聞こえますわね……」


「実に、スマートでしょう?」


 いつもの調子へ戻ったマックスに、再び笑い声が上がった。


 激しい戦いを終えた後の、温かく穏やかな時間。


 わたくしは、隣で笑うレオンへそっと寄り添った。


 あの冷たい地下牢で、何度この光景を夢見ただろう。


 一人で守ろうとした未来よりも、皆でつかみ取った未来の方が、ずっと温かかった。


 ──


 宴も終わりに近づき、王都が静かな夜に包まれた頃。


 星空の広がるバルコニーに、レオンの姿があった。


 わたくしが静かに近づくと、彼はすぐに振り返った。


「まだ起きていて平気か? 地下牢にいたのだ。疲れているだろう」


「少しだけ、お話ししたくて」


 わたくしはレオンの隣へ立ち、夜空を見上げた。


「地下牢では、あそこが人生の終わりなのだと思っていました。それでも、思い出すのはレオンの顔ばかり」


「エルザ……」


「幼い頃のあなたも、泥だらけになって笑うあなたも。最後に、わたくしへ冷たい目を向けたあなたさえ、忘れたくないと思ったのです」


 レオンは苦しそうに目を伏せた。


「すまなかった。君の優しさに気づけず、ひどい言葉を投げかけた」


「いいえ。わたくしこそ、あなたを傷つけました。本当にごめんなさい」


「これで、互いに謝るのは終わりだ」


 レオンは顔を上げ、穏やかに微笑んだ。


「これからは、君の隣に私がいる。一人で決めるな。私にも君を守らせてくれ」


「はい。もう、無理して演じた悪役令嬢はおしまいです」


「それは困るな」


「えっ?」


「あの嫌な令嬢の知略には、これからも国を正すために働いてもらわなければならない」


「だから、あれは演技です!」


「だが……王を欺き、数ヶ月の時間をつくった君の聡明さを、私は誇りに思っている」


「嫌な令嬢になると、また婚約破棄を突きつけるかもしれませんよ?」


「その時は、何度でも君を迎えに行こう」


 あまりにも当然のように言うので、わたくしは思わず吹き出した。


 レオンも、楽しそうに笑った。


 笑い声が夜空へ溶けていく。


 やがて彼は笑みを収め、わたくしへ向き直った。


「だが私たちの婚約は、君に破棄されたままだ」


「……そうでした」


「今度は、私自身の意志で申し込ませてほしい」


 レオンは自分の右手を見つめ、白い手袋を外した。


 その手が、今度はわたくしの手袋へ伸びてくる。


「あっ……て、手袋を」


「いらぬ」


 わたくしの白い手袋をそっと抜き取り、むき出しになった手を包み込む。


 あの頃は手袋越しだった温もりが、今は何にも隔てられることなく、直接伝わってきた。


「エルザ。改めて、私の婚約者になってくれ」


 ずっと望んでいた言葉だった。


 家名のためでも、領民を守るためでもない。


 レオンが自ら望み、わたくしを選んでくれた。


「──はい。今度こそ、何の嘘もなく」


 レオンは安堵したように微笑み、つないだ手へ力を込めた。


「覚えているか?」


「何をです?」


「いつか大人になって、本当の夜会へ出る時も、君をエスコートする──と」


「……はい」


 忘れるはずがない。


 わたくしたちが、まだ柔らかな日々が永遠に続くと信じていた頃。


 記憶の奥の、一番温かい約束。


「けれどその約束は……わたくしが壊してしまいました」


「壊れてなどいない。随分と遠回りをしただけだ」


 レオンはわたくしの手を引き、向かい合った。


 遠く離れた大広間から、宴の余韻を残す音楽が聞こえてくる。


「今度こそ、君を最後までエスコートさせてくれ」


 目の奥が熱くなった。


 けれど今度の涙は、悲しみを押し殺して流すものではない。


「──はい。喜んで」


 レオンの手に導かれ、二人でゆっくりとステップを踏む。


 一歩、二歩。


 あの日のように、足がぶつかりそうになる。


「レオン。少し速すぎますわ」


「エルザが遅いのだ」


「まあ!」


 昔と変わらない言葉に、二人で声を上げて笑った。


 たとえ、また足を踏み外しても。


 今度は、どちらか一人が支えるのではない。


 二人で支え合い、同じ歩幅で進んでいけばいい。


 泥にまみれ、傷つけ合い、すれ違い続けた、わたくしとレオンの物語。


 世界で一番愚かな悪役令嬢になろうとしたわたくしは今、愛する人の腕の中で、誰よりも幸せに笑っている。


 そして、つないだ手を二度と離すことなく──


 わたくしたちは新しい物語を歩み始める。


 ──完──

 ここまで本作をお読みいただき、本当にありがとうございます。


 この物語のテーマは、「泥」でした。そこにどのような意味を見いだすかは、皆様に委ねたいと思います。


 当初のプロットでは、政治劇や推理の要素をさらに強くし、物語が何度も二転三転する展開を考えていました。


 書き進めるほどにエルザとレオンへの思いが強くなり、これ以上二人には辛い思いをしてほしくない、最後には心から笑い合える場所へたどり着いてほしいと思うようになり……。


 その結果、生まれたのがこの結末です。


 作中でお気づきの方もいらっしゃると思いますが、本作はアラタを主人公とする物語から生まれたスピンオフです。


 エルザの視点から物語を掘り下げていくうちに、感情移入し、思い入れも強くなり、この作品だけでも一つの物語として楽しんでいただけるように仕上げました。


 本編もすでに完結しており、後日公開する予定です。


 エルザとレオン、そしてアラタたちの物語は、これからも続いていきます。そちらもお読みいただけましたら幸いです。


 また別の作品で皆様と巡り会い、ご感想や評価を通して触れ合える日を、スマートにお待ちしております。


 最後までお付き合いいただき、本当にありがとうございました。

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