第二十話【愛する婚約者を逃がして処刑されるはずが、彼はとんでもないバケモノを連れて戻ってきました】
アラタの言葉に、レオンは涙を拭い、顔を上げた。
「爺。エルザはどこにいる?」
「城の地下牢です。お嬢様は、まだあそこに……」
爺が震える指で、王城の奥を示した。
アラタは城を見上げ、脳内でツリーへ問いかける。
(ツリー。地下牢まで、間に合うか?)
《救出可能。最適経路を表示します》
アラタは赤い線を辿った。
(これは……王は自分の身が一番大事ってことか)
「地下牢までの道は手薄だ。おそらく王は、近衛兵を自分の周りに集めている。今なら行ける」
「そうか……。ならば、私一人で行く」
レオンは立ち上がり、剣を握り直した。
「これ以上、ランダル家の問題にアラタを巻き込むわけにはいかない。エルザには、私から謝らなければならないのだ」
一人で王城へ向かおうとするレオン。
しかし、ボールからルーティの呆れた声が響いた。
『手薄といっても、兵士が一人もいないわけじゃないのよ? ここまで来て、一人で行くつもり?』
「だが、これは私とエルザの──」
「頼る言葉を飲み込むな!」
アラタが声を荒らげた。
レオンが驚き、足を止める。
「一人で強くあろうとするんじゃない」
「アラタ……」
アラタの真っ直ぐな言葉に、レオンは拳を握りしめた。
他人に弱さを見せず、何もかも一人で背負おうとしてきた。
その結果、大切な人が自分の知らないところで命を差し出そうとしている。
同じ過ちを繰り返すわけにはいかなかった。
レオンはアラタへ向き直り、深く頭を下げた。
「……アラタ、頼む。私と共に、エルザを助けてくれ」
「今さらだ。俺も困った時には、レオンを頼る。ヤシマではそう育ったからな」
「私も……ヤシマで育ったなら、少しはアラタのように真っ直ぐになれたものを」
「なんっ……にもないとこだけどな」
アラタは、いつものように笑った。
二人は王城の奥へ向かって駆け出した。
広場に残った爺を、集まっていた民衆が支える。
先ほどまで王の命令に従い、処刑を見守るだけだった人々も、今は城兵から爺を守るように立ちはだかっていた。
「必ず……お嬢様をお救いください」
爺の祈るような声が、二人の背中を追いかけた。
──
城の中に入ると、ツリーの推測どおり、廊下を守る兵士は少なかった。
それでも、地下牢へ続く道には城兵たちが立ちはだかった。
「反逆者だ! 捕らえろ!」
兵士たちが一斉に剣を抜く。
アラタは攻撃を躱し、ナイフの柄で一人ずつ無力化していく。
「道を空けろ!」
レオンも剣を振るい、兵士たちの武器だけを弾き飛ばした。
廊下を塞ぐ扉には、威力を抑えた炎を放って鍵を破壊する。
一人ではない。
アラタが前を切り開き、レオンがその背中を守る。
二人は立ち止まることなく、地下牢へ続く階段を駆け下りていった。
──
石造りの地下牢。
──冷たい。
派手だった赤いドレスは汚れ、手足はすっかり冷え切っていた。
いよいよ明日、わたくしはギロチンにかけられる。
爺が連れ出されてから、どれほどの時間が過ぎただろう。
あの人が無事なのか、それさえわからない。
わたくしは膝を抱え、冷たい石壁に背を預けていた。
何もすることがない牢の中で、不思議なほど時間は早く過ぎていく。
目を閉じれば、レオンとの思い出が次々と蘇るからだ。
音楽のない部屋で踊った、ぎこちないダンス。
泥水へ飛び込み、お母様のブローチを拾ってくれた日のこと。
わたくしを見つめる、太陽のような笑顔。
最後に向けられた、冷たい目。
レオンは辺境へ逃げてくれただろうか。
わたくしを憎んだままでもいい。
どうか、生きていて。
その時だった。
地下牢の奥へ続く階段から、慌ただしい足音が聞こえてきた。
まさか、処刑が早まったの……?
何人もの兵士が倒れる音。
剣がぶつかり合い、何かが砕ける。
わたくしは冷え切った体を起こし、鉄格子へ近づいた。
やがて、二人の男が地下牢へ駆け込んでくる。
一人は黒髪の青年。
武闘会でレオンを打ち破った、アラタという男。
そして、その隣にいたのは──。
「──レオン!」
およそ貴族らしくない、煤に汚れた顔。
ぬかるんだ戦場を走ってきたのか、足元は泥だらけだった。
いつも誰かのために、泥を──。
どうして……?
なぜ、ここにいるの?
レオンは牢の中にいるわたくしを見つけると、大きく息を吐いた。
「エルザ……」
その声には、深い安堵が滲んでいた。
レオンは迷うことなく剣を振り下ろし、牢の鍵を破壊する。
重い音を立て、鉄格子の扉が開いた。
駄目。
ここへ来てはいけない。
せっかく王の目を逸らし、辺境へ逃がしたのに。
王城には大勢の近衛兵がいる。
たった二人で敵うはずがない。
わたくしの覚悟が、すべて無駄になってしまう。
「な、なぜ戻ってきたの!」
咄嗟に立ち上がり、冷たい令嬢の仮面を被った。
「武闘会であれほど惨めな姿を晒したくせに、まだわたくしへ未練があるの? 目障りですわ。さっさと消えなさい!」
帰って。
お願いだから、逃げて。
今すぐ、その胸へ飛び込みたい。
でも──失いたくない。
自分が今、どんな顔をしているのかわからなかった。
声は震え、冷たい笑みさえ作れていない。
レオンは何も言い返さなかった。
ただ真っ直ぐに牢へ入り、わたくしの前まで歩いてくる。
「聞こえなかったの? わたくしは、あなたなど──」
言葉が終わるより早く、力強い腕に抱きしめられた。
「なっ……何を……!」
レオンの胸を叩き、離れようとする。
けれど、どれほど力を込めても、その腕は緩まなかった。
冷え切った体へ、彼の温もりが伝わってくる。
「どこまでも……不愉快なやつだ」
耳元で、レオンの震える声がした。
「もうよい。爺から聞いたのだ……」
全身から力が抜けた。
「爺が……? 爺は無事なのですか?」
「ああ。アラタが助けてくれた」
よかった。
生きていてくれた。
安堵した直後、別の不安が胸を締めつけた。
「でも、爺は何も知らないはずです。わたくしは、何も話して──」
レオンの腕に、さらに力がこもった。
「君が誰を守るために泣いていたのかだけは、ずっとわかっていたと言っていた」
「爺……」
「婚約を破棄した時、君が扇子で何を伝えていたのかも聞いた」
「──っ!」
気づかれてしまった。
わたくしが隠し続けた本当の気持ち。
誰にも知られず、胸の奥へ葬るはずだった想い。
「もう、嘘をつかなくていい」
レオンの優しい声が、最後まで残っていた仮面を壊した。
「っ……あ……」
目から、大粒の涙がこぼれ落ちる。
お母様を亡くしたあの日、初めてわたくしに声を上げて泣くことを許してくれたのは、レオンだった。
そのレオンを守るため、二度と人前では泣かないと誓った。
けれど、その誓いを破らせ、再びわたくしを泣かせたのも、やはりレオンだった。
「ごめんなさい……! ごめんなさい、レオン……!」
わたくしは声を上げて泣きながら、レオンの背中へ腕を回した。
「傷つけて、ごめんなさい……! あなたに憎まれるより、あなたを失うことの方が恐くて……。わたくしには、これしか……!」
「わかっている。私も君を……君を失ってしまうかと……」
レオンはゆっくりと腕を緩め、涙に濡れたわたくしの顔を見つめた。
「君は私を守った」
真っ直ぐな声だった。
「だが、私に君を守る選択肢を与えなかった」
胸を突かれ、何も言えなくなる。
「それは……」
「君を責めているのではない。私も同じだ。家族や領民を守ると言いながら、一人ですべてを背負おうとしていた。だからエルザはこのような選択を……」
レオンは苦しげに目を伏せた。
「そうさせてしまった自分に腹が立つよ。私たちは、よく似ている。だからこそ、同じ過ちを繰り返すのは、もう終わりにしよう」
彼の指が、わたくしの涙をそっと拭った。
「これからは、一人で決めるな。私にも君を守らせてくれ」
「レオン……」
レオンは、胸元にある青いブローチへそっと触れた。
「このブローチを拾った日も、こうして私の胸で泣いていたな」
そして、わたくしを真っ直ぐに見つめた。
「初めて抱きしめたあの日から、変わらず君を愛している」
その言葉を、どれほど夢に見ただろう。
わたくしは再びレオンの胸へ顔を埋め、子供のように泣き続けた。
彼の大きな手が、背中を優しく撫でてくれる。初めて声を上げて泣いた、あの時のように。
泥にまみれ、傷だらけになりながら、それでもわたくしを助けに来てくれた。
あの日と何も変わらない、誰よりも優しいレオンだった。
どれほど、そうしていただろう。
ふと、アラタのそばに浮かんでいたボールから、女性の声が聞こえた。
『アラタ……今の映像も、すべて世界中へ流れているわ』
「えっ……?」
わたくしはレオンの胸から顔を上げた。
アラタも今初めて思い出したように、浮かんでいるボールを見る。
「そういえば、ずっと映してたな」
「ず、ずっと……?」
泣き腫らした顔も、レオンへすがりついた姿も、愛していると言われたことも。
すべて世界中に……?
顔が一気に熱くなった。
『ご、ごめんなさい! でも──』
ルーティの声が、静かに続いた。
『二人の会話も、想いも、すべて世界中へ届いたわ。悪女を演じていたこともね』
マックスが作ったあのボールが、王の陰謀も、わたくしたちの真実も、すべて民衆へ伝えてくれたのだ。
『もう、王は真実を隠せない』
わたくしは呆然と、青白く光るボールを見つめた。
最初から、誰かに信じてもらおうなどとは思っていなかった。
悪女として処刑され、すべてを墓の中へ持っていくつもりだった。
それなのに今、世界中の人々が、わたくしの本当の想いを知ってくれている。
レオンはわたくしを抱き寄せたまま、牢の外へ目を向けた。
その表情から、迷いは消えていた。
「王のもとへ行こう」
レオンは剣を握り、力強く言い切った。
「君が守った未来に、今度は私が応える番だ。私も覚悟を決めねばな……」
その横顔は、わたくしがずっと愛し、守りたかった、気高く立派な公爵家の次期当主の顔だった。




