第十九話【扇子が告げた最後の想い】
「マスター、リゼリア! 敗走した国王軍が王都へ戻らないよう、城門を頼む! 落ち着いたら城で合流しよう!」
アラタの叫びに、二人が力強くうなずいた。
「承知した」
「任せて。ここは一歩も通さない」
頼もしい返事を背に、アラタとレオンは城壁へ向かって駆け出した。
王都を囲む巨大な城壁。
正面の城門は固く閉ざされ、その上には大勢の城兵が待ち構えている。
普通に突破していては、処刑に間に合わない。
だが、アラタの目には、ツリーが示した一本の赤い線が見えていた。
その線は城壁の外側に設けられた、補修用の昇降台へ伸びている。
荷物を城壁の上へ運ぶための木製の台。
太い綱の先には、巨大な重りがつながれていた。
「レオン、あれを使う」
「使うといっても、ただの昇降台だぞ。城壁の上まで上がるには時間がかかる」
「重りを一気に落とす」
「……正気か?」
「時間がない」
二人が昇降台へ飛び乗る。
アラタはナイフを抜くと、重りを固定している留め具へ刃を振り下ろした。
金属が断ち切られ、巨大な重りが落下する。
「つかまれ!」
次の瞬間、二人を乗せた昇降台が、凄まじい勢いで跳ね上がった。
「うおおおっ!?」
レオンの叫びが遠ざかっていく。
風が激しく顔へ叩きつけられ、城壁が瞬く間に眼下へ沈んだ。
あまりの勢いに、昇降台が城壁の高さを越える。
「上がりすぎだろう!」
「このまま広場へ飛ぶ!」
城壁の縁が迫った瞬間、アラタは昇降台を強く蹴った。
二人の体が宙へ投げ出され、城壁を越える。
遥か下には、処刑台の置かれた広場が見えた。
「レオン! 武闘会で使った炎のスキルを頼む!」
レオンは落下しながら眼下を確認し、冷静に言い返した。
「着地なら、もっと適したスキルがある!」
「俺が合図する! 地面へ向けて、減速するだけの威力で頼む!」
「指示を外す気はない!」
アラタは落下の速さと風の向きを見極める。
処刑台との距離が、急速に縮まっていく。
赤い線が一点へ収束した。
「──今だ!」
『爆炎衝!』
レオンが、誰もいない石畳へ向けて魔力を放った。
轟音と共に爆炎が弾け、その反動が二人の落下速度を一気に削る。
アラタとレオンは石畳を滑りながら着地した。
巻き起こった熱風が、広場に集められた民衆の髪を揺らす。
「何だ!?」
「空から人が……!」
広場の兵士たちが一斉に振り返った。
処刑台の上では、両手を縛られた爺がひざまずかされている。
布告役の兵士は騒ぎに構わず、手にした羊皮紙を広げた。
「これより、クラリネス侯爵家執事長、エドモンド・ロウェルを処刑する!」
処刑人が、大斧を高く振り上げた。
「やめろ!」
レオンの声が広場へ響く。
爺が顔を上げ、泥と血で汚れたレオンの姿を見つけた。
その顔に浮かんだのは、安堵ではなかった。
「なぜ来たのですか!?」
腹の底から絞り出すような、激しい怒りだった。
だが、処刑人はすでに大斧を振り下ろしている。
(ツリー。爺を助ける)
《了解。最適解ルートを表示します》
アラタの世界が白く染まり、あらゆる音が消えた。
爺へ迫る大斧。
処刑台を取り囲む兵士たち。
そのすべての動きを縫うように、一本の赤い線が浮かび上がる。
(これなら──)
アラタが選んだ瞬間、世界に色と音が戻った。
石畳を蹴り、処刑台へ向かって一直線に駆ける。
処刑人の大斧が爺の首へ届く寸前、アラタはその間へ滑り込んだ。
振り下ろされた刃を紙一重で躱し、すれ違いざまにナイフの柄で処刑人の膝裏を打つ。
体勢を崩した処刑人のうなじへ、もう一撃。
処刑人は声を上げる暇もなく、その場へ倒れ込んだ。
「貴様!」
周囲の兵士たちが槍を突き出す。
アラタは迫る穂先を避けながら懐へ入り込み、ナイフの柄で鎧の隙間を正確に突いた。
一人、二人と兵士たちが崩れ落ちていく。
誰の命も奪うことなく、瞬く間に処刑台の周囲が制圧された。
アラタは爺の背後へ回り、両手を縛っていた縄を切断した。
「もう大丈夫だ」
アラタがナイフを収めると、周囲に浮かんでいたボールから、ルーティの弾んだ声が響いた。
『アラタ、今の映像はすべて届いてるわ。武闘会の優勝者が空から降ってきて、王の処刑を止めたんだもの。SNSはもう大騒ぎよ!』
続いて、ゼノンの高らかな笑い声が聞こえてくる。
『ふふ……映像はすでに複製している。一つ消されても、百の場所から広がっていくぞ!』
「ゼノンが拡散してるのか……」
そこへ、聞き慣れた陽気な声が割り込んだ。
『配信先なら、ワタクシがいくらでもご用意しましょう!』
「マックス?」
『ええ! このボールを作ったワタクシが、最後まで責任を持って世界中へお届けします!』
マックスは画面の向こうでマントを翻し、力強く宣言した。
『王が真実を隠すなら、ワタクシは真実を世界一の商品にして売り出しましょう!』
広場に集められた民衆が、次々とスマホを取り出していた。
この場で起きていることが、世界中へ広がっていく。
もはや王にも、真実を闇へ葬ることはできない。
レオンはそんな周囲の騒ぎにも目を向けず、爺へ駆け寄った。
「爺! 無事か!?」
しかし爺は、感謝するどころか、レオンを鋭くにらみつけた。
「なぜ王都へ戻ってこられたのですか!」
「なぜだと……? 爺やエルザを見殺しにはできないだろう!」
「あなたが戻れば、お嬢様の覚悟がすべて無駄になってしまうではありませんか!」
爺の目から、大粒の涙がこぼれ落ちた。
「覚悟……? どういうことだ」
「あの方は、あなたを生かすために、すべてを捨てたのです!」
「何を言っている。エルザは私を見限って──」
「お嬢様が、レオン様を本気で見限るはずがないでしょう!」
爺の血を吐くような叫びが、静まり返った広場へ響いた。
「ならば、なぜ……」
レオンが息を呑む。
「お嬢様のお考えを、最後まで聞かされてはおりません。ですが、誰を守るために泣いておられたのか。それだけは、ずっとわかっております」
爺は震える足で立ち上がり、レオンを真っ直ぐに見つめた。
「数年前のことです……。お嬢様は赤いドレスをまとい、鏡の前でレオン様を傷つける言葉を練習しておられました」
「エルザが……?」
「泣きながら、何度も、何度も……。私が理由を尋ねても、お嬢様は何も教えてくださいませんでした。知らなければ、私は誰にも嘘をつかずに済むから、と」
レオンの顔から、少しずつ血の気が引いていく。
「そして、ランダル公爵邸で婚約を破棄したあの日。お嬢様が扇子を胸へ押し当てていたことを覚えておられますか?」
「扇子……。あの時か……」
「あれは、淑女の扇言葉でございます」
爺の声が震える。
「『あなたを愛しています』と──」
「……なっ」
レオンの唇が、かすかに震えた。
冷たく笑いながら婚約を破棄したエルザ。
自分を見下し、無様な負け犬だと罵ったエルザ。
その胸元で、扇子だけが本心を告げていたのだ。
「では……あの言葉は……」
レオンの脳裏に、エルザの冷たい言葉が蘇る。
『どこか遠い辺境へでも行って、惨めに這いつくばりながら一生をやり過ごしなさい』
あれは侮蔑ではなかった。
自分を安全な場所へ逃がすために、愛されることさえ捨てた、不器用な祈り──。
「では、エルザは……」
レオンの目から、涙がこぼれ落ちた。
「私に憎まれることを選んで……一人で……」
膝から力が抜け、その場へ崩れ落ちる。
自分が浴びせた言葉も、彼女へ向けた冷たい目も、そのすべてが胸へ突き刺さっていた。
アラタはゆっくりと歩み寄り、レオンの肩をつかんで立ち上がらせた。
「──泣くのはあとだ」
爺の本名は設定だけで満足してましたが、この話で一度だけ名前を出すことにしました。出来上がっていた話に、感覚的になんとなく挿入してみただけなんですが……。「爺」だった人物にも一人の人間としての名前と人生があることが、危機の瞬間に強く立ち上がり、結果として良かったと思ってます。
ちなみにマスターの本名はクラウス・アーデルハイトですが、この先も全く出てきません。




