第十五話【エルザの残した道】
エルザがランダル邸の応接室を出たあと──。
「王の陰謀って──どういうことなんだ?」
アラタの真っ直ぐな問いかけに、レオンは重い足取りでソファまで歩き、腰を下ろした。
両手で顔を覆い、深く、苦しげな息を吐き出す。
「……我がランダル公爵家は、建国の昔から王家と共に『禁書庫』を管理してきた。この国で唯一、王家に並ぶ特権を持つ一族だ」
レオンはゆっくり顔を上げた。
その目は赤く充血していた。
「だが、今の王はそれを許さなかった。すべての権力を独占し、自らが神のように君臨するために、我々ランダル家を消そうとしたのだ」
「そんな理由で、レオンの父さんを……?」
「いきなり武力で潰せば、民が反発する。当家は長く領地を治め、民からの信頼も得ていたからな。だから王は、何年もかけて理不尽な税や法を押しつけ、真綿で首を絞めるように我々を弱らせた」
レオンの拳が、膝の上で震える。
「家のためだと……エルザと婚約し、名声を高め、武闘会に出場したのも……王から見れば目障りでしかなかったのだ……!」
握りしめた拳の上へ、一粒の涙が落ちた。
「だが、すべて無駄だった。私は王を刺激し、父上を追い込んでしまっただけだ……!」
広い応接室に、レオンの苦しげな声が響いた。
マスターは静かに目を伏せ、リゼリアたちも言葉を失っている。
「ランダル家は終わりだ。王の兵が私を捕らえに来るのも、時間の問題だろう」
レオンは自嘲するように笑い、アラタたちを見回した。
「お前たちも、早くこの屋敷から離れろ。ここにいれば、反逆者の仲間として捕らえられるぞ」
しかし、アラタは腕を組んだまま、呆れたように息を吐いた。
「……なんだ。ただのわがままな王様じゃないか」
「わがまま……?」
「自分以外に力を持っている奴がいるのが、気に入らない。それだけだろ?」
一国の王が何年もかけて仕組んだ陰謀を、アラタは子供のわがままのように言い切った。
レオンは目を見開いた後、力なく笑った。
「アラタにかかれば、権力争いもただのわがままか」
「これから、どうするんだ?」
「逃げ延びてみせるさ。アラタの言う、王のわがままからな……」
そう答えたものの、レオンの声には力がなかった。
父を失い、家も領地も奪われようとしている。
どこへ逃げ、何を頼ればよいのか。レオン自身にも、わかっていないのだろう。
アラタは立ち上がり、腰に差したナイフへ手を置いた。
「逃げる必要なんかない」
「何……?」
「俺は武闘会で優勝した。約束どおり禁書庫へ入る権利がある。もう一度城へ行って、王様から直接話を聞く」
「正気か!? 相手は一国の王だぞ!」
「俺には関係ない。それに──」
アラタは涙の残るレオンの目を見て、少しだけ笑った。
「自分の間違いを認めて、頭を下げられるレオンの方が、そんな王よりずっと立派だ」
「……っ」
「だから、すべて終わったような顔をするな。まだ選べる道はある」
レオンが言葉を失った、その時だった。
屋敷の外から、無数の足音と鎧の擦れる音が聞こえてきた。
「反逆者の屋敷を包囲しろ!」
「一人も逃がすな!」
張り上げられた怒号に続き、応接室の扉が勢いよく開く。
血相を変えた執事が、転がり込むように入ってきた。
「レオン様! 王の兵が屋敷を包囲しております! その数、およそ数百!」
「もう来たのか……!」
レオンが剣の柄へ手をかけた直後、窓ガラスが派手に砕け散った。完全武装した兵士たちが、割れた窓と扉から次々に雪崩れ込んでくる。
「レオン・ランダルだな! 反逆罪の疑いにより捕らえる! 抵抗する者は、その場で斬り捨てよ!」
兵士たちが一斉に剣を振り上げた次の瞬間、マスターが動いた。
剣を抜きながら低く踏み込み、鋭く横へ薙ぐ。マスターの剣は兵士たちの武器だけを弾き飛ばし、返した剣の腹が次々に鎧を打った。
五人の兵士が、何をされたのかもわからないまま床へ崩れ落ちる。
「命は奪っていない。負傷者を連れて退け」
「マスター……すごいな」
「今さら何を言っているのよ。片腕を失う前は、Sランクの探索者だったのよ」
リゼリアが誇らしげに胸を張り、自らも剣を抜いた。
ゼノンは迫ってくる兵士たちへ手をかざし、床一面に魔法陣を広げる。
『多重罠格子』
青白い光の格子が走り、踏み込んだ兵士たちの足を次々に拘束した。
「アラタを狙う者は、この私が許さない!」
「狙われているのはレオンでしょ!」
ルーティの叫びが響く中、拘束を逃れた兵士たちが、部屋の隅で震えている使用人へ剣を向けた。
「屋敷の者には、指一本触れさせん!」
レオンが兵士と使用人の間へ割って入る。
振り下ろされた剣を受け流し、返す刃で兵士の武器を斬り落とす。続けて剣を振るうと、その軌跡から炎がほとばしった。
燃え上がった炎の壁が、兵士たちの進路を塞ぐ。
「全員、私の後ろへ下がれ!」
使用人たちを守るため、レオンは迫る兵士へ立ち向かった。
だが、その背後。
炎の壁を回り込んだ一人が、レオンへ斬りかかる。
「レオン、後ろ!」
リゼリアの声に、レオンが振り返る。
しかし、使用人を庇った体勢では間に合わない。
振り下ろされた刃が、レオンの肩へ届こうとした。
その瞬間──。
アラタの世界から、色と音が消えた。
すべてが白く染まり、時間が止まる。
兵士たちの剣が描く軌道と、人の隙間を縫う一本の赤い線が、アラタの視界へ浮かび上がった。
(ツリー。相手は人間だ。負荷は?)
《極めて軽微です。常時、選択可能な状態にあります》
(よし)
アラタが未来を選ぶ。
世界に色が戻り、止まっていた時間が動き出した。
レオンの襟を掴み、刃の軌道から引き離す。
兵士の剣が空を切った。
アラタは赤い線をなぞるように攻撃をかわし、兵士の懐へ潜り込む。
手にしたナイフを返し、柄で鎧の隙間を正確に打った。
「がっ……!」
一撃で意識を失った兵士が、その場へ崩れ落ちる。
「な、なんだ、こいつは!?」
「動きが見えない……!」
アラタは次の兵士へ踏み込んだ。
剣を紙一重でかわし、手首を打つ。武器を落としたところで顎を跳ね上げ、次の兵士の膝裏を蹴って転ばせる。
アラタが通り過ぎた後には、命を奪われることなく意識を失った兵士たちだけが残された。
それでも、敵の数は減らない。
倒しても倒しても、窓や廊下から新たな兵士が押し寄せてくる。
「きりがないわね!」
リゼリアが兵士の剣を弾きながら叫ぶ。
アラタたちがどれほど強くても、屋敷を包囲しているのは数百人の兵士だ。、屋敷を包囲しているのは数百人の兵士だ。
このまま戦い続ければ、やがてレオンや使用人たちにも犠牲が出る。
その時、レオンの頭に、先ほどエルザから投げつけられた言葉が蘇った。
『どこか遠い辺境へでも行って、惨めに這いつくばりながら一生をやり過ごしなさい』
「──辺境!」
レオンが突然、声を上げた。
「アラタ、マスター殿! 一度退くぞ! 辺境伯の領地へ向かう!」
「あんなことを言った婚約者の言葉に従うのか?」
「違う! かつて、私に忠誠を誓ってくれた辺境伯がいるのだ。エルザの言葉に従うようで癪だが、今は意地を張っている場合ではない!」
幼い頃、泥だらけになったレオンへ忠誠を誓った辺境伯。
王都から遠く離れ、独自の兵力を持つあの地ならば、王の手も簡単には届かない。
「わかった。屋敷の人たちも連れていこう」
「無論だ。誰一人、ここには残さない!」
アラタは迫る兵士を打ち倒しながら、脳内でツリーへ呼びかけた。
(全員で屋敷を脱出する。一番安全な道を頼む)
《了解。最適な脱出経路を表示します》
アラタの視界に、応接室から裏庭へ続く新たな赤い線が浮かび上がる。
「こっちだ! 俺が道を開く!」
アラタが先頭に立ち、赤い線の上を駆け抜ける。
立ち塞がる兵士たちを、ナイフの柄と素手だけで次々に無力化していった。
その背中を追い、レオンと仲間たち、残っていた使用人たちも屋敷の裏手へ向かう。
赤い線の先にあったのは、庭園の端に隠された古い排水路だった。
人が通るには狭いが、その先は王都の外まで続いている。
アラタたちは排水路へ飛び込み、王の兵による包囲を突破した。
──
それから四日後。
追っ手を避けながら進み続けた一行は、ようやく辺境伯の領地へたどり着いた。
屈強な兵士たちが守る砦の中で、レオンは深々と頭を下げる。
「突然押しかけてしまい、申し訳ない」
「何をおっしゃいますか。レオン様がご無事で、何よりでございます」
辺境伯はレオンの肩を支え、静かに首を横に振った。
「ランダル公爵様の一件は、私も腸が煮えくり返る思いです。王の行いは、もはや到底許されるものではありません」
「感謝する、辺境伯。父上の無念を晴らし、ランダル家に着せられた汚名をそそぐため、どうか力を貸してほしい」
レオンがもう一度頭を下げようとした、その時だった。
砦の扉が乱暴に開き、伝令の兵士が息を切らしながら駆け込んできた。
「申し上げます! 王都より急報です!」
「どうした?」
伝令は一度息を整え、レオンへ告げた。
「エルザ・フォン・クラリネス令嬢が、国王への反逆を企てたとして捕らえられました!」
「……なっ!?」
レオンの顔から、一瞬にして血の気が引いた。
「エルザが……捕らえられた?」
「はい。すでに王より処刑が言い渡されております」
伝令の声が、重苦しい砦の中へ響く。
「処刑は三日後。王城前の広場にて、ギロチンの刑に処されるとのことです!」




