第十二話【敗者の告白】
画面に映し出されたのは、最上階のさらに奥にあるロイヤル・スイートだった。
広い居間には豪華な家具が並び、壁から天井まで細かな装飾が施されている。
あの部屋は、わたくしがクラリネス家の名で手配したものだ。
せめて船の上で過ごす間だけでも、疲れ切ったレオンに心と体を休めてほしかった。
『……マックスの用意してくれた部屋より、さらに天井が高いぞ』
『お金持ちの部屋って、どうなってるの……』
アラタたちが物珍しそうに室内を見回す中、レオンは部屋の中央で足を止めた。
しばらく気まずそうに視線を泳がせていたが、やがて覚悟を決めたように息を吐く。
『アラタ。あの時は……悪かった。マスター殿にも、私の非礼を詫びたい』
右手を胸に当て、背筋を伸ばしたまま腰を深く折る。
幼い頃、爺に教えられた礼法を、一つも崩さずに。
『──ハハッ!』
突然、アラタが声を上げて笑った。
『な、何がおかしい!』
レオンが顔を真っ赤にする。
『いや。レオンは、ちゃんと謝れるんだなと思って』
『貴様、私を何だと思っている!』
隣にいたマスターは、信じられないものを見るような目でレオンを見つめていた。
『ランダル公爵家の嫡男が、我々のような者へ頭を下げるとは……』
『勘違いするな。私にも、貴族としての矜持がある。正々堂々と敗れたというのに、いつまでも認めず騒ぎ立てるなど、ランダル家の名折れだからな』
レオンは腕を組み、照れを隠すようにそっぽを向いた。
態度は相変わらず尊大だが、耳が少し赤くなっている。
彼なりの、精いっぱいの誠意だった。
アラタは感心したようにうなずくと、真面目な顔で尋ねた。
『ところで、公爵って何だ?』
『『『『そこから!?』』』』
リゼリアたち四人の声が、見事に重なった。
『アラタ、あんた本気で言ってるの……?』
『いいか、アラタ。公爵というのは、王族に次ぐほど高い地位を持つ大貴族だ。つまり、レオン殿はこの国でも特に身分の高いお方なのだぞ』
マスターが頭を抱えながら説明する。
けれど、アラタの反応は薄かった。
『へえ。じゃあ、偉いんだな』
『偉いんだな、じゃないわよ! とんでもない相手にナイフを突きつけてたのよ!? ネットが荒れてたんだから……』
リゼリアが青ざめてアラタの肩を揺さぶる。
『き、貴様……。私が何者か知らずに、あのような態度を取っていたのか!?』
『いや。知っていても、戦いには関係ないだろ』
アラタは平然と答え、それからレオンへ真っ直ぐな笑顔を向けた。
『でも、自分が悪かったと認めて謝れるレオンは、強い奴だと思うよ』
『なっ……!』
レオンは何かを言い返そうとして、結局、赤くなった顔を背けた。
わたくしはモニターの前で、思わず頬を緩めていた。
久しぶりに見た、自然なレオンの姿だった。
自分を打ち破った相手は、どうやら彼にとって、少し厄介な友人になりつつあるらしい。
少しの沈黙のあと、レオンは壁際のソファへ重い体を沈めた。
アラタが、その向かいに立つ。
『剣を壊したことは、悪かった』
『試合で壊れたものだ。お前が謝ることではない』
『でも、あの剣を見て、レオンがどれだけ努力してきたのかはわかった』
レオンが、わずかに顔を上げる。
『俺もヤシマで、毎日剣を振っていた。だから、何度も鍛錬を重ねてできた傷だってことはわかる。あれほど使い込まれた剣は、初めて見た』
レオンは一度だけ鼻で笑い、視線を外した。
『ヤシマ、か。なるほど──この国の礼法も、貴族の名も、まず耳に入らぬ土地だろうな。……それにしても、剣についた傷を見て褒めるとは物好きだ』
『ただ……思ったことを言っただけだよ』
『多くは家名だの血筋だの、都合の良い飾りだけを褒めそやす。だが、お前は私自身の積み重ねを見た』
レオンの口元に、かすかな笑みが浮かんだ。
『……そのような言葉を、私は初めて受け取った』
先ほどまでの勢いは消え、その横顔には深い疲れがにじんでいた。
アラタは少し考え、ふと思いついたように口を開く。
『そうだ。いつか、ヤシマに来ないか? きれいな土地だ。その眉間のしわも、少しは薄くなるかもしれないぞ』
『……行けるものなら、行ってみたいものだな』
『来ればいいじゃないか』
『私には、好きな場所へ旅をするような自由など、もう残されていない』
『どういう意味だ?』
レオンはうつむき、膝の上で両手を強く握りしめた。
『アラタ……』
彼が初めて、アラタの名を呼んだ。
『今から口にすることは聞き流せ。ただの愚痴だ』
『……ああ』
『世間はランダル公爵家を、王都で最も歴史と権威のある一族だともてはやす。だが、それは過去の栄光にすぎない』
レオンは自分をあざ笑うように、短く息を吐いた。
『重い税を課され、商いも封じられた。屋敷や領地を維持するための借金は膨れ上がり、我々にはもう、明日を生きる金さえ残っていない』
『こんなに豪華な部屋にいるのに?』
アラタが室内を見回し、不思議そうに首を傾げる。
『この部屋も、船の代金も、婚約者の家が用意したものだ。私は王都へ戻ったら、その令嬢と結婚することになる』
『……金のために結婚するのか?』
飾りのない問いかけに、レオンの顔が苦しげに歪んだ。
『婚約と引き換えに、クラリネス家から資金援助を受けた。武闘会で優勝し、賞金ですべて返せば、婚約を解消する約束だった』
『だから、あんなに勝つことへこだわっていたのか』
『自分の力で家と領民を救う、最後の機会だと思っていた。だが、私はお前に敗れた』
レオンは握った両手へ、さらに力を込めた。
『約束どおり、私はエルザと結婚する。残りの人生を、クラリネス家の政略の駒として生きることになるだろう……』
あの武闘会での異様なまでの自信と、他人を見下すような態度。
その奥には、絶対に負けられないという重圧と、沈みゆく家を背負ったレオンの悲痛なあがきがあった。
わたくしは胸を強く押さえた。
彼を苦しめている婚約者とは、ほかでもない、わたくしのことなのだから。
『……レオン』
アラタはうつむいたレオンを、真っ直ぐに見つめていた。
誰も、言葉を挟もうとはしない。
先ほどまで笑い声に包まれていた広い部屋が、今はひどく静かに感じられた。
「もう、切ってちょうだい」
わたくしは震える声で、マックスへ告げた。
画面が切り替わり、気遣うような顔をしたマックスが映る。
『……お役に立てましたか?』
「ええ。とてもね。でも、少し疲れました」
『では、今日のところはこれで』
「待って。レオンを迎える馬車は、すでに用意してあるわ。船が王都へ着いたら、また今のように映像を見せてくださる?」
『もちろんですとも。スマートにお知らせいたしますよ』
「お願いね」
通信が切れ、モニターが暗くなる。
静けさの戻った部屋で、わたくしはお母様の形見である青いブローチを握りしめた。
「ごめんなさい、レオン……」
自分の言葉が、彼をあれほど追い詰めていた。
けれど、彼が王都へ戻れば、わたくしはさらに婚約破棄を突きつけなければならない。
すべてを失い、絶望の底にいる彼へ。
王の企みから逃がすには、そうするしかない。
こぼれた涙が、手の中の青い石に落ちた。
「レオン……どうか、生きて」




